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他者を否定したがるのは自分を否定しているから

■否定したがる人の背景を探る

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「あれはダメだ」「これは止めろ」

怒りや哀しみを抱いたまま、こうした否定の言葉をなげかける

こんな規制で溢れる世の中は、嫌だなぁと僕は思う

ただ、これらの「ダメ・止めろ」という言葉を発する人の感情をたどっていくと、それはきっと『なんか嫌だ』なのかもしれない、とも思うのだ

それは嫌だなぁという自分の感情が、いつの間にか、それはダメだという否定の言葉へと移り変わっていく

そこには、一体どんな背景があるのだろうか?

それを探るために、僕自身の経験を遡ってみようと思う

■居酒屋店員として体感した酔っ払いの性

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かつて僕は、朝5時まで毎日営業している居酒屋チェーンで働いていたことがある

そのお店は安さと速さと美味さを売りにしていたけれど、根底には「接客応対でお客様をおもてなしする」という精神があったので、そこで学べることが多かったし、心底仕事を楽しんでいたんよね

朝まで営業していれば、当然色んなお客さんが来るし、深酒をしている人も多かった

例えば・・・

①モテようとしちゃうや〜つ

異性がいる前では店員にめちゃくちゃ優しいのに、同性だけになった瞬間、急に横柄な態度になる人(男女問わず)

②メイドごっこ&執事ごっこしちゃうや〜つ

話しかけやすい店員を見つけると、何度も呼びかけたり話を続けて、自分のお世話をさせようとする人

③今日だけは帰りたくないや〜つ

営業時間が過ぎて退店を促しに何度声をかけても、帰ろうとしない人

こうして例に挙げただけでなく、酔っ払っているお客さんの中には、そこまで怒鳴らなくてもよいのでは?と思うくらい怒鳴られたことも、数え切れないほどある

(クレームやご指摘には、こちらが謝るべきことを真摯に謝罪して、それでも収まらない怒りは丁重に受け流しておりました)

たいていのお客さんは、「こちらのこの対応が悪かったです。ごめんなさい。」という意図が伝われば、話を前に進めてくれるものだ

(怒っている相手が、どんなことを嫌だと感じたのかを見定めて、そこへピンポイントで謝罪することを大切にしておりました)

謝罪の気持ちが伝われば、『なんか嫌だな』という気持ちは和らぐもの

だけれど、中には怒りが収まらず「この店はダメだ!許せない!」と否定を続けるお客さんもいる

(お店の段取りや店員の態度が悪いこともあるけれど、それと同じくらい、理不尽に怒るお客さんも多いんだよ〜)

・・・酔っ払ってくると本性が垣間見えると言われるけれど、「普段は抑えている欲望が抑えられなくなってくるのだろうなぁ」と、僕にはそう感じられたんよね

では、怒りが沈むことなく否定を続ける人には、いったいどんな欲望があったんだろう?

■何かに支配されている人々

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先ほど例にあげたお客さんたちは、その背景にどんな欲望を抱えていたのかを、掘り返してみたいと思う

①モテようとしちゃうや〜つ
⇒異性の前では良い子ちゃん

⇒異性に好かれる自分や、こうしたらモテる!という条件に縛られている人たち。だけれど、本当は無理して笑顔を作ったり優しくしたりではなく、相手を自分の好きなように弄びたいという欲望があるんかなぁ

⇒ケバめのお姉さんや盛り上がっていない合コンの男たちに多かったよ〜

メイドごっこ&執事ごっこしちゃうや〜つ
⇒店員さんかまってー!ちゃん

⇒普段は自分の話を聞いてもらえる相手がいないし、たとえ相手がいても自分の話を聞いてもらえている実感がないから、ホントはもっと話したい!という欲望があるんかなぁ

⇒一人で来ているご老人や家庭を持っているであろうオジサン集団に多かったよ〜

③今日だけは帰りたくないや〜つ
⇒寂しがりやちゃん


⇒普段はお家や会社で自分らしくいられる空間がなかったり、家に「自分の居場所感」を感じることができないから、居心地の良いこの時間を少しでも長く続けたい!という欲望があるんかなぁ

⇒ヤンキー系の若者やサラリーマンに多かったよ〜

・・・こういった欲望があるのではないかな?と推察してみました

例に挙げたお客さんたちの共通点は、「店員さんを支配しようとしている」ということなんよね

そして酔っ払っていない状態の普段は、『何かに支配されている』ということを、根っこに抱えているのかもしれない

自分はこうしたい!という意思よりも、周りの言うことを鵜呑みにしたり、意思があっても抑えつけられているから、その反動として酔った勢いやお客の立場を利用して店員を支配しようとするんかなぁ

・・・これこそが、他者への否定を続ける人の正体なのではないだろうか?

つまり、「自分がない」「自分が何者か分からない」からこそ、他者から支配されることを受け入れ、もしくは支配されることを自ら望んでしまう

自分がないということはとても不安な状態だから、その穴を他者からの支配で埋めようとする

支配されていると、その分自分も何かを支配したくなってくるから、他者を否定しだす

何かを否定することでしか、自分を保てなくなるんよね

自分を持っていないから、「なんか嫌だな」と感じたものを否定することで、その”否定できるというポジション”を自らの一時的なアイデンティティーとして身につける

それは結局、自分という存在の軸が常に他者にあるから、何かに支配され続け、否定を重ねることでしか自分を生きられなくなってしまう

・・・否定ばかりの世の中は嫌だけれど、否定を続ける人にも、こうした理由がきっとあるはずだ

居酒屋で酔っ払って悪態をつく人たちは、普段は何かに抑圧されて生きているのかもしれない

それに対して、マナーを守れ!とさらなる抑圧をかけたところで、その欲望のはけ口は、コンビニやカラオケ、はたまたあおり運転へと向いてしまうかもしれない

(明け方のカラオケって地獄絵図だよね泣)

かといって店員側も、「お客様のために!」と全てを受け入れる必要はなくて、嫌なものは嫌だと声を発することが大切だ

・・・つまるところ、自分がどんな環境にいたとしても、嫌だ!という感情を丁寧に扱わないと、どこかにしわ寄せがくるということ

それを笑顔で包み込んでも、ネガティブな感情はいずれ滲み出てきてしまう

そして他者を否定する際には、喜びや楽しさにも似た「一瞬の気持ちよさ」がある

あまり想像したくないけれど、「笑顔で他者を否定する」ようなことだってあるわけだ

(嘲笑している時って笑みを浮かべているよね)

だからこそ、喜びや楽しさだけでなく、怒りや哀しみといった感情と自ら向き合うことで、その先に心からの笑顔が待っているのではないだろうか?

■【さいごに】一瞬だけ気持ちよくなるのではなく感じきる

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否定で溢れる世の中の雰囲気を吹き飛ばしたいから、「とにかく笑顔でいよう!」と、怒りや哀しみを自分から遠ざけたくなることもあるかもしれない

たしかに、笑顔を無理矢理にでも作ることで、幸せな気分になってくることもあるのは間違いないんよね

ただし、そこで怒りや哀しみを悪者にしてしまう必要もないと思う

怒りや哀しみといった自分の感情を否定していると、いずれは、他者へと否定の矛先が向いてしまうから

・・・ちなみに、アイドルやアーティストが「笑顔でいることの大切さ」を歌っていても、自分があまり知らない歌手だったら、そのセリフって心に響きにくいよね

それは、その歌手の歩んできたストーリー(背景)と、自分のストーリーに共鳴する部分を感じることができていないから

その歌手が「なぜ笑顔で歌い続けるのか」という背景を知った途端に、歌詞が入ってくることもある

・・・誰しも笑顔でいられない時はあって、そこには怒りや哀しみもあったはずだ

だけれど、それに対して自分で向き合ったからこそ、より大きな喜びや楽しさを抱いて笑顔になることができている

・・・歌手だけでなく、一般の僕らだってそれは同じはずだ

自分の感情と真摯に向き合っていると、もう少しで浮上できそうなタイミングがきっとやってくる

そんな時に「笑顔でいようよ!」という音楽に触れると、今までのネガティブな感情を全て肯定できて、より深い喜びがやってくる。

だからこそ、「笑顔の大切さ」を歌い続ける歌手の方も素敵なんよね

・・・喜怒哀楽すべての感情を自ら丁寧に扱うことで、笑顔は温かくなるし、目尻のシワは増えていく

自分の感情を大切にすることができれば、嫌だと感じたことは素直に嫌だと発し、それを「相手がダメだ」と否定に置き換えることは少なくなっていくはず

きっと他者への否定が多い人は、自分の感情を大切にできていないんだ

「自分は嫌だ!」でいいのに、『相手がダメだ!』とすり替えて、自らの感情を軽く扱い、嫌だ!に高尚な理屈を後付して、自己をおざなりにしてしまう

周りの感情に同調したり、自分が「一瞬だけ気持ちよくなる感情」ばかりを優遇してしまう

自分の感情を大切にできていない時には、怒りや哀しみといったネガティブな感情を他者へ向けてしまった方が、簡単に気持ちよくなれるからね

・・・その一方で、とにかく笑顔でいようとすると、どうしてもポジティブな感情ばかりが目について、ネガティブな感情は冷遇されてしまう

どんな感情であっても、1つ1つを大切にすることで、それがさらなる笑顔に繋がっていくんだよということを大切に、自分を否定しないところから、まず始めたいな

・・・読んで頂き、ありがとうございます(*^^*)

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【軟水のたそがれ】
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このnoteは筆者のツイートを深堀りするエッセイです。
※毎週日曜日の夜に更新!

新たな1週間が始まる前に、何か大切なことに気がつくキッカケになれば嬉しいなと思っています(*^^*)

水はあらゆる流れに身を投じることができるし、自ら流れを作ることもできる

世の中の動きに流されるのではなく、「主体的に流れること」を大切にしたい

そんなおもいを込めています

・・・読んで頂きありがとうございました(*^^*)

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