見出し画像

あたらしい人

四月はあたらしい感じの人が街にあふれている。

その人が、いったいどこからあたらしい感じを出しているのか毎年ふしぎに思っている。

電車に乗って出かけた。

わたしの前には中学生らしき女の子が6、7人寄り集まっている。
みな紺のジャンバースカートに、ベージュのブラウスを着ている。
足元は茶色の揃いのローファーで、これも揃いの白い靴下である。
少女たちはさざめくようにわらったり、ちいさな声で話したりする。
どの少女もとてもあたらしい感じを出している。

スカートから伸びた脛は、余計な肉のないまっすぐな輪郭を描いていて、子どもと大人のちょうど境という感じがする。
まっすぐな脛が十数本寄り集まっている様子は、とても絵画的に思えて、思わず写真を撮りたくなった。
会田誠の絵みたいではないか、と思ったのだ。
だがいくらわたしが女だとしても、女子中学生の足元を撮るのははばかられたので、思うだけにする。

わたしの隣には、スーツ姿の女性と男性が座っている。
二人はおそらく会社の上司と部下で、上司が男性で、部下が女性だった。
上司の男性はあたらしい感じがなかったが、部下の女性はたいへんにあたらしい感じがする。

女性がとても熱心にいろんなことを質問している。
女性の発音した言葉のだいたい半分くらいの言葉で男性が返答する。
女性が本当に熱心なのか、必要があって熱心なのかよくわからない。
わたしはノイズキャンセリングして音楽をかけていたので、話の内容まではわからなかった。

女性は黒の上下のスーツに白いシャツを着て、茶色のゴムで髪の毛を後ろで一つにぎゅっと結んでいた。
まぶたのアイシャドウがきらきらしていて、女性が何か言葉を発するたびにそれが光った。
わたしはその光るさまだけを見ていた。
このふたりについては、とくに写真に撮りたいと思う要素は見当たらなかった。

向こうからやってきた初老の女性が、とつぜんに「すみません」と言う。
わたしはおどろいて、イヤフォンの音楽を停止して、ノイズキャンセリングを解除する。
ぶわん、と世の中の音がわたしの全身にまとわりつく。

女性は「猫を飼っている人を、しりませんか」と言う。
「ねこを、かっているひと」と思う。

「わたしは猫を飼っているのですが、餌を切らしてしまって。どこで買えるのかわからないので、猫を飼っている人に分けてほしいのです」
「すみません。猫を飼っている人を知らないです」
とわたしが言うと、その人は
「そうですか。お呼び止めしてすみません」
と言って、ゆっくり去っていった。

ピンクのセータを着て、半ばしろい長い髪の毛が背中で揺れていた。
その人の後ろ姿は、写真に撮るとおもしろそうではあった。
この人はまた違った感じにあたらしい、とわたしは思った。

春の空気はぬるい。
窓の外には夕焼けとは呼べないくらいの、ほのかに明るい夕方の空があった。

駅に着いて車両のドアが開くと、その先のホームにはとてもゆっくり桜の花びらが散っていた。
そして駅のアナウンスが風にたなびくように聞こえてくる。

「駆け込み乗車はたいへん危険です。次の電車を待ってご乗車ください。発車します」
駅のアナウンスはおしなべて言葉と言葉を融解させるほどにつなげて発音する印象を持っていたのだけれど、このアナウンスは一語、一語、それほどまでにはっきりとさせて大丈夫だろうか、と何か心配を抱くほどの明瞭さで発音される。
とても、切実に、くきやかに声が響く。

姿は見えないが、この声はあたらしい人のものだろうとわたしは思う。
車両の扉がゆっくり閉じた。
あたらしい駅員さんの声も、ちらちら見えていた花びらもあちら側に閉じ込められた。

電車はふたたび動き出し、わたしはまた運ばれた。

わたしはあたらしい感じがしているだろうか。
新入生でも新入社員でも、猫の人でもないけれど、何かしらあたらしい感じだったらおもしろいなと思う。

わたしのこれまでの人生で、わたしがあたらしい感じだったことがあったろうか。
あったとしたら、わたしはその時のわたしの写真を見てみたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?