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まるごといっぽんのにんじん

月曜日。SAKEROCKの『LIFE CYCLE』を聴いて今週が始まった。「生活」「穴を掘る」「OLD OLD YORK」と続く最初の3曲がとても好きだ。何を言っているのか分からないハマケンの陽気な笑い声から始まって…なんやろなあ、今週も頑張りますかという気持ち。生活のなかにSAKEROCKの音楽があることを時折嬉しく思う。

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通りすがりの外国人が電話で発した単語が「ヴェネツィア」と聞こえて、その高速ヴェネツィアが「こんちは」と変換されたこと。後ろを歩く、携帯を耳に当てたお急ぎサラリーマンが「あ、課長、こんちはっす」と言ったこと。「え、今ヴェネツィアいるんすか」と続けてほしかった。前を歩く外国人はきっとヴェネツィアにいる彼の課長と繋がっていて…なんて、そんな奇跡が起きる頃にはおそらく人生が一周も二周もしていることだろう。缶珈琲をぶら下げて、くるっと半回転、一回転。ぼけっとした頭で何回転まで回せるかチャレンジをしていると、「行き先ボタンを押してください」とエレベーターに話しかけられた。現実問題、行くところなんてひとつしかなかろう。今日も奇跡どころか何も起こらない一日が始まろうとしている。無理やりにでも元気よく職場のドアを開けよう。ヴェネツィア!間違えた、こんちは!仕事の始まり、冷えた缶珈琲と空元気を連れていく。


火曜日。Frikoの新譜を聴いている。気分よく麻痺させられる衝撃のデビュー・アルバムは、スカッとした音像が「初期衝動」という純度の高い結晶を寧ろ後押ししていて自然と高揚させられたものだが、今回の新曲ではストリングスの重厚感がダークな雰囲気を醸し出している。2ndアルバム・シンドロームという言葉をよく耳にするが、彼らの場合は心配なさそうだ。変化、変化は進化の最中だと訴えるような鮮やかなシングル。彗星バンドだ、と改めて思う。なんだか楽しい気がする錯覚を本当だと思わせてくれるようなFrikoの今後が楽しみだ。

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帰り道、路地裏にある家からカレーの匂いがふわっと漂ってきた。あ、お邪魔します。いやいやいかん…帰りなされ。路地を抜けると、前方から歌が聴こえてきた。「そうだいつかあ、の場所へ〜行こう〜」なんやっけこれ、絶妙に下手くそで思い出せない…あ、分かったぞ。自転車に乗る青年はゆずの「夏色」を歌っていたのだろう。それにしても平坦な道でよくぞ歌ったな…君を後ろに乗せることもなく。

ところで昔、「どこに住んでるんですか」と訊かれたので答えると「夢追い人はそうでなくっちゃ」と返ってきたことがある。ユメオイビト…?誰のことだろう。上京した当時は分からなかったが、確かにこのまちには台風の目のような場所がある。家庭からは幸せな風が吹いていて、夏に向かってブレーキを握らない青年は勝手に風を切っている。呑兵衛たちの笑い声で溢れる夜。郵便配達員の鼻歌が聞こえる明け方。ポッポーと鳩が鳴いて迎える朝には警察官も一緒にラジオ体操…ここはいろんな風の吹く、どちらかというと賑やかな街だろう。そんな陽気な街だが、静かな奴らも確かに存在しているのだ。それが「夢追い人」という名のコロボックルである。彼らは上手く風に乗れないまま、このまちのボロアパートで息を潜めて暮らしている。

夜中になるとプシュッとプルタブを引っ張って、ズズズッと麺を啜る音が聞こえる。「ユメオイビート117号」の部屋からだ。こんな時間まで起きているアイツのことだ、考えていることなんて手に取るように分かる。絶望に追いやられた火薬の海老を見て、きっとこう思っているのだ。「どこまでも凪いでいて、夜中に明かりがついている、似たような部屋の窓を一斉に開けたらどれだけの風が吹くのだろうか」と。コロボックルたちによれば、どうやらそんなことを考えてする夜更かしは一段と心強いらしい。ここからなにかが生まれるかもしれないと思いを馳せながら、意味があるのかないのか分からない静かな夜を過ごしているのだろう。夢を見る、夢を見る。どちらの夢を見るべきか考えて目を擦る妖精たちの物語。「いつかあの場所」へ行けるなら、このまちを、ユメオイビート117号の部屋をちょっぴり覗いてみたい。その頃には台風はすっかり移動していて、彼らの夢が誰かの追い風になっていることを祈っている。


