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現在地

1年前の今頃、わたしは大学病院を辞めた。
いわゆる普通の社会人として、看護師として勤めた3年間が、コロナ禍という特殊な状況と被ったことは、今となれば必然であったと思う。
コロナになってからの2年間、外側から著しく制限されたからこそ、むしろ内側の世界を拡大することができた。

振り返れば、物語の大きなスタートはそれまでの人生の全てであった大学受験での挫折だった。何者かにならなきゃいけなくて、何者かになりたくて、大学で出逢う全ての人々に憧れた。自分の好きなものがあること、自分で自分の人生を選んでいること、学び悩みながらも未来への不安より今を生きていることが、宝石のようにキラキラと輝いていた。

キラキラしたい。

その想いでモノマネをするように、手当たり次第に手を出した。
バイトもたくさんやった。サークルもたくさん、勉強会もいろんなものに顔を出した。

空っぽを埋めるように外に手を伸ばし続けたあの頃、きっと心は常に劣等感と孤独感と無力感でいっぱいだったんだろうけど、それと同時に、触れる世界の全てが楽しくて、眩しくて、大好きだった。

蓋を開けば、やりたいことなんて無限にあった。
心の奥の奥の底には、抑えきれないパワフルな原初的欲求が確かにあった。きっと、産まれた時からずっと一緒に呼吸をしていたモノ。

そこから、たくさんのトラウマやカルマを超えて、
わたしは今、素直にただ、かれんとして在る。

いっぺんの曇りもなく、世界はどこまでも広くて、生きることは楽しい。

この悟りのようなものは、知れば知るほど、到底悟り得ないことを知るけど、
それならいっそ、そのエゴをめいっぱい楽しめばいい。
去年の3月のわたし、この瞬間のわたし、来年のわたし、遥か未来のわたし。
想像を超えて人生を描け、かれん。


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