見出し画像

悩みとの遭遇

まだランドセルを背負っていた小学5年生の忘れもしないある日。校門から校舎へと向かう広い校庭の真ん中辺りで突然

「つまずちゃんは悩みないの?」

と聞かれ、悩み悩み悩みと悩んでいると

「つまずちゃんは悩みなくていいね!」

と飽きれられた瞬間の友達の顔と、もう一人の友達は薄ら笑いを浮かべていた表情が目に焼き付いた朝だった。

その朝こそ私の中で悩みという悩みが誕生したネガティブ思考の始まりとなった。

それまでの私は悩みという言葉を使ったこともなければ考えた事もなかった。まさに青天の霹靂。頭上めがけて悩みという言葉がガツンと落ちた日だった。

悩みがなかったわけではない。

誰よりも早く生理が来た事も同級生の皆にバレてて恥ずかしかったし、太っている事でからかわれることもあった。校庭の掃除でニワトリに追いかけられるのも嫌だった。飲食店を始めた我が家は、母の居ない夜におばあちゃんと過ごすのも寂しかった。悩みとして考える思考がなかっただけで、11歳ながらに色んな感情を抱えていた事は間違いなかった。

でもあの日の朝からは悩みがない事が悩みとなった。

私には悩みがないんだ?

A子ちゃんのように悩みがあるのとは違うんだ。と悩み始めた。

同級生というのは時として余計な思考を植え付けてくる厄介さも持ち合わせているものだ。

今なら、いじめられても、いじめられてると解らずに鈍感だった時の自分や、からかわれても無視していたり、悩みが無いことを悩み始めた自分を抱きしめてやりたい。

悩みを悩みとして受け入れない強さを持っているあなたは今、やっと悩みの無いことを悩まなくてすむ今を生きていることを教えてあげたい。

悩みがないと悩み始めた11歳の私は、その後恋で悩んだり、複雑な思春期へと迷い込んでいくのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?