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夕凪のもと移ろいゆく感情を共に感じる

空の色や雲の形がゆらゆらと移ろうだけでなく、空を眺めた時の心境によって、僕らの感じ方も移ろいゆくものだ

美しい夕焼けを眺めた際に、「お疲れ様、自分!」と今宵の晩酌に浮足立つ人もいれば、「子どもたちが帰ってくる!」とせかせかと夕飯の支度を始める人もいる

こういった感じ方の違いは比較的身近に起こりうることで、想像するのは容易いはず

(こんなツイートをしてみたら、色んな感想を貰いました(^^))

・・・ここで、少し視点を変えてみよう

僕自身は夕焼けを「美しい」と感じることが多いのだけれど、例えばアフリカの砂漠地帯で暮らす人や、肉食の野生動物が周りにいるサバンナのような環境であれば、夕焼けは「死へのカウントダウン」を意味する不吉な光景でもある

日が沈む前に安全な寝床を確保しなければならないし、暗闇に紛れて襲ってくる外敵から身を守らなければならないからだ

「夜の恐怖」を知っていれば、夕焼けはこれから訪れる災いの前触れにしかなりえないと感じる人も世界のどこかにいる

・・・さて

僕が夕焼けを眺めて「綺麗だなぁ 美しいなぁ」と感じるのは、なぜだろう?

少しだけ自分の過去を思い起こしてみようと思うので、お付き合いくださいませ

例えば、子どもの頃に体験した夕焼けの思い出を振り返ってみると、正直そんなに覚えてはいないんよね

夕暮れ時に友達と外でワイワイ遊んでいて、その時キレイな夕焼けが空に”あったような気がする”くらいかな

当時は遊ぶことに夢中で、空を見上げる機会なんて少なかったから、確かなことは分からない

また、中学高校の放課後を思い起こすと、それはちょうど夕焼けが際立つ時間帯だったなぁ

あの頃はサッカー部でバリバリ頑張っていて、夏に練習が終わる頃が、ちょうど夕暮れ時

しんどい練習が終わって、家に帰ってご飯が食べられる!とお腹を空かしてワクワクしていたその時、きっと空にはキレイな夕焼けが”あったはず”なんよね

正直、早く帰ることに夢中で覚えていないけど

・・・こんな感じで、昔は夕焼けにはそこまで関心がなかったのにもかかわらず、今では夕焼けを眺めて感動し、時には涙も流すようになった

『綺麗な夕焼け』は、昔も今も変わらずそこにあったはずなのに、、

つまるところ、夕焼けを綺麗な光景として彩っているのは、僕自身の「思い出」なんよね

思い出とは、過去に重ねてきた「経験」と「感情」のグラデーション

大人になった僕が夕焼けを眺めて感動する時というのは、かつて夕焼け空の下で過ごしていた「過去の自分の感情」を、「現在の自分の感情」に移入している感じ

(なんだかRADWIMPS的な世界観になってきて、伝わりづらかったらごめんなさい汗)

これって、夕焼けを眺めることが僕の中でスイッチになって、現在の僕が過去の自分に対して『共感』(Empathy)を向けているような、そんな感じだ

・・・ちなみに、共感(Empathy)と同情(Sympathy)は、似ているけど違う

「シンパシーを感じる」という日本語の意味は、自分と相手の感情が全く同じ時だ!ということ

それとは違って、お互いの気持ちが同じであろうが別であろうが、相手の感情を自分に移入するのが『共感』なんよね

現在の僕が夕焼けを眺めている時の感情と、過去の僕が夕焼けを眺めていた時の感情は違うから、同情ではなく共感をしているわけだ

過去の自分に共感するって、何だか変な感じだけどね汗

子どもの頃を懐かしんで、楽しかったあの頃を思い返して何だか淋しくなったり、辛かった当時のことを思い出してセンチになったりもする

だけどそれは決してネガティブな時間ではなく、むしろ美しい時間だ

・・・さてさて!ここらでもう終わりにします

大人になった僕が夕焼けを眺めて「綺麗だなぁ」と感動するのは、『共感』をしているからに他ならない

自分の感情を噛みしめるだけでなく、過去の自分や他者の心に共感を向けるという『温かな態度』が、夕焼けをより綺麗に、より美しく魅せているのだと、僕は思うんよね

夕焼けを眺めて喜びを抱く人もいれば、寂しさを覚える人もいれば、死を意識する人もいる

そういった様々な感情を自らに移入して『共感』を示すことは、他者へのより深い理解であったり、多様性の幅を広げることに繋がっていくはずだ

僕はこの1年ほどスマホ片手に自然の風景を撮り回っていて、様々な感情をその風景に重ねてきた

自分の感情だけでなく、他者の気持ちをより深く理解したい時にもね

世界中のどこに住んでいたって似たような風景は観ることができるから、「経験」は共有しやすい

だけど『感情』はそれぞれ違うし、移ろいやすいものでもあるから、丁寧に共有していかないと、伝わらないし受け取れない

同じ感情を抱く瞬間”だけ”を求め続けていたら、きっと相手に同情を求めてしまうし、それは心からの同情ではないから、いつか傷つくのは自分だ

「お前もそう思うだろ?」という同調圧力に従う必要はないし、「私はこう感じます!」と自分に素直になることで、「あなたはそう感じるんですね〜」と、相手の感情に心からの共感を向けることができるんよね

互いに同じ風景を眺め経験をシェアしながら、感情のグラデーションをやわらかく調整し、共に感じようとする姿勢ほど、美しいものはないと僕は思う

・・・今週も読んで頂きありがとうございます!

では、またいつかどこかで(*^^*)

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【軟水のたそがれ】
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このnoteは筆者のツイートを深堀りするエッセイです。
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