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やっぱりなんとなくある患者争奪戦

先々週、桜が咲いたので(もしかしたら今年最後かもなので・・・)母に見せようと「タクシーで近所のお寺まで行って、お花見する?」と言うと、父が「オレが連れて行く」という。ので、お任せしたら、なんと末期がん患者でトイレに行くのもヨロヨロしている母を2時間休みなく歩かせたらしい。恐るべし、昭和ヒトケタのジジイ。あっぱれな気の利かなさ。
おかげでその晩から、母はガクンと弱ってしまった。
「このまま悪くなってしまうのかしら・・・💦」と思ったが、あっぱれ、昭和ヒトケタのババア。なんだか2日後から、食欲が戻って元気が少し回復した。

そして、訪問医療の先生が来て、ひと月ぶりにエコーと採血してもらったが、相変わらず確認できる転移もなく、数値も正常、貧血もないという。良かった良かった。(食事の量は相変わらず猫〜ネズミくらいなんですが)

しかし、ここにきて、訪問医療の病院と医療センターの緩和ケアが、コロナ禍でも面会可能な都内の大病院の緩和ケアに最終的に行くのはどうなの?ということを言い出した。それぞれ自分のところでも看取りまでできるんだから、大病院に行かなくてもいいじゃない、というのだ。

うちは私ひとりなので&がんこなじいさんがいるので、とても最後の最後のケアが万全にできるとは言えない。なので、訪問医療で看取りは難しい。
市内の医療センターの緩和ケアは現在コロナで閉鎖されていて、一般病棟は面会禁止なので、これも無理。なので、最後は一緒にいられる病院を選択したいわけなのだが・・・訪問も医療センターの緩和も「ああ、そうですか」という返事で、なんとなく感じが悪い。やっぱり患者の争奪って昔も今もあるのね。ビジネスだもんね。。。

「コロナのワクチンはぜひ打ちましょう!」とか、ゴリゴリ気味な訪問の病院なのでちょっと心配なんだけど(一日300カロリーやっと食べてるか食べてないかの小枝のような高齢の末期がん患者にそれ必要ですか? これからコロナになるなら、もうどっちにしろ運命なので・・・)、うちのまわりではここが一番大手なので、なんとかうまくやらなくちゃ。。。

命の選択は本人がしたいし、それにスムーズに沿ってくれるような医療や福祉の状況にもっとなればいいなと思う。

母はこの1週間はマッサージチェアに横になったまま、一日中動かないので心配なのだけれど(食べてないから体力が無いので当然だが)、昨日はチャーハンを茶碗半分くらい食べてビックリ。
「美味しいものは食べられる」そうな。
病気で食べられないんじゃないの???
病気ってなん??? 
気持ちが8割???
なら、いっぱい可愛がって、余命を伸ばそう。

母を奴隷のように54年間思っていたと思う。基本、何をさせてもいい人。うちのことをやって当たり前の人。母の人格とか、考えたこともなかったと気づく。母という「役割」の人としか認識してなくて、振り返ると母の感情についてろくに考えたことがない。
愚痴も言わないで、黙って淡々と何十年も永遠に家事をしてくれてきた人。私たち家族のために、すべての時間を使ってくれてきた人。
姉が早死にしたので、残した小さい子ども2人も育てた人。(私は都内で一人暮らしで一切子育てを手伝わず💦今思うと鬼だな💦)
ここから数ヶ月や数年、私が奴隷になっても埋め合わせにもならないが、やらせていただきますん。。。
(こんなところに書いてないで、本人に「ありがとう」とか「ごめんなさい」とか言えばいいんだけど、言えないんだよね。。。💦ま、言ったところで母も「ならカニ買って」とかなんだろうけど。。。💦)

でも、ついこの前まで、プチ介護にさえイライラしていたのよね。。。
「いつまでこの人たち、生きてるのかしら!?」って。
ずっと気ままに生きて来たから、ほんの少し、自分の時間が削れたくらいで超イライラ、被害者意識があって、、、

母の死期が見えないとこんな気持ちにもならないなんて💦
本当に私は自由で子どもなまま54歳まで生きてきました💦
ありがとうございますん💦