水曜日。Ana Frango Eletricoの来日公演のチケットを取ってからというもの、ライブは8月末だというのに楽しみな気持ちが一向に止まらない。結局、今日もそのままブラジルのインディーポップばかり聴いていた。踵でリズムを取り始め、膝が揺れるデスクの下。オッサンズの貧乏揺すりと間違われない程度にそっと音に乗る。やがて全身に南米の風が浸透した辺りで席を立つ。仕事中の便所は時に宇宙と化すことを知っているだろうか。ジャーッと水が流れてうるさい間に俊敏に踊ってやるのだ。そうすると一瞬だけ疲れが取れる、気がする…問題はドアを開けて席に戻るときだ。いかに真顔をキープできるかが鍵となってくる、宇宙と現実のギャップのでかさに驚くことになるので細心の注意が必要なのだ。

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職場で電話を取るのがこわい。まず、会社名を言うことに慣れていないため、自分の苗字を言ってしまいそうになる。先生に向かって「お母さん」と呼んでしまった…そんな間違いよりは大したことなさそうだが、やっぱり最初の一瞬は緊張して気が抜けない。続いての恐怖は、職場が静寂であることだ。特に誰も気にしていないのだろうが、なぜか全員が耳を澄ませていると感じてしまうのだ。そんな自意識もこわい。ちなみに周囲がガヤガヤしていたらこの恐怖からは解放される。第三の恐怖は、返答を間違えてしまうことだ。昔、「上の者にお繋ぎしますね」と言って、まったく関係のない電話に社長を巻き込んでしまったことがある。騙された、これは営業の電話だったのか。いやいやいやいや…分からんわこんなん!社長の名前まで出てきたんだもん。ああ…素直すぎて辛い、素直すぎて。僕、素直すぎて…決してアピールでどうこうなる問題ではないので、この恐怖は続く。

という訳で解決策を考えてみた。ひとつは「慣れる」、もうひとつは「辞める」だ。僕は後者を選択しようと思う。現在、幸いなことに僕のデスクには電話が置かれていない。ほかの人が営業電話を見抜いて、卒なく交わしている状況だ。僕が内心電話を嫌っていることは職場の人たちにはまだ知られてないが、トゥルルと電話が鳴った瞬間はかなりドキドキしているので、この動揺はいつかバレる恐れがある。心底助かっているのも束の間、固定電話が僕のデスクにやってきたらチェックメイトだ。もしそうなったときには、今の職場を辞めようと思う。電話が鳴る前に、作家として飯が食えるか勝負である。


木曜日。美容室の窓に映り込む生首のマネキンにビビり散らかしてしまった。誰にも見られてなくてよかった。


金曜日。道端で凄いことを言う人がいた。「休み要らないから、超人だから俺」そ、そんな…超人だったら休み要らないのか。教えてほしい、超人になる術を。ところで、似たようなことを言っている人がどこかにいたような気がして記憶を巡らせる。そうだ、超絶ハッピー・アルバム『LIFE』をリリースする当時のオザケンこと小沢健二だ。1994年発行のロッキンオンにはこう書かれてある。「僕、休みなんか要らないんですよ、機械だから。ロボット刑事K、だから(笑)」ロボット刑事K…?どうやってなるんですかそれは…ふたりとも僕と同じ人間だろうに、凄いなあと思う。超人やロボット刑事になる方法がどこかに転がっているのだろうか。だとしたら僕はまだ見つけていないだけなのか。分からん…しかし、もし見つけたとして僕の場合にも休み不要モードが適用されるかといったら正直謎だ。多分こう言ってしまうだろう。「僕、休みたくて仕方ないんですよ、怠惰だから。怠惰の神様K、だから(笑)」うむ、これは流石に休みより要らん。

蟹ブックスさんに追加の本を持って行った帰り、高円寺パル商店街にはたくさんの大道芸人がいた。銅像のように硬直した大道芸人さんは全身が銅色だった。ショーが始まる前だったのだろうか、写真撮影に応える際、ニッと笑顔になり、白い歯が見えた。なんかいいなあ…銅色に負けじと束の間の白い歯は美しく光っていた。ショー頑張ってください、と心の中で思いながら商店街を潜り抜けていった。

