箱の話をします。とっておきの箱はありますか? 何かを収納するのではなく、ご自身で入り、箱の感覚を味わう箱の話です。
幼稚園から小学校の1年生ぐらいにかけて、 小さい段ボールで、家の中にも秘密基地を作る遊びを好みました。外に作る秘密基地をお茶の間に導入。
箱も様々です。 野菜が入っていた箱もあれば、 他の商品が入っていた箱もあります。段ボールの種類も多様で、どっしりしたものから、ヘナヘナしたものまで、 様々です。大きさも、また。
子どもの体は小さくてしなやかです。身をかがめて段ボールの中に入り、じっとしている、周りを観察する、 段ボールによって自分がまるで隠れ蓑の中にいるかのように錯覚する、 そして非日常を経験する。当時はこのように言語化せず、ただ、楽しいから行いました。幼い日の記憶は、現実なのに、フィクションと似た音色を伴います。
子供だから言語化できないだけではなくて、 大人になって言語化できるようになった私であっても、「 あの箱の、あの感じはいい感じだよね」と表現するのが適していると感じます。言葉は分析を含むから、「いい感じ」を、失いたくないのかもしれません。
上述の経験が高校生になって活きることになります。 アビシニアンと他の種の子である、共に家族として暮らした我が家の猫は、段ボールや紙袋があると、 「処分しないで」と、意思表示をする猫だったからです。正確には、「どうして、それは僕のものなのに、断りもなく処分してしまうの?」と言いたげな、 あるいは野蛮人を見るような、かつ、「あなたの教養を疑う」という問いを言外に投げかける子でした。
箱であるなら、テイスティングは積極的です。例えば、ティッシュペーパーの箱なら、体が4キロ前後あるため、 体が箱に入らないわけです。でも、とりあえず入ろうと、試みます。それが、彼のこだわり。
「どうも座りが悪い。 この箱は、not for meである」と確認・納得します。 「この箱は味わったからもういい」ということですね。
先ほどお話しした子供の頃の経験があるので、 あの箱を好むのであれば、この箱も好むはずだと、勘が働きます。
本に例えます。伊坂幸太郎が好きだとして、「世界観や文体が好きなんだ」ということであれば、村上春樹の影響を受けているはずだから、「村上春樹のΣはどう?」と勧めることが出来ます。
段ボールでも同じことができます。「この箱でこうしてあげると、あの子が喜ぶだろう。材質はこれがいい。 大きさはこれがいい。 ちょっと穴が開いていると、その穴から いきなりシャッと前脚を出して 遊ぶことをしますので、 穴も開いていた方が猫は楽しいようだ」と、私は分かります。箱の楽しさという前提を共有しているから。
この感覚は私の家族にはないので、 私が箱を持っていくと、「君は僕の好みをよくわかっているね」という顔をします。 うん、なかなかやるじゃないかっていう感じです。
お読みになった、私にとっての箱の記憶が あることと関係するのでしょうか。 正義というものの 限界を、私は以下のように理解しています。
どういうことかというと、 正義でも真理でもいいのですけれども、 抽象化してAとしましょう。 Aを信じている人、Aを大切だと思っている人たちは、 Aという前提を共有しています。 前提を共有している人たちの範囲では、絶対的な正義や絶対的な真理が成立します。 それは 大切なことです。文化であり伝統だからです。
ただし、異なる価値観の人と衝突した時に、流血が起きることは問題です。
前提を共有できない外と、前提を共有できる内を、 「箱」という概念で私は考えるのが好きです。具体的には、「箱の中の正義」「箱の中の真理」という状態として、整理出来ます。
猫は自分の箱を味わいますし、愛着を持ちます。 お気に入りの箱と、お気に入りではない箱の差は明白です。 差があるだけな点に、私は学びたいです。猫は喧嘩をしますが、思想を持たないし、テロも行いません。
また、箱というものは 出入りする自由があります。 箱の中に閉じこもって出てこないのも良くないですし、 箱の外で箱の中に置いてあるものを振り回すのも、私は望ましくないと考えています。
箱の内側と外側という、たった2つの視点を持つだけで、 今よりも多様性や、あるいは包括的であることを進められると思います。
何が言いたいかというと、 相対化すればいいわけでもない。 でも、 絶対的なもので、断じて譲れないものだということだけを主張しても危ない。 両立させる方法はあるでしょうか?
あります。宙に。
地球があって、地球が太陽の周りを回り、太陽系は銀河に属する。銀河は銀河団に属し、銀河団はもっと大きなものに属し、やがて大規模構造に至る。そして、観測できる範囲の宇宙となることでお馴染みの、銀河団。
銀河団の内側は、銀河団ごとに異なります。物理法則は同じでも、違った 構成になってます。
最初は2つの視点を、持つことが難しいかもしれません。だって、矛盾する視点を持つのですから。
だけど、私達は平均80年前後の持ち時間の有限な存在なのに、無限を扱えます。無限を扱えるなら、複数のレイヤー(層)を心の中に持つことは、困難な挑戦ではなく、慣れの問題に過ぎません。慣れるまでは、時々夜空を見上げると、気づきがあると思います。
例えば、関心は照準で、照準を向ければ、意識もそちらへ向くのだと。
チップ感謝します。画像生成AIを学んでるので、その費用にさせて下さい。 新書を一冊読むことよりお得なnote目指してます。