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自分を大事にしたら、他人との線引きができるようになっていた

こんにちは。見つけてくれてありがとう。
唐須野ゆめです。

私の住んでいるところは早朝に雪が降るようになった。
寒いけどあのツンとした空気が心地よくて、一番好きな季節が今年も来たなあと少しワクワクしながら毎日を過ごしている。

社内での出来事

今日、とある出来事で自分が他人との線引きができるようになっていることに気が付いた。

出来事を簡単にまとめると、社内の別部門の社員から感情的な言葉を浴びせられた。機密情報として私の部門(仮に部門Aとする)で扱っていて、さらに別の部門Bに確認を取る必要がある資料があった。そして、私が送ったメールへの返信になぜか部門Cの社員がBCCに入っており(部門Bの社員が入れていた)、その部門Cの社員から「え、何も知らないしわけわかんないからうちは関係ないってことでいい?(ほぼ原文ママ)」とメールが届いた。

部門Cには、部門Bの確認が終わり最終的なチェックも済んだ後に共有する予定だった。先輩社員から「この段階で部門Cに共有しよう」と事前に言われていたこともあり、このメールを受け取った当初、「え?なんでこの段階で情報漏れてるの?部門Bの人にしか送ってないメールなのに?しかもなんか不機嫌な文章来た・・・」と頭の中は大混乱。

ここまではいつもの流れ。
今日は、ここからが違っていた。

確かに最初はムッとはしたものの、ふと頭の中にベン図が浮かんだ(数学の教科書で見るアレ)。

ベン図1 二人の共通の常識

「この人は何で怒ってるんだろう?なんで会社で感情的になれるんだろう?」と考えているうちに、「私の常識と彼の常識が違っているんだ」という結論に至った。ベン図の色がついている部分が私と彼の共通の常識なんだ(ベン図1)。

ベン図2 彼の常識

ベン図2の黒い部分は彼の常識。左の〇は私の常識で、今回の私のメールの内容はおそらく白い部分に当てはまるのだろう。自分が「これは常識でしょ」だと思っていることから外れる出来事が起こると、感情的になる人が多い(かくいう私もそうだった)。
このベン図のくだりを頭の中で5秒くらいで終えて、「さてどうしたものかな」と次に起こすアクションについて考えているうちに私の感情の揺らぎはおさまっていた。

その後すぐに部門Cへ行き、その社員と直接話すことにした。結局私が本来連絡する予定だったタイミングでまた連絡する、で納得してもらったので、部門Bの社員に「機密資料を勝手に他部門に送らないでね」と注意をして事態は収束した。
部門Cの彼はよく私の上司ともメールで熱いバトルを繰り広げたり冷戦になったりを繰り返しているが、顔を合わせて話せば普通に会話ができることは知っていた。
「突然知らない資料のメールが回ってきて、混乱した」と彼は言っていた。
それなら、「うちは関係ないってことでいいですか?」じゃなくて、「共有されてないので詳細教えてください」って素直に言えばいいのに・・・と思ったけれど、そういう言葉選びをする人なんだなあ、ということで私の中では落ち着いた。

境界線があいまいだと苦しい

今回の出来事で、「自分」と「他人」の境界線がいつの間にかできていることに気が付いた。正確に言うと、「境界線を引いた」が正しいのかもしれない。
「自分と他人が違うなんて、当たり前じゃん」と言う人もいると思う。
脳みそが違うんだから考えることだって違う。でも今までの私にはそれが、頭では理解できていても行動にまで反映できていなかった。

家族でも友人でも恋人に対しても、自分が「こうするのは当たり前」だと思っていることから外れた言動をすると、「なんでこれをしないの?間違ってる!絶対すべき!」と本気で思っていた。これは、「自分」と近くにいる「他人」を同じ「自分」だと捉えていたからなんだと今は考えている。
そりゃ、自分の手足が勝手に変な動きし始めたら誰だってびっくりするし、なんとかして正常な状態に戻そうとするよね。
自分と他人の境界線があいまいで、だから「自分」がわからないし、そんな自分が好きになれなかった。

自分の内側にアンテナを向けてみた

そんな中、とあることがきっかけで「自分を愛する」ことを本気で頑張ってみようと決意した。(とあることについてはまた別のお話で。)
具体的にやったことは、興味がわいたことを片っ端からやってみる、かわいいと思った服を買う、丁寧に紅茶を淹れて飲む、筋トレ、読書、睡眠時間の確保、人が集まるイベントへの積極的な参加、など。

「自分が今何をしたがっているのか」常に自分の内側にアンテナを集中させ、自分のメンテナンスをし、周りから聞こえてくる声のボリュームを意図的に下げる。そんなイメージ。
今まで自分の外側に向けてアンテナを張っていたから、その真逆。
初めはすごく難しくてつらかった。自分の声なんて、ほぼ聞こえてこなかった。孤独に耐えられず声をあげて泣く日もあった。
でも、毎日自分の体や心の手入れをして、おいしいご飯を食べて、自分がワクワクするほうを選んで過ごすうちに、「自分の部屋」みたいなものが私の中に生まれた。
「ここまでは私の力で変えられるし、変えていい」とわかっている範囲が、私の部屋。なにをしてもいい。私だけの自由な世界。
そこから先は、他人の世界。私には変えられないものやことが存在している。
(前にアドラーの『嫌われる勇気』を読んで響いた内容とかなり似ていて、ようやく「実感」に至ったんだなという感覚がある)

「自分の部屋」を充実させよう


部屋ができてきてから、いい意味で物事を諦められるようになってきた気がする。というよりは、「必要以上に悩まなくなった」が近いかもしれない。
変えられない「他人」の世界に存在しているものを、自分の部屋からずーっと眺めている、そういうのをやめたってことなんだと思う。
そうしたら、自分の好きなこと、自分のためにやること、をする時間が圧倒的に増えた。自分の好きなことがわかってきたら、「自分がやりたいこと」もわかるようになった。「自分の部屋」がさらに豊かになった。

その毎日のさなかで、今回の出来事が起こった。
感情をぶつけられるという、私が最も対処するのが苦手なシチュエーションで、冷静に自分と相手の状態を想像できるようになっていたのは、かなり私の中では驚きだった。そして、ここまでたくましくなった自分に「よく頑張ったね」と声をかけてあげたくなった(ご褒美においしいチョコを買った)。

ということで、相手にイラっとしたら心の中でベン図を描いてみるのがおすすめだよ、というお話でした。
さみしいとか、孤独感を感じたときは「自分の部屋」がスカスカになっているとき。そういう時こそやりたいことをやろう。部屋を充実させよう。
帰り道に海に寄ったっていい。夜ご飯めんどくさくてマック買ったっていい。カラオケに行くのもいいね。あったかいお風呂にも入ろう。
もっとみんな自分勝手に生きていいんだよ。自分の「すき」を大切に。


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