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お互いのデコとボコがハマった時に恋が愛へと変わっていく

どんな人間関係においても、目の前の相手を「好きかどうか」は、とても大切なことだ。

それが上司と部下のような上下関係であっても、親友のような水平関係であっても、そこに「好き」がなければ持続しない。

ここでふと立ち止まって考えたいのは、『恋愛関係』について。

僕は高校生〜大学生くらいの頃、よく恋に落ちていた。

今にして思えば、かつて恋多き人間だったのは、「すぐに好きなところを見つけてしまうから」だと感じる。

きっと当時は、「それこそが愛なんだ!」と思っていたのかもしれないけれど、それはおそらく恋だ。

好きだという気持ちが強ければ強いほど、その相手に対する愛も深いものだと、思い込みやすいもの。

しかし恋は、好きだからこそ「嫌いなところ」も気になりすぎて、相手を自分の好き勝手にさせようとしてしまう。

歳を重ねるに連れて、自分の好き嫌いを大切にしつつ、相手のことを尊重するのが愛なのかな?と僕は感じるようになっていった。

それこそ昔は、「自分が好かれるため」に他人のことを好いていたような気もする。

それで一時的に好かれることはあっても、いずれその打算は見抜かれ、心の距離は離れていってしまう。

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昔の僕がフラれだったり、付き合っても長続きしなかったのは、単純に性格や顔が好かれなかったり、一緒にいて楽しくなかったのもあるだろうけれど、、、

この人と付き合っても、この人は「自分が好かれようとしている」から、私を愛してくれることはないんだろうな。。。

と、感覚的に判断されていたのかもしれない。

・・・女性の直感は、するどい。

そういったことを相手は無意識に感覚で分かっていたから、長続きしなかったのでは?と、今になって思う。

女性は、細やかな経験をしっかりと感じて自身の糧にするのが、男性よりも上手いのかもしれない。

男性は、今の僕がしているように、コツコツと理論を構築していかないとなかなか理解できないということも多い。

もちろん、女性も完ぺきではなくて。。。

「相手から好かれようと」して、好きでもない相手と付き合うこともあるだろう。

だけれどその関係の先には、やはり愛は育まれにくいよなぁとも思う。

恋が愛へと変わるには、お互いがお互いを『必要とすること』が必須になってくるから。

好きだから愛するのではなく、相手のことが必要だから、愛する。

愛とは、本能や感情ではなく、お互いの意志によって火を灯すものだと僕は思う。

もし、相手を愛するから必要とするのならば、それは自分が愛されたい気持ちの方が勝ってしまっているはずだから。

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・・・だからこそ、相手を必要とし、愛するためには、自分に足りないものを把握し、それを受け入れていかなければならない。

「憧れ」のように、好きな気持ちから恋が始まることも多いが、それは自分の理想を相手に重ねている状態だ。

自分がその理想に達してしまったり、相手が理想から外れる行動をすれば、自分にとって必要がなくなり、恋は冷めてしまう。

恋が愛に変わるために、もしくは、たとえ恋という過程を経ずともその相手を愛するためには、、、

自分にとってその人は『かけがえのない人』なんだと、絶対に必要なんだ!という意志が大切だ。

そして、自分も相手にとって『かけがえのない人』になっていく必要がある。

そのためには、自分のことも相手のことも、より深く知り受け入れていくことが大切で、デコとボコが綺麗にハマるように、お互いを必要としていくのだろう。

・・・読んで頂きありがとうございました(*^^*)

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【軟水のたそがれ】
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