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教育ログ8人目(私立・現役→東大理一)

0.今回の教育答え合わせさん

→都内の中高一貫校から東京大学理一に合格されたアナキンさん。今改めてご自身の教育を振り返った結果はこちら!


「与えられた環境においては100点とも言えるけど、小中高の間にもっと広い世界を知る事ができれば違う方向性もあった、特に小学生時代はもっとインプットが欲しかった、という意味で厳しめに65点です。」と語るアナキンさんの教育答え合わせに迫ります!

※本企画は、難関大学合格者が幼少期からどのような教育を受けて、そして改めて振り返った上で、それが学業成績に「どう作用したか」という観点から思い出し・分析する、という趣旨となっております。
企画者及び回答者に、学歴社会の肯定もしくは高学歴を推奨する意図はございません。


1.回答者略歴


Q:お名前を教えて下さい。
→アナキン

Q:現在のご職業は?
→DX

Q:年代を教えて下さい。
→40代前半

Q:ご自身の幼少期のキャラクターについて教えて下さい。
→出来杉君がジャイアンと喧嘩して、1日の内で7回負け続けて、ジャイアンがどうでも良くなった頃の8回目に謎に1回勝って謎に勝ち逃げした気になっているイメージ(体力勝負、負けず嫌い)
 
Q:ご自身の性格について、以下の観点でお答えください。

Q:最終学歴を教えて下さい。
→東大大学院(工学系)
 
Q:そこまでのルートを教えて下さい。
→公立小学校→東京都内の難関中高一貫校→現役・東大理一

Q:大学合格時点での学習能力の自己採点をお願いします。

※各5点満点の6要素で15点以上となるよう配分をお願いしています。

Q:ご自身の各学習能力に関してどう考えていますか?
→周りには、要領も良く、理解も早い人が多かったが、忍耐・我慢・気合・根性は自信があったので、他人が2週間前からテスト勉強するなら、自分は3週間前から始めて、理解力のなさを時間と気合でカバーしていた。あと記憶力には抜群の自信があったので、何度も繰り返し解いてパターンを頭に記憶させた。
 
Q:教育の得点配分を教えて下さい。

Q:得点配分の意図を教えて下さい。
→両親の影響は大きい。まず、勉強をするルーティーン作りを支援できるのは両親だけなので。あとは私の場合は