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優しさを注ぐ際の順序を大切に

自分⇒家族や友達⇒社会へと、満たす範囲をじわりと広げていく

この順序を飛び越えて人に優しくしようとしても、それは『自分を満たすための優しさ』になってしまっているなぁと、僕はそう感じることがある

自分を満たすために、周りが存在しているわけではない

もちろん、家族や友達、社会も大切だ

けれど、自分のことを疎かにして、周りのことばかりを満たそうと行動していると、後に困ったことが起きてくる

それは、「ワタシが大切にされてないじゃん!」という思いに、いずれはたどり着いてしまうということ

自分は今まで周りのために尽くしたんだから、そろそろ自分が尽くされてもいいはずだ

・・・こう感じてしまいやすくなる

『周りのために何かしたい』という優しい気持ちがあるにもかかわらず、周りが認めてくれたり、感謝してもらって応えてくれないと、自分が満たされない

そんな悲しい状況にもなりかない

自分が周りの誰かを満たすために存在しているわけでないように

周りの人も『自分を満たすため』に存在しているわけではない

自分の優しい気持ちが実るためには、たとえ自分の優しさが周りに届かなくともさ?

「自分がやりたいからやったんだ!」
「優しさをおすそ分けしただけだよ♪」

・・・こういった心持ちで、周りの反応ではなく、自分の意欲で自分や周りのことを満たしていきたいと、僕は強く思う

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『自分を満たすための優しさ』で僕がよく思い浮かべるものは、親子関係だ

家族のためと自分を圧して、周りのために頑張ってきた大人たちのこと

「子どもにはこう育ってほしい!」
「子どものために自分を犠牲にしたんだから、言うことを聞いてほしい! 」

・・・こういったように、子どものことを大切に想い愛情を注ぐからこそ、子どもの人生を背負うことで『自分の願い』を満たそうとしてしまうこともあるだろう

これは結局、家族のためになっていないことが多いように思うんよね

子どもが産まれて家族になり、愛着があって血の繋がりを感じるからこそ、子どもと親の望みは同じだと、思い込みやすくなってしまうんだ

大切な人だからこそ、そう感じてしまう

・・・けれど、それは違うんよね

『自分の望み』の延長に、大切な家族がいるだけなんよ

だから、まずは自分の望みを自分で叶えることを大切にしたい

その時に大事なのは、自分を満たすことが、周りの家族を満たすことへも繋がるように、心の矢印を外側に向けること

自分のやりたいことをひたすらにやるだけだと、それはとても利己的で、家族である必要性がなくなってしまう

それは、独りでもできることだからね

『自己中心的利他』の姿勢で、まずは自分を満たすことを心がけて、その時に感じた幸せを、大切に想う家族へも注いで、おすそ分けしていくような感覚を大事にしたい

そうすれば、自分が幸せであればあるほどに、家族に注げる幸せも溢れんばかりに多くなってくるから、自分を満たすことが家族を満たすことへも繋がってくるはずなんよね

たとえ家族であっても、何によって自分の心が満たされるのかは一人ひとり違うから、その違いを受容し合うという多様性も大事にしたい

自分に一生懸命な人は周りにいてくれる人が自然と応援したくなるから、自分を満たすことをしても、心配しなくて大丈夫

自分を満たそうとしながら、周りのことも想う人は、いつだってステキだ

・・・きっと子どもは、自分のことをチヤホヤしてくれる親が好きなわけではないんだと、僕は思うんよね

「自分のやりたいことをやって、輝いている背中を見せてくれる」
「子どもが頑張った時に、自分ごとのように一緒に喜んでくれる」

こういった姿勢を見て、子ども自身も安心して、自分を満たすために一生懸命になりながら、周りの大切にしたい人のためにも行動しよう!と感じていく

その安心感があると、子ども自身も自分と向き合えるから、まず親がやることが大切なんよね

『安心感という土台』があった上で、人生を自由に冒険をすることで、自分の強みや弱みが見えてくるはずだ

その強みを周りへ差し出して、他者の弱みを支えて、なめらかに混ざり合うような信頼関係を築いていくことができる

家族になったから、心が繋がるわけではない。

心が繋がるような触れ合いがあって、
『信頼関係』を築くことができたから、家族になったと実感する

血の繋がりによって共通点を見つけやすくなるけれど、「血に頼る」のではなく「一人の人間として頼る」ことを大切にしたい

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・・・ここまで読んで頂きありがとうございます(*^^*)

つらつらと書いてきて 、最終的に僕が言いたいことは、「優しい人になりたいなぁ」ということ

人はどれだけ周りのために行動していても、『自分を満たしたい欲求』は常にどこかに抱えているものだと、僕は思っています

(例えば)

困っている人がいるから、何かしてあげたい

⇒悲しんでいる様子を見ると自分も悲しいから、何かを与えて、自分のネガティブを取り除きたい

⇒自分が持っているものを与えることで、誰かに貢献できた!という達成感を得られ、自分が満たされる

・・・こういった形で、心の奥深くに自分の欲は隠れているもの

あたかもそんな欲が一切ないかのように、『あなたのため100%状態』を装うのは、優しくないなぁと僕は思う

人には「返報性の原理」という、受け取ったものは返さないといけない!という心理が働くので、『あなたのためにやってあげた感』が伝わると、何か返さなきゃー!と、相手に心理的な負担を与えてしまうことにもなる

こちらは何も返さなくていいよー!と思っていたとしても、相手の受け取り方は違う

どれだけ優しいことをしていても、「自分を満たしたい欲」は必ずどこかにあるんだよ!と自覚することが、優しいなぁと

『自己中心的利他』の姿勢は、家族だけでなく友達や社会と関わる際にもとても大切なので、これからも、自分を満たすだけでなく外側へと矢印を向けていこうと思う

・・・読んで頂き、ありがとうございます(*^^*)

※この記事は2019/03/17に書いたものをリライトしました!

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【軟水のたそがれ】
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このnoteは筆者のツイートを深堀りするエッセイです。
※毎週日曜日の夜に更新!

新たな1週間が始まる前に、何か大切なことに気がつくキッカケになれば嬉しいなと思っています

水はあらゆる流れに身を投じることができるし
自ら流れを作ることもできる

世の中の動きに流されるのではなく
「主体的に流れること」を大切にしたい

そんなおもいを込めています





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