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教員にならないという選択の先で、教員の世界を変えたいと願った

ぼくは高校時代、学年席次はいつもビリから2~3番目でした。高1の1学期末の数学なんて、6点でしたからね。もちろん100点満点ですよ。w
学年進級も先生たちのお情けでできたようなもんです。落ちこぼれの中の落ちこぼれでした。

だから高校時代の友人に、今の職業を伝えると皆、口をそろえて言います。

「お前が塾講師!?え、日本、大丈夫…?」

・・・そこまで言わんでも。w


学校の先生になりたい…?


そんな落ちこぼれの小学校からの夢が
「学校の先生になること」でした。

大学生の頃、教員になりたかったぼくは、長年教師をなすっている方にお話を聞く機会がありました。その先生は教員になってからの数々の苦労を聞かせてくれました。

先生「これ見てみ。先生が20代の頃から30年も使ってる板書ノートや。20代の時、一生懸命勉強して、飯食うてる最中も寝る間も惜しんで板書を作って、それを記してあるんや。今もずっと授業で使ってる。だからもうボロボロでなあ。」

そう仰って愛おしそうに、ノートを撫でていらっしゃいました。


その時に思いました。

絶対、教師にはなるまいと。


だって板書内容ほとんどアップデートしてへんって、どういうことなん!!学習指導要領も教科書も、30年でどんだけ変わったと思ってんのさ!!


先生は毎日、代謝しないといけない。
子どもが日々成長してるのに、先生が成長しないで何とする!
子どもが好きなことを我慢してまで勉強してるのに、先生が勉強せんでどーすんの!!

放課後に世間話する時間があるのなら、板書を見直しましょうよ。話術を磨きましょうよ。ICTの勉強しましょうよ。教材研究しましょうよ。

一発で全員を満足させる授業、しましょうよ。
何を諦めてるんですか、大人のくせに。
大人はもうでっかくならんと思ったら
大間違いやで。


・・・さて、世の学生たちのうっぷんは
これで少しは晴れたかしら。w


世界を救うのは、学校の先生


これだけこき下ろしておいて何ですが
ぼくは学校の先生という職業は

聖職やと思っています。

ぼくみたいな塾講師と違ってプライベート時間の相当数を生徒に割いて、時には家庭の事情にも踏み込んで、学級経営もして、授業研究もして、テストも作って評価もして、会議もしてアレもコレも・・・

こんなん、誰にでもできることやないですよ。先生たちには頭が上がりません。ぼくたちがこうして塾講師をやっていられるのも、公教育あってこそ、学校の先生方がいてこそできることなんです。


・・・悪いのは先生やないんです。きっと最初は凄まじい情熱をもって、やりたいこともたくさんあって、先生になった人たちがほとんどだと思います。

でも現実はそんなに甘くなくて、やりたいことの前にやらなければならないことがたくさんあって、突発案件なんて1日に何件も起こるし、処理にマニュアルなんてないですから時間も労力も多分にかかる。

だからいつの間にか、やりたいことを忘れてしまう。自分のやりたいことよりも、目の前の生徒を優先してしまう。
困っている生徒のために一生懸命やることに満足してしまって、それを

「やらない」ことの言い訳にしている。無意識に。

だって生徒のために頑張る先生って、美徳やないですか。あまりに眩しすぎて、周りが見えづらい。

明るいところから暗いところって、全然見えないんですよ。先生たち、自らが輝きすぎなんです。取りこぼしに気づかず、壊れてしまう自分の未来も見えず・・・。

そんな先生を量産してしまう仕組みにこそ、大きな問題がある。



学校の先生のキャリア


先生ってね、

小学校→中学校→高校→大学→学校に戻る

っていうキャリアなのよ。学校から出ない。
そうなれば社会情勢にも疎くなるし、金勘定も意識しづらいし、ビジネスパーソンとしての意識も持ちにくい。
グローバル人材なんて自分には関係ないと思っている先生も多いんやないかしら。


でも日本の先生って超!優秀なんです。
決して嫌味ではなく、心から尊敬しています。

何が優秀って、心が本当に優秀。
勤勉で熱心で、子どものために労力を惜しまない。

でも真面目がゆえに、頑張りすぎてしまう。
体か心か、その両方を壊してしまうまで。


大学の教職課程では授業の方法を学びます。
チョークの持ち方、板書計画、カリキュラムの作成…
でも学級経営について学んだ記憶はありません。ましてや業務管理やプロセス改善なんて学ぶはずもなく、気合と根性で何とかしている先生も多いんやないかしら。


先生たちにもっと、生徒と向き合う時間を。


そのためにはぼくのような、
教育にずっぷりの企業戦士が介入するべきでは。


「生徒のため」という呪いから、
もうそろそろ解けてもいいのでは。


「生徒のため」に自分をすり減らすのは、
生徒たちも望んでいないのでは。


進路相談も懇談準備も、
職員会議も日常の業務も、
絶対もっと少ない負担で
もっと良い結果を出せるはず。

そうすればもっと多くの生徒に関われるし
新しいプロジェクトにも手が伸びる。


先生っていうのは、超人ではありません。まれに超人的な先生はいらっしゃっても

9割の先生たちは「普通の人」です。
無理がたたれば体調を崩すし、世界を変えたい!とまでは考えていない人も多いでしょう。

だから、お手伝いしたい。
手のかかる仕事はぼくに任せて、
思いっきり生徒たちのために
時間を使ってほしい。

ぼく自身も、子どもに携わることは大好きです。
でもぼく1人で抱えられる子どもの数は
それほど多くないでしょう。

でも生まれたときは2本しかない腕も、
工夫次第で4本にも6本にもなれるはず。

額に汗をかくだけでは報われない時代です。
脳みそにも汗をかいていきましょう。


だから、仕組みから変えていかなければ。
保護者の方々も含めて地域の大人全員の
教育への意識を変えていかなければ。

地域に住む大人総出で、
子どもたちの面倒を見なければ。

そのためには子どもたちの手も
借りていかなければ。


ぼくにできることなら、何でもしまっせ。
多少の無理くらい、むしろ面白がります。

さあ、ぼくと一緒に
まずは何から始めましょうか?

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