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自分を信じるために必要なのは自分しか信じないことではなくて自分を信じてくれる人を大切にすること

ワクワクするものを見つけて人が目を輝かせる瞬間が、僕は大好きだ。

特に、子どものまなざしやその純粋な笑顔に、心惹かれる。

それは僕が新潟に住んでいた25〜31歳の6年間で、姉の子育て(2人の姉妹)にたくさん関わらせてもらったからだと思う。

姉が仕事に出て子守をさせてもらい、子どもから「ママは?」と尋ねられて泣き止まなくなることが、何度もあった。

子どもにとって最大の愛着者であることが多い『母親』という存在は、子どもの笑顔を守るためにとても重要なんだと、その時期に改めて感じたんだ。

・・・だからといって、四六時中母親が子どもの側にいることが正しいとは、僕は思わない。

もっと大切なことは、母親自身が心から笑顔でいられる時間を、周りと協力しながら作っていくことだと思っている。

僕に姉の代わりはできないけれど、僕にできることを全うすれば、姉が笑顔になる時間を作ることができて、その笑顔を見た子どもも心から笑顔になるはずと信じて行動してきた。

例えば、僕は子どもと走り回ったり自分の体をアスレチック代わりに差し出すことが得意だし、子どもからの「なんで?」という素朴な疑問に対して、「なんでだろうなぁ。一緒に調べよっかー!」みたく、一緒に考えることができる。

子どものピュアで柔軟な発想や考え方は僕の世界を少し広げてくれるし、僕の強みである『探求心』も満たされて、ウインウインだ。

僕は子どもの個性を知るのが楽しくて自己犠牲でやるわけじゃないから、子どもの「面倒を見ている意識」はまるでない。

これが僕の『個性』であり、そうすることが正しいわけでもなく、各々持っている個性を発揮して助け合うことが大事だと思う。

・・・こうやって周りにいる人が自分にできることをすれば、その間に母親は自分の時間を持てるし、そうして生まれた母の笑顔は、子どもに対して温かくてピュアな精神を育んでいく。

もちろん、乳幼児期の子を持つ母親は寝る暇もなく、なかなか自分の時間なんて持てずに大変だと思う。

その時期に周りができることは、辛いことは辛いと言える環境を育み、不安を受け止め、母親が笑顔で日々を過ごせるように寄り添うことだと思う。

母がニコニコでいられるように、考えて行動し続けるしかない。

・・・そして「自分にできること」をするために、己の個性は知っておきたい。

ちなみに僕は、個性が否定されることをとても嫌っている。

個性とは他者との差異でしかないのに、人と違うってだけで否定されるのは、理解できないから。

ただただ、クセがスゴイだけじゃんと思っている。

良いクセとか悪いクセとか、自分で思うのは自由だけれど、それで他人をジャッジするのはおかしい。

偏ったクセを正して標準化しても、愛されることはないし、自分で自分を愛することからも遠のいていくんだと感じている。

・・・僕は、姪っ子たちとの交流を通じて『愛』を教わった。

コチラが子どもの個性を否定せずにいると、いつしか子どもの方も、コチラの個性を否定しないでいてくれるようになる。

偏見もなく、子どもならではの柔軟性で、コチラを受容してくれるんよね。

「自分で自分を愛する」って、自己肯定感が低めの人にとってはかなり難しいことだと思うのだけれど…

「子どもと接してる時の自分はスキ!」という機会が増えれば、他者を通じて自分を愛することはできる。

子どもと一緒に自分の個性を信じ抜くことで、自信も深まっていくはずだ。

自分を信じるために必要なのは、自分しか信じないことではなくて、自分を信じてくれる人を大切にすること。

そうして見えてきた自分の『個性』が魅力的なのは、個性が発揮されている時の目がとても輝いていて、純粋なまなざしを浮かべているからだ。

その子どものまなざしを大切にしたいし、もっとピュアでワクワクできるように、自分を信じてくれる人や自分自身のことも大切にしていきたいと強く思う。

・・・読んで頂きありがとうございました(*^^*)

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【軟水のたそがれ】
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このnoteは筆者の思想を深堀りするエッセイです。
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