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日々の移ろいをやわらかく受容していく

僕らが物事の『移ろい』に気づくことができるのは、いったいどんなタイミングだろうか。

ここ2週間は、クリスマスムードから年越しで盛り上がり、正月もいつの間にか過ぎ去っていった。

だけど

「あっ!今、時が移ろいでいるな」

・・・こんなことを逐一感じて過ごすことは、ほとんどないはずだ。

ちなみに僕は昨日今日と姪っ子たちに会っていたのだけれど、彼女らは7歳と5歳。

ほんの少し前まで簡単に抱っこや肩車をできていたのに、だんだんと難しくなってくる。

それは僕ら大人が彼女らの体重を支えきれなくなってくるのもそうだし、彼女たちがコチラに、抱っこや肩車を求めなくなってくるということでもある。

自分の身体を支えてもらうのとは別の方法で、スキンシップを求めてくるようになる。

例えば、より深い会話を通じたコミュニケーションや、何かの役割を任せてもらうことで、1人の"人"として大人から認めてもらおうとしてきたり…

自分が親になったかのように、自分の知っていることを周りに教えたり世話をやいてみたり…

抱っこしてもらっていた時は大人から「支えられること」を求めていたけれど、成長するにつれて、子ども自身の力が誰かの役に立ったかどうかを確認することで、「支え合うこと」を求めるようになっていく。

子どもが成長して抱っこを求めなくなってくるのは、体が大きくなったり、周りの友達がやっていないからという理由もあるとは思う。

だけど1番大切な理由は、大人に支えてもらわなくても自分は大丈夫だと思えて、むしろ自分の力で誰かを支えてあげたいと思うようになったという、『心の移ろい』だと僕は思う。

その移ろいは、何歳になったからとか、小学生になったから突然訪れるものではない。

今まで抱っこや肩車を何度もしてもらって、大人に支えてもらったことの積み重ねがあったからこそ自然と現れる、心の移ろいだ。

物事は知らぬまに、目に見えぬところで淡々と移ろいでいるもの。

そして僕らがその『移ろい』に気がつく瞬間というのは、ホントに突然やってくる。

その際に多くの人は、移ろう前の姿と移ろい後の姿しか捉えることができず、どういった過程を経て移ろいだのかに関心を持つことは少ないのかもしれない。

だけれど、その過程をしっかり拾い集めて紡いでいくことで、移ろい後の状態をやわらかく受容できるし、その変化にやわらかく対応してきた自分自身を受容することもできる。

淡々と過ぎ行く毎日を記録して覚えることは到底できないけれど、日々の1つ1つの行動が、大きな移ろいを呼び起こしているということは、忘れたくない。

「今を大切にする」ということは、「物事の移ろいを受け入れる」ということに繋がっているのかもしれない。

つまり、例え大切に過ごすことのできなかった日々があったとしても、その時から移ろいだ今の自分をしっかり受け入れることで、その過去を価値あるものに変えていくことができるということだ。

今に縛られず、今を受容し、やわらかく生きてみる。

そんなことが大切だと感じた、日曜の夜。

・・・さて、2020年一発目のたそがれ。

読んで頂きありがとうございました(*^^*)

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【軟水のたそがれ】
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このnoteは筆者のツイートを深堀りするエッセイです。
※毎週日曜日の夜に更新!

新たな1週間が始まる前に、何か大切なことに気がつくキッカケになれば嬉しいなと思っています(*^^*)

水はあらゆる流れに身を投じることができるし、自ら流れを作ることもできる。

世の中の動きに流されるのではなく、「主体的に流れること」を大切にしたい。

そんなおもいを込めています。

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