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きもちを感じ取ることと、言葉できもちをあらわす限界[西村佳哲さんのワークショップ参加記録/2日目]

2023年5月、西村佳哲さんのワークショップに参加した。兼ねてからずっと行きたかった企画なので、ここで感じたことや考えたことは記事に残しておこうと思う。わりと時系列に書いている、日記みたいな感じ。

2日目の朝は、クイーンズメドゥ・カントリーハウスに暮らす馬のことについて。ここで馬事をしている徳さんと松井さんに敷地内を案内してもらいながら教えてもらった。

クイーンズメドゥにいる馬は、商業的・経済的な目的をもたない、「一緒に暮らす」存在としている。

「ただ馬が<いる>ことで、彼らから何を学べるかを模索する取り組みをしている」と、徳さん。

パドックでは、馬と一緒に歩く「Leading」を体験した。人がLeader、馬がFollowerとして一緒に歩くグランドワークのひとつである。

徳さんは、奥さんが所属するオーケストラのコンサートで「リーディングとオーケストラの指揮は似ていることに気づいた」と言う。

「指揮者は奏者を完全に制御しているわけではなくて、同じ波に乗っているように見える。馬と歩く時に、軽く目を合わせるように、奏者と指揮者も、<そうだよね>って同意で動いているんじゃないかなあ」

また、一緒に馬事をする松井さんからも教訓を得た。と。
「すごい吹雪いている日に、僕は<大変だ、大変だ>ってこぼしてたんです。でも松井さんがね、<大変大変って言っても、何も変わらないですよ>って」



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午後は、「話し手の気持ちについていくきき方」を掘り下げた。

頭で考えたことや、出来事、事柄より、胸の奥、腹の底にあるような、体温の高い言葉を拾っていくのはどうだろうか、という話。

途中、ある参加者が「最近、言葉で表現できることの限界を感じた」と言った。

以前、旅行先で出会った鮮烈な体験があって、それを気持ちを表す言葉にすると陳腐になってしまうから、その時の自分の「体の感覚」として記憶にしまっている、と。

ビジュアルで伝える方が、むしろ気持ちがめちゃくちゃ伝わることもあるなと、思う。
塾講師のバイトをしていたとき、要所要所で自分が大学受験に失敗した話を教室で話していた。

「合格発表の時間まで、気を紛らすためにコメディ映画を観ていた」
「時間になって合格者一覧を開いたら、自分の受験番号が無かった」
「真っ先に、高校でいちばん信頼していた先生に電話した」
「先生の声がきこえたら、涙が止まらなくなった」
「<ごめんなさい>しか言えなかった」
「青空がすごくきれいな3月9日だった」

ここまで話すと、教室がシーンとなる。たぶん伝わったな、とわかるくらい。

ビジュアルで伝えることで、その情景と一緒に、気持ちも相手に伝わる作用があったのかもしれない。



夜、ペアになって15分くらいの対話をして、録音を聴いて、ふりかえった。話し手になった参加者からわたしのききぶりを聞くと、「カレンちゃんは余分なひとことを付け加えない。隣に座って同じ景色を見ている感覚があった。だから、自分が意図していないところには連れて行かれない安心感がある」と言われた。

仕事での上司部下の関係性って、どうしてもその人としてみるあり方が難しいのかな、ともやもやした。だからメンターっていう制度があるのかな。
でも、いちばん、コーチングでもカウンセリングでも指導でもなく、
ただ、「きく」と「話す」ことがしたい仕事上の関係って、上司部下だよなあ、とも。

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