「卒業/尾崎豊」から学ぶ『わがままでいることの価値』
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◯◯から学ぶ●●
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『◯◯から学ぶ●●』と題して、毎週水曜日に更新しています。
僕が好きな本やマンガ、映画、音楽などから学んだことを綴っていくような感じです!
今回取り上げるのは、
尾崎豊の名曲【卒業】です!
さっそく深堀りしていきましょー!
■卒業したら自由になれる?
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大人を信じることができず、その「支配」からの『卒業』を目指した若者の歌ですね!
「夜の校舎窓ガラス壊して回った」という歌詞があまりにも有名ですが、この曲には大切なことが詰まっているなぁと感じます(*^^*)
⇓歌詞と解釈をピックアップしていきます!
人は誰も縛られた かよわき子羊ならば
先生あなたは かよわき大人の代弁者なのか
・・・若者は、大人(先生)の支配から早く卒業したい。
だけど、大人(先生)も何かに縛られている?
俺たちの怒り どこへ向かうべきなのか
これからは 何が俺を縛りつけるのだろう
・・・若者を卒業して「大人」になったとしても、今後の自分は「大人として何かに縛られる」ことになる?
「俺たちを支配するな!」と大人へ怒りを向けたとしても、卒業していざ自分が大人になったら、その怒りは「別の人(若者)を支配すること」に向いてしまう?
あと何度自分自身 卒業すれば
本当の自分に たどりつけるだろう
・・・学校を卒業したから、若者を卒業したから、「支配」から卒業できるわけではない。
卒業したからといって、『本当の自分』が見つかるわけじゃあない。
仕組まれた自由に 誰も気づかずに
あがいた日々も 終る
・・・「この支配の中から、自由になりなさい!」と、僕らは自由を仕組まれている?
支配という「不自由」を与えられて、その中で大人と戦って、自分なりの『自由』を手に入れようとするけれど、、、
あれはやってもいいけど、これはやったらダメだと、元々『制限された自由』を仕組まれているのに、それを手に入れだだけでは、本当の自由は得られない?
この支配からの 卒業
戦いからの 卒業
「自由を得るために戦う」とか、戦わなければいけないことが、そもそも自由じゃない。
支配に影響を受けず、戦う必要もなくなった時に初めて、自分自身を卒業できる??
■『仕組まれた自由』とは?
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僕は子どもの頃、「早く大人になって自由になりたいなぁ」と思っていた。
だけど、いざ大人になってみたら、大人はそこまで自由じゃなかったんよね。
例えば僕は、子どもの頃に遊園地へ行ったら、年齢制限や身長制限がある乗り物に乗れなかった。
それに乗ることができる大人が「自由」で羨ましかった。
・・・だけどそれが、『仕組まれた自由』だったのかもしれないと、今では思う。
年齢や身長といった制限で「支配」されていたからこそ、僕は「早く大人になること」を望んだ。
歳を重ねたり身長を伸ばせば、「自由」に遊ぶことができるからね。
だけど、本当に僕が『自由』であるならば、年齢や身長に関係なく、その乗り物に乗れるはずだ。
「嫌だ嫌だー!」と駄々をこねてみたり、「身長制限のルールを変えて!」と、その支配と戦う方法もある。
だけど、もしそこで「特別に乗せてあげる」と許されたり、「ルールを変えよう」となって、戦いに勝ったとしてもさ。
その時に僕が得るものは、『仕組まれた自由』なんよね。
・・・『仕組まれていない自由』という、本当の自由があるとすれば、戦う必要なんてないからね。
こうして大人になって、遊園地の乗り物は乗り放題の自由を得たわけだけれど、今の僕には「自由になった実感」はまるでない。
・・・だからこそ、大人になったからといって、自由になれるわけではないんよね。
■【さいごに】意思なく戦わない
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では、本当の意味で『自由』になるためにはどうしたらいいのか?
僕なりの結論は、コレです!
(自由を得るためには)
①他人を支配しない&支配されないこと
②意思なく戦わないこと
・・・この2つが大切かなぁと。
自由って、「わがまま」な状態だと思うんですよね。
そしてその「わがまま」にも、『我がまま』と『ワガママ』があると思っています(^^)
(我がまま)
⇒自分のあるがままの状態。やりたいことをやっている状態。
(ワガママ)
⇒他人の我がままに対して、自分が抱く気持ち。「あの人はワガママだなぁ」みたいな。
他人や世間が求めることだったり、やりたくもないことではなく、『我がまま』でいられることを見つけて、人目を気にせずやってみる。
その様子は他人から見たら、時に『ワガママ』に見えるかもしれない。
だけどそこで『我がまま』を貫かなかったら、他人の目に支配されていることになるから、気にしない。
こうして自分が『我がまま』を貫くのだから、他人の『ワガママ』な行動も許容する。
他人が『我がままでいられる』ように、尊重する。支配しない。
・・・だけど時には、自分の『我がまま』と他人の『我がまま』がぶつかる瞬間もある。
目的が被ってしまった時は、戦うしかない。
でもそれは「相手のワガママを正すため」ではなく、「自分の我がままを貫くため」に戦う。
『意思なき戦い』は、しない。
「相手が悪いから」で戦ってしまうと、自分の意思ではなくなってしまうから。
(例えば)
ワンピースでルフィが「俺は海賊王になる!」と我がままを貫こうとしている時に、「海賊王になるのは俺だ!」という相手が現れたら、戦うしかないよね。
戦わなければ、自分の我がままが叶わずに、支配されてしまうから。
「海賊王になりたいと言ってるあいつが悪い!」から戦うのではなく、「海賊王になる!という自分の意思を貫くため」に戦うことが大切。
・・・だからワンピースは、敵と味方が入れ替わったりするんよね(^^)
・・・ということで!
他人を支配しないし、支配もされないし、自分の意思を持って戦っていこう!という自由への決意でした(*^^*)
「自分を卒業する」とは、「自分の意思を持とう!」ということで、一旦は結論づけたいと思います。
尾崎豊とルフィに、俺はなる!!!
卒業しますー!(何を!?)
はーい!読んで頂きありがとうございました!
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