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「いつも心にリンペラトリーチェ」というリズミカルな標語を自分で勝手に作ってしまうほどに、フランスのディスコ・バンド L'lmperatriceの音楽が好きである。今日は彼らのニュー・アルバムを永遠にループしていた。とはいえ1曲目「Cosmogonie」のスペーシーなシンセとギターのカッティングが気持ち良すぎてなかなか前に進めなかったのも事実。曲の半分辺りから前に出てくるベースラインがドンピシャに好き。ドンピシャに好きってなんやねんという感じなのだが、とにかくドンピシャに好きだったのだ。ところで、リンペラトリーチェは日本語に訳すと「女帝」という意味だと今日知った。いつも心に女帝…謎すぎて呆れる。足早に帰宅し、ベースを手に取った。

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夜はお世話になっている店主のもとでカレーを食べた。完全に胃袋を掴まれている、ここのカレーが宇宙一美味い。ところで、初版が完売しそうだ〜という話をすると、「ここにも置いてもらったらどうだい」と本屋さんを2箇所紹介してもらった。ひとつは東京、ひとつは京都。今年の夏は関西の書店を巡る旅にも出ることになりそうだ。ブロッコリーの代わりに今日は豆が入っていたカレーを食べ終えて、お会計を済ませる。店を出る前、「ぼーい・みーつ」を読んでくれた店主に嬉しい言葉をかけられた。いつにも増して、このまちの風が心地良い夜だった。第二刷の入稿に向けてまずは誤字を直そう。「お土産買いたい」が「お土産書いたい」になっていたのだ。すみません…書きたい気持ちが溢れてました。


土曜日。明大前でバンドの練習があった。楽器を背負って電車に乗っていると、目の前に座る人がキャッチーなメロディの極意と書かれた本を抱えていた。乗車口にはピックが落ちている、不思議だ。それにしても下北沢とか明大前とか…名前がもうザ・トウキョウという感じがして、なんとなく雰囲気が映画。大阪を見習いたまえ、阿倍野とか弁天町とか…絶妙にダサい気がするのに堂々とハルカスなんか建っちゃってて素晴らしいぞ。にしてもなんの差ですかこれは…東京強し。昔、関大前の近くに住んでいたのだが、明大前の方がよっぽど格好いいじゃないかと思って関大を受けずに明治大を受けたことがある。結果、マークシートを塗り忘れて不合格。ザ・トウキョウには一生染まらないでいようとあの日決意したことを車窓よりふと思い出した。


日曜日。これを恋と呼ばずして、なんと言おう。昨晩からずっとあの娘のことを考えていて眠れない。脳内では小田和正が流れている。「あの日あの時あの場所で君に会えなかったら僕等はいつまでも見知らぬ二人のまま」ああ、なんて沁みる歌詞なんだ…僕はこんなにも再会したいと思っているのに、あの娘は一向に会ってくれない。逃げられたのだろうか。嫌だ、そんなことは思いたくない。忘れようとしても忘れられない、あの娘の魅力は僕を惹きつけて一時も安心させてくれないのだ。雨降りの深夜、雨上がりの朝、曇天の昼下がりを越えて、もうすぐ夜が来ようとしている。そろそろ会ってくれないかな、このままでは僕の大事な休日が台無しさ。なんてな…見知らぬ二人のままで本当は良かったのだ。不意に現れやがって…何がラブ・ストーリーは突然にやねん。あーーもう、泣きそう。いや〜、それにしてもゴキブリってなんで恋愛の駆け引き知ってるんかなあ。

2024.06.03~09


【おまけ】
世界から母音以外が消えたらどうしようと思った。
「越川雪」という新たな名前を手にしたはいいが、もし明日から母音以外が消えたら大変だ。そんなことはないと言われるだろうか。うむ、そんなことはないな。

ああ、待って…話を聞いておくれ…
万が一、母音以外が消えた世界線の越川雪について考えたんだ。なんだって、どうしても「おいああうい」になるんだ。どうしよう…名前に限らず、初のエッセイ集「ぼーい・みーつ」に関しては「おーい・いーう」になっちゃうんだ。どこかのお茶を真似したと言われそうで気分が落ち着かないのさ…茶番終了。

先日、高円寺にある本屋「蟹ブックス」さんから「ぼーい・みーつ」が完売したとの連絡があった。最初に持って行ったのは5部だったのだが、まさかこんなに早く手に取ってもらえるとは思いませんでした…問い合わせまであったそうで、嬉しさ爆発。無名作家だというのに、どうなってるんや…感謝しかない、ありがとうございます…という訳で追加で5部、再び置かせていただいております。すぐに手に取れなんてそんなこと死んでも言えませんが、どうか僕が死んでしまう前あるいは母音以外が世界から消えてしまう前には手に取って読んでいただけたらと思います。

越川雪

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