危険の境目

先日、ボティガードの加藤さんの言葉でなるほどと思った。

『わたし日頃から「危うきに近づかないのが、最大の護身術」と公言してます。しかしケンカを知らないと「何が危うきなのか?」が、よく分からんのです』

パーソナルスペースが全くない日本人も多くいて(都市部は特に)他人と間合いをとらない。日頃から模擬ケンカをしていないと、危険な感覚というのは分からないもので、そのために武術や格闘技の意味がある。日本はもはや安全な国ではない。

昭和の頃ならケンカも分かりやすかったし正々堂々としていたが、いまではどこからがケンカか境界線が分からなくなっているし何が飛び出てくるか分からない。犯罪も昔のほうが分かりやすかったように感じる。

日本は表面的に平和なので危ない気配や違和感を感じられる人が少ない。政治家が近隣諸国からの威嚇に無反応なのは、優等生育ちで危険を経験してこなかった鈍感さが原因。ケンカしたり争ったりした事の無い人に「注意しなさい」と言っても、何を注意していいのか、どこからが危ない領域なのかを直感できない。優等生よりもヤンチャな奴のほうが仕事ができるのも「仕事は勝負事(ケンカ)」だからだ。

危ない目にあった経験はその後の人生に活きてくる。そこに至る前に処理してしまえば、事件にもケンカにもならない。「武術や武道なんて実戦には役立たない」というが、それは相手に掛ける技だけを見ているから。護身術の9割は事前回避のテクニック、あとの1割が技を使った対処法。そのために違和感、目付け、残心、間合いなどを癖にできる所が武術や格闘技の利点。

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