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なめらかな選択の積み重ねで自由に働く

本日は『自由に働くこと』について、考えを巡らせてみようと思う。

僕が自由を実感する時の一例としては、上司から仕事を任されて、「この仕事の目的はこれをすることだよ」と教えてもらい、その目的を達成しようと懸命に励んでいる時が挙げられる。

この時に大事なのは、「怪我をするから、これはしてはいけない」とか、「製品としての質を落としてしまうから、これはしてはいけない」という制約を課せられ、それを守った上で、『僕がどう進めるか?』については上司から何も口出しされないということ。

仕事とは、制約を守った上で目的が達成されることが大事なはずで、その手段にまで介入されるのは、価値観を押し付けられているように僕は感じてしまうからだ。

「私(上司)がその仕事をした時はこんなことが起こったよ」という『経験』は有り難く頂戴するのだけれど、「こうじゃなきゃダメだよ!(こうしてもらった方が指導する私にとって好ましいから)」という『価値観』については、安易に受け取らないようにしている。

普段から、コチラの抱いた価値観を尊重する姿勢を示してくれる人が伝えてくれる価値観は、むしろ受け取りたくなる。

制約というある種の不自由さがあって、その不自由を受け入れた上で、仕事がはかどるための自分なりのペースを全うさせてもらえる時に、自由を感じるんだ。

そこには、僕自身に『責任』があるから。

仕事を「信じて任せてもらえた」上に、自ら責任を全うできる環境を提供してもらうことで、僕は自由を抱くんだ。

・・・ところで、今の僕が働いている職場は町工場で、製品をつくっているメーカー。

ここでの仕事は、いわゆる『芸術家』ではなく『技術屋』の部類。

だからこそ、僕らの仕事においては、多様性よりも単一性が求められる。

「自分はこうしたいんです」という自由な想いがあったとしても、職人としての仕事を全うするために我を抑えるということが時には大切で、そうした自由への葛藤と戦いながら強く成長していきたいと、今の僕はそう思っている。

ただし、僕らの仕事はひとりでこなせるものではなく『チーム』で動いているものだ。

チーム内で、それぞれがどんな仕事をしているのかをお互いに知らないということも、往々にして起こる。

それぞれの作業に、プロの職人がいるからだ。

だからこそ、技術的な仕事においては製品の単一性を整えることが大事だけれど、職場の人間関係においては仲間ひとりひとりの多様性をどれだけ認め合えるか?が、カギになってくると僕は考えている。

多様性も単一性も、それ自体が目的になるわけではない。

「良質な製品を完成させる」という共通の目的を達成するための手段として、ここは多様性が重要なのか?ここは単一性が重要なのか?を吟味し、なめらかに選択していくことで、自由な働き方の幅がゆるやかに拡がっていくのだと思う。

そして、人間関係を育むためには、「同じ経験を共有すること」と「価値観をすり合わせること」が必要になってくる。

価値観とは、「これが好ましい/好ましくない」という、経験したことに対して自分がどんな価値を抱いたか?という観想のこと。

互いの価値観をすり合わせる際に必要なものは『同じ経験』であり、相手が経験する前に自分の価値観を伝えようとしても、まず伝わらない。

「私はこんな経験をしたよ」という体験を伝えることと、「絶対こうした方がいい!」という自分の価値観を伝えることをごちゃまぜにしてしまうということが、上司と部下の間や子育ての際などに起こりがちだ。

(例えば)

「ピーマンは美味しいから食べたほうがいい」という自分の価値観を食わず嫌いをしている子どもに伝えようと、「意外と美味しいから、とにかく一口食べてみて!」と言うこともあるけれど、なかなか伝わらないと思う。

その時に自分が伝えることができる(相手に伝わる可能性がある)のは、「私はピーマンにマヨネーズをかけて食べたら美味しかった」というような『経験』だけだから。

経験は今すぐに伝えることができるけれど、「ピーマンは美味しい」という価値観が伝わるのは、子どもが大人になってからかもしれないし、それは分からない。

(普段から、子どもの抱く多様な価値観を尊重する姿勢を示していないと、大人の価値観も伝わらない。)

子どもが食わず嫌いをしているのは、身の回りの友達やテレビなどから「ピーマンを食べたらマズかった」という体験を見聞きしたからという可能性もあるわけで、それと同じように、「ピーマンを食べたら美味しかった」という体験を伝え続け、本人が同じ経験を共有したいと思えるまで待つしかない。

相手がたまたま自分と近しい価値観を抱いていたらラッキーだけれど、それは自分の価値観が伝わったわけではなく、たまたま近かったというだけの話だ。

互いの価値観をすり合わせるためには、まず同じ経験をしてみないと、何も始まらないし、伝わらない。

・・・このように、自由に働くために多様性が必要な場合には、共感することが大切になってくると僕は思う。

ここでいう『共感』とは、「自分で誰かの靴を履いてみること」を指していて、他者の立場になって考えるということ。

やはり、そこで求められるものは「仲間を信じること」であり、信じて頼り、信じて任し、信じて託すという心豊かな営みだ。

アドバイスをくれた上司の言葉を信じ、仕事を任せた部下のことを信じる、というような信頼関係や心理的な安全性が、自由に働く上で最も大切なことだと僕は思っている。

明日からまた仕事が始まるけれど、この気持を忘れず、心強く、精進していこう。

・・・読んで頂きありがとうございます(*^^*)

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【軟水のたそがれ】
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このnoteは筆者の思想を深堀りするエッセイです。
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