オタク!(というよりみんな!)摂食障害だけにはなるな!

さて、皆さんおはこんにちばんは。からしでございまーす 🎶お魚くわえたどらねk(ry

サザエさんならぬカラシさんを始めるところでした。日清のカップ麺おいしいですね。

さて、今回はワタクシが2021年後半から2022後半までこじらせてしまっていた(今も後遺症と戦ってるところはありますが…)
摂食障害についてお話します。本当に怖い病気です。
警告します。人生無駄にしたくないなら過度なダイエットはするな。

1 きっかけ

きっかけは些細なことでした。
実はいうと本格的な摂食障害やらかす前、中学高校時代もプチやらかしをしてまして…
ワタクシ小学生の頃、過食症レベルで 食べる人間でありまして暇=食べたいみたいな思考のせいで身長は当時からそこそこありましたが最高体重66kgというデブ女でした。
そこから痩せたくなって…しかし知識も何も無いのでカロリーや栄養の見直しよりかは「飲み食いの重量」に焦点を当てて調整してたおかしな人間でした(摂食障害の症状で食べ物、飲み物の重さも怖くなるといったこともあるのでもしかしたら、この時から摂食障害の入口には立ってたのかも)

まあ飲み食いの重量が減る&半身浴5時間とかやってたので当時54kgくらいまで落ちました。しかし肝心なカロリー等に目を向けてなかったせいでカロリー低いスープより重量軽めな菓子パンを食べたり…ってことが多々あったのである程度のところで減らなくなりました。
そして水分量も制限してたので所謂蛋白尿というものが出て学校の健康診断で引っかかりました。

この頃のおかしな食生活は実生活が充実してたのもあって「めんどくさくなった」の感情で手放すことが出来ました。ついでに体重測定も。

しかしそれから数年後、もっと恐ろしいことになりました。

2 本格的に姿を現した摂食障害

数年後、成人したワタクシは職に就いていた…までは良いんですがそこがまあブラックで最大26連勤しました。という話は置いといて。そんな過酷な状況とダイエットが絡むとさらに恐ろしいことになることを語ります。

体重を計らなくなって数年経って、家に新しい体重計が来ました。そもそもの目的は糖尿予備軍のオトンの健康管理のためでしたがふとした好奇心で(今の体重何キロなんだろう)と気になってしまいました。

好奇心に負けて測ると「59kg」の数字であったことを今でも覚えてます。
(ワタクシ167cmの人間、内臓の質量やら骨量、筋肉のことを考えると普通体重?)

その頃の食生活は割と好き勝手していて…朝昼ガッツリでも夜はお腹すいてバクバク、悪あがきで基本夜はお米抜いてたんですけどカレーとかそういう日はオカワリするレベルで食べてたり…糖質コミコミのチューハイもガッツリ飲んでました。

何故か数字にちょっとモヤモヤして食事制限を始めてしまいました。これが全ての始まりでした。

今思うと昔から数字にはこだわるタイプで、テストの高得点獲得に全て掛けてたり…つまりは摂食障害あるあるなタイプだったんだと思います。 
 
始めは軽い食事制限から始めて、その頃は健全に体重が落ちていきました。

その頃はフィギュアを撮ったり推し事も少ない休日に関わらず全力で楽しめてた。

でも制限はどんどんエスカレートし、職場でのストレスのせいか「完璧」「自分に厳しく」がモットーとなり、傷が残らない自傷行為のような過度な食事制限、強迫的な過度な運動をするようになりました。

例えば、「職場で失敗したら夕飯は何口までしか食べない」「通勤は走ること」「夕飯はレタスやところてんのみ、酒は糖質ゼロのものは無制限」「休みの前の日だけ好きに食べる事を許可する」などマイルールや摂食障害の人あるあるの許可食、非許可食が増えてきました。

当時の食事
朝 糖質20g、200カロリー前半までのコンビニスイーツ1つ
小さな油揚げ 1つ

昼 ブランパン1個
鶏胸肉 100g
コンビニの野菜炒め用カット野菜20g程


糖質ゼロの酒
ところてんと糖質ゼロ麺を香辛料だけで和えたものorキノコとレタスを香辛料で和えたもの、たまにエビやイカを少し


というエサのような食生活をおくりつつ、朝のコンビニスイーツだけが毎日の楽しみだったので食べ終わった時の鬱感、予め何を食べるか決めてたのでそれが売り切れてた時のパニック感は凄かった…

まあこういう生活なので体重はぐんぐん落ちてきました。
今のTwitter垢を持ち始めた当初、日清のとんがらし麺が大好きで昔からのフォロワーはかつて垢名が「とんがらし麺」であった事を知ってる人もいるかもしれません。
この食生活の頃はかつて休みの日の度に好んで食べてたとんがらし麺は愚か塩分すらも摂れなくなっていました。
そしていつの日か血祭りもとい月経も止まりました。

3 摂食障害あるあるの症状と辛くなってきた毎日

摂食障害あるあるその1

「腸活、むくみ解消に敏感」


程々であるなら健康的である活動。ですがそれが異常でした。
腸活、むくみ解消=排出の分だけ体重が減る。
反対に腸が動かない日、浮腫んだ日=体重が増える。
という方程式のせいで腸が動かないと常にイライラ、酷い時は深夜3時に目を覚ましてそこから起床時間=体重測定時間の午前5時半まで腸を捻ったり揉んだりしたりという今思うと異常行動をしていました。
腸活体操に時間取られてろくに寝られない▶そこから支度▶走って出勤▶仕事▶走って退勤▶鳥の餌レベルの食事
という負の連鎖、更には浮腫が怖くて塩分制限や水分制限も行っていました。

摂食障害あるあるその2

「脳内が常に食べ物のこと、飲み物のことで支配される。」


今思うとめちゃくちゃ怖い症状なんですけどやはり食べてない、飲んでない状態の積み重ねなので脳内が常に飲食のことでいっぱいでした。
唯一食べられる休日前のために食べたい物を常に調べてリストアップ、優先順位を立てたりしていました。
酒以外の飲み物がろくに飲めない状態で迎えた夏、常にジュース屋さん、フルーツゼリー屋さんの事を調べてました。

普通に楽しんでると思うだろ???この裏で次の日ほぼ絶食してたぜ。

糖質もろくに行き渡って無いので甘いものばかりですねえ…今も甘いものは好きですけど。

今思うと休みの前の日だけ、自分で自分に優しくしてたと思うあの頃。とはいえ一駅分余分に走ったりとかしてましたが。

そして怖いのが例えば、食べて良い日にショッピングモール併設のクレープ屋さんに行くとして「せっかくなら服とか色々見てからクレープ食べよう!」となっても脳内は常にクレープのことで綺麗な服もフィギュアに使えそうな面白いミニチュアも全然頭に入らない。せっかく色々見ようと思ってたのに食べ物のイベントで終了。不完全燃焼で楽しいのにモヤモヤグルグル…って感じになること。

あと悲しくなったのはカラオケ好きにも関わらず、痩せすぎて声が出づらくなったこと。

摂食障害あるあるその3

「強迫」

シンプルなタイトルですがこれが本当に怖い😱
運動強迫、時間厳守強迫など色々ありました。
運動強迫は通勤の時は必ずジョギング🏃‍♂️、それ以外でもウォーキング🚶‍♀️…までだとギリ健全かもですが雨の日も風の日も、大雨洪水特別警報(エリアメール発令レベル)の日もジョギングで通勤しました。

時間厳守強迫は特に朝の支度、必ず〇時〇分に〇〇をするなどとスケジューリング…というよりただ機械のように動いてました。さらに朝は体重測定もあるので減ってた日、変わらなかった日は無関心、増えてた日は脳内で自分説教を行いながらだったので尚更目が死んでたと思います。

この頃、仕事面でも本来2人分の仕事を1人で背負う&減らされる給料&少しでも失敗すれば人格否定レベルのことを言われる状況だったので尚更追い詰められてある意味自分いじめを楽しんでいた説。
毎日が仕事、食べ物、カロリー、運動、体重に支配されてしんどくなってきたのはこの頃からでした。
推し事はかろうじてしていたもののどこか上の空な感じでした。

この頃の体重、44kg〜45kg

閑話休題  夢のような3日間は?

摂食障害拗らせつつだった2022年4月、一世一代の大イベントがありました。
そう、推し俳優のカレイべ。本当は2020年にもある予定だったんですけどコロナにぶちのめされました。休み取るのめちゃくちゃ大変だったのに…
そして2022年4月末雪辱を果たせ、たくさんの思い出ができたという話なんですが
その2日間、摂食障害の症状は出てた?と言われるのNOだったと思います。

今思うとやはり職場のストレスで悪化の1歩を辿ってたんだなと思います。この時罪悪感に苛まれつつ一世一代の大芝居をし、偽の冠婚葬祭で三連休をとりました。そうでもしないと有給をくれない所だったので…職場には4年いましたが三連休とれたのはこの時だけでした。

職場から離れてたからか自分にも優しくなれた😭
ただ楽しい時間にも終わりが来るわけで…

それから先の日々に地獄が待っていました。


4 絶望 痩せの崩壊

閑話休題を挟みまして本題に戻ります。
それは夏頃に酷くなって来ました。
所謂「過食への転換」です。

過度の食事制限、塩分制限、水分制限でいよいよ身体と脳が言うことを聞かなくなりました。
夜間摂食障害が起こるようになったのです。

起きたら台所のパンなどが消えてて問い詰められても全く記憶に無いのです。
酷い時は自室のゴミ箱やカバンににお菓子の残骸…起きてこれがあった時本当に絶望でした。
味わって食べすぎて「あー!食べすぎた…」ってなるのならまだマシ、食べた記憶も味の記憶もないのに体重だけが増えていく絶望感は凄かったです。
毎朝起きるのが怖かった😱
同じ症状で苦しむ人はお菓子やパンなどをタイマー式の金庫に入れたり、親や同居人に冷蔵庫の前で寝てもらったりと一見なんだそりゃ!?となる対処法をしてたりしますが本当にそれくらいの対処をしないと止められないのです。
ワタクシは嘔吐無しの拒食タイプだったので過食嘔吐には目覚めなかったです。今思うと目覚めなくて良かった…

この頃精神的にもどん底でストロング系で酔っ払っては傷の残らない自傷行為(自分叩いたりとか)を行ってたり…健忘も出て来るようになりました。

数時間前に家族と話してた内容を全く覚えてないって怖くないか?? それがしょっちゅう起きてました。
かろうじて仕事面では健忘が起きず、プライベートな面でだけ健忘が起きており、まるで仮面ライダーリバイス終盤の五十嵐一輝が人を守る為に戦う度に自分の記憶が消えていく、そんな感じでした。

崩れてく体型、体重、過酷になる仕事、そんな中1つの転機がありました。

5 転職と摂食障害寛解の兆し

色々限界ヤベーイ状態な日々で10月頃1つの転機がありました。
家庭の事情が変わったのです。(ここでは割愛)
実家暮らし女なのでまあ色々あるわけで仕事を続けようと思えば続けられるし辞めようと思えば辞められるし…というきっかけが生まれました。

今までの自分だったら(正直かなり辛いけど頑張ろう、気合い気合い)で誤魔化してましたが…実際所謂、部署のリーダー的な存在でもあったので無責任な事は出来ません。が、流石に心理のどこかで自分を守ろうとしたのでしょう。
引き継ぎなどを万全にした上での退職を決意しました。

ちなみに何度理由を話しても「そこをなんとか…」で退職届がなかなか受け入れられない王道な展開でした。
まるでどうぶつの森の引越ししそうな住人を引き留めるやり取りみたいなしつこい同じやり取りの果てに向こう側が折れてくれたので良かったですけど…(条件満たしてるのに退職届受理されないって地味に労基違反では??)

そしてなんだかんだありましたが無事に退職。(その後も何故かしつこく電話が来たり色々あったのはまた別の話)

それからすぐ、家庭の方も落ち着き、自分も自分を見つめ直し「やりたい事」「好きなこと」をできる仕事を見つけ、ご縁があってそこで働けています。

転職後の職場はまさにやさしい世界を具現化したような環境で福利厚生もしっかりきっちり、ストレス源はまるでありませんでした。
そして通勤環境も変わって都会に毎日出ていくような状況で色んな人を見かけるようになりました。

「推し活でキラキラしてる人」「ぽっちゃりしてても友達や彼氏と楽しそうにしてる人」「体型気にせず着たい服を来ている海外の人」「楽しそうにショッピングするおばちゃん」

こんなに色んな人がいて色んな選択肢も、楽しい事も探せるのに自分だけ「体重」「カロリー」「体型」に一生囚われるのか???と初めての疑問と抵抗心が生まれました。

この作家さんの漫画で例えるならまさに「自分のなかの神様」に初めて抵抗した瞬間でした。

そして思ったのです。
食べようと。

過食以外でのお米摂取をしたのはほぼほぼ1年と少しぶりだったと思います。
やり直しの最初に食べたのはスーパーに売ってるなんも変哲もない小さな「かしわめし」
今でも忘れられません。

そして日常的に食べ始めた時厳しく言えば今までのツケ、軽い再栄養症候群が起きました。
顔がパンパンになりやすくてとにかく尻と太ももが大きくなり辛かったのは確かです。

ですが、「体型は大事ではあるが全てではない」「食べないと仕事や趣味に支障が出る、それは心から嫌だ」この気持ちが根本に出来ていたので、仮に食べすぎても自分を責めすぎない、とはいえずっとやりたい放題してたら摂食障害こじらせる前の服までもが入らなくなったり…ってことが起きる事を危惧し、普段の食事を「制限」でなく「気をつける」にシフトすることにしました。

例えば夕飯、糖質なるべく摂らない代わりに脂質タンパク質は制限かけないとか、やっぱり糖質をグンッと摂ることに抵抗があるのでその代わり肉をたっぷり食べるとか。
 
その生活スタイルでいたら時々失敗しつつも自然と色々安定してきました。

そして…

なんということでしょう、推し活をしたぞ!美味しいものも食べたぞ!(この日クソデカパンケーキ食べた)
って時、1年半以上だんまりだった月経が帰ってきたのです。

正直当時は複雑でした。とにかく重いタイプで無い方が清々してた人間なので…しかし、骨粗鬆症リスクを考えると帰ってきてくれて良かったと思います。

最後に これからのこと

自らが経験した摂食障害について長らく語ってしまいましたが…総括すると

・程々のダイエットなら良い、しかし過度にやると人生楽しめない
・体重、体型はある程度大事でも、好きなことを犠牲にしてまで減らすものでも無い
・引き摺れば引きずる程地獄だから早く目を覚まして

ワシの場合、見た目を気にする人間という素質&元職場のストレスで摂食障害を本格的に拗らせ、ストレス元を絶ったことで寛解の道を辿ってます。

病院には全く行かなかったため完全寛解したとはいえず後遺症もたくさんあります。だからこそ摂食障害になってほしくない。

・摂食障害発症前より物忘れが酷いまま治らない
・パニックになりやすくなった
・無月経の期間が長かったせいでPMSが酷い
・階段が上手く登れない…階段イップスを起こすことが頻繁になった
・普通の道を歩いてても足をとられてつまづくことが増えた
・肥える事に対して恐怖感は捨てきれない感情

実は今もこれらと戦ってます。
でも


時々辛いことはあっても、好きな仕事、推し事もできるようになれてとっても幸せです。


コロナ禍後で摂食障害が増えてる、小学生にも…っていう記事を見る度にワタクシよりはるか年上の摂食障害のブロガーさんたちで摂食障害のまま歳をとり毎日が過食嘔吐しかなくなってしまった。
綺麗になりたかったのに歳の割にシミだらけになってしまった。
無月経のせいで骨粗鬆症、上手く歩けなくなった。

という方々の事を思い悲しくなります。中にはこれを読んで反面教師にして!と記事を書いてる人もいました。若いうちに摂食障害になるということは自分で将来の絶望の予約をしているようなものですから。
本当に長引けば長引くほど怖い病です。

最後の最後まで駄文を散らしましたがこれだけ。

オタク、オタクでなくてもみんな健全であれ。


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