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理不尽に直面したら、あきらめたほうがいいの?#30

「大人になって思う。おそらく学校とは、理不尽さを学ぶ場所なのだと。そもそも社会は理不尽なものだから、理不尽さを知らないまま大人になると、理不尽さにやられてしまう。」

と、幡野広志さんが「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。」という本に書いていました。

確かに、社会に出てからも、膨大な数の理不尽があったりします。

好き嫌いだけで物事が決まったり、責任が分からないまま物事が過ぎ去ったり、そんなことが、あいまいなまま、何度も繰り返されていきます。

理不尽に直面した時、腹をたてることはできるし、場合によっては、その場から逃げ出すこともできる。そして、そういう選択を、ぼく自身が何度もやってきてしまったこともあります。

でも、どちらも、問題を解決するかと言われると、結局あんまり意味がなかったりもします。時間と体力が奪われてはいくけれど、後に残るものは、なにもない。

じゃあ、どうするのがいいのかなとふと頭の奥で考えてみると、

「理不尽を感じるのは、そもそも合理的じゃないと感じることがあるか、あなたから見えていない隠された部分があって、合理的に見えないようになっているかの、どちらかが大きいこと。」
「だからこそ、まずは表舞台から隠れている部分がなにかを、相手に聞いてみること。聞いてみた上でも理不尽を感じるのであれば、その思いを相手側に伝えること。」

という、もうどこかの誰かが繰り返し言ってくれているような、当たり前の方法しかないのかもしれません。

読んでくれた方、ありがとうございます。最後まで理不尽なときもあるけど、理不尽を明らかにできると、あきらめがついたりもするのかな。

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