子どもの承認欲求にどう向き合うか
3月に学校が休校になって以来、僕は毎週、小学生の姪と一緒に宿題をしている
その交流を通じて抱いた課題感は、『子どもの承認欲求』といかに向き合うか?というものだ
自信ありげな様子で、「見て見てー!」と承認を求めてくることはよくある光景だし、何だかホッコリとする瞬間でもある
その一方で、「(やってるところを)見ないで!」と言ってくることもある
また、「としくんには見せてもいいけど、ママには見せない」というパターンもあった
どうも。としくんです。
・・・それらの違いについて、感じたことがある
それは、子どもが求めていることは必ずしも「褒めてもらうこと」ではなくて、ただただ「見てもらいたいだけ」ということが、ほとんどだということ
『承認欲求』と聞くと、どうしても「褒めてもらうこと」を想像しやすい
けれど、承認欲求には段階があるんよね
まず、第1段階は①「見る」
■勉強できるところを見てもらいたい
■間違ったりしないか見守ってもらいたい
■いい点数が取れたことを見せたい
子どもにはこういった欲求があるけれど、大人はそれに対して「スゴイねー」と、とりあえず褒めてしまいがちだ
その時に子どもが求めているのは、、、
■信頼する人や尊敬する人からの視線を感じること
■正誤を確認してもらうこと
■100点だったんだ〜!と認知してもらうこと
実は、褒めてもらいたくて見せているわけじゃないんよね
(例えば)
僕ら大人でも、好きなアーティストや有名人からSNSでいいね!してもらったり、ライブ会場で目があったりすると、心が潤って、承認欲求が少し満たされたような気持ちになりますよね^_^
かといって、大好きなその方から褒めてもらいたいわけではなくて、見てもらっただけで「尊い・・・」という心持ちになります
つまり、勉強を見守る大人が子どもから好かれていたり、尊敬されていれば、『見る』だけでも、子どもの承認欲求を満たすことができるということ
・・・こうして、承認欲求は段階的に②〜⑤へと上がっていく
②「気づく」
⇒前よりも勉強ができるようになったとか、解き方が速くなったとか、その変化に気づいてほしい
③「認める」
⇒成長したことを認めてもらって、対等な立場に立ちたい
④「褒める」
⇒スゴイね〜と言われて、ちょっと上に立ったような気持ちになりたい
⑤「喜ぶ」
⇒勉強ができるようになった喜びを、信頼する人、尊敬する人と一緒に分かち合いたい
・・・以上
②〜⑤は端折りましたが、詳しくは⇓この本に書いてあるので、読んでみてくださいませ^_^
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・・・さて
この承認欲求の5段階のことを踏まえて、姪が僕に「(やってるところを)見ないで!」と言った時のことを考えてみた
あの時、彼女がああ言ったのはきっと、「ちょっと自信がついてきたから」だと思うんよな
苦手な算数をやっていて、最初は、隣に居ながら一緒に考えていたんだけど、ちょっとコツを掴んだ瞬間があったんよね
「見ないで!」と言い出したのはその後からで、、、
あれは、できるようになったことを「認めて」もらいたかったり、「褒めて」もらいたかったから、やってる過程を僕に見せたくなかったんだと思うんす
見てもらって、できるようになったという変化に気づいてもらったから、今度は「認められたい」「褒められたい」という、より高い承認欲求が湧いてきて、気持ちよくなりたかったのかな?
問題を解けるようになると、もっと解きたい!という意欲が出てくるもんね!
やってるところをママに見せようとしなかったのも、あの時は「褒めて」もらいたかったからなのかな?、と
ただし重要なことは…!
毎回褒めてほしいわけではなくて、むしろ普段は「見てもらいたいだけ」だということ
無闇に褒めてしまうと、褒められるためには頑張るけど、「褒められないならやらない」となったり、、、
勉強に取り組む動機が「大人に認めてもらうため」になってしまって、子どもの内側から溢れてくる『学ぶ意欲』が、埋もれてしまうんよね
■学んでいるところを見てもらいたい
■懸命に遊んでいるところを見てもらいたい
この「見てもらいたい」という気持ちは、子どもにとって立派な『意欲』になる
なので、子どもが見てほしい!と思った時に、「ただただ見る」という行為は、とても大切なんだよなぁ、と
大人同士の話に夢中だったり、自分のやるべきことがある中で、子どもから「見て〜」って言われると面倒だったりもする
けれど、そこで「見ない」という選択をすると、後から、より大きな承認欲求で満たし直さなければならなくなるんよね
あの時見てくれなくて傷ついたから、今度は褒めてくれなきゃヤダ!となったり…
あるいは…拗ねて、いじけて、あえて親から離れようとしたり…ね
そういった過剰な反応になっていつか返ってくるので、欲求が小さいうちに(①段階のうちに)、満たしておきたい
承認欲求は、意欲が高まるごとに①から⑤へと段階的に上がっていくのが自然
けれど、①の「見る」が満たされない状態で、④の「褒める」を求めてしまうのは、どこか"拗らせて"しまっているから
子どもの心が渇いて、潤すのに時間がかかってしまう
・・・さいごに、最初の一文で僕は「姪と一緒に宿題をしている」と書いたけれど、それには理由がある
それは、『一緒に喜ぶため』
褒めるとか認めるって、何だか上下関係を感じて僕は嫌なんだけど、一緒に喜ぶことで、対等な関係で、お互いの承認欲求を満たし合うことができるんよね
大人の僕にも当然、承認欲求はあるので!
僕は、子どもにとって、上から教えるティーチャーではなく、横で寄り添うコーチ的な存在でいたい
答えや解き方を教えるのではなく(ティーチするのではなく)、この解き方はどう?じゃあこれは?と提案して、本人がそれで解けた時に、一緒に喜ぶ^_^
「宿題をする」のは子どもの課題であって、「宿題に取り組む様子を見守る」のが大人の課題
そうやってお互いのやるべき課題をハッキリと分けるからこそ、「学ぶ」という共通の課題も見えてくる
子どもは勉強を学ぶし、大人は子どもの性格や人柄、得手不得手なんかを学んでいく
そんな感じで、お互いの心が溶け合う部分があるからこそ、心底一緒に喜ぶことができる
その喜びが、お互いの承認欲求をやわらかく満たし合うことへ繋がっていくのだろうな…と
僕はそう思います
・・・以上
今週も読んで頂きありがとうございました(*^^*)
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【軟水のたそがれ】
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このnoteは筆者のツイートを深堀りするエッセイです。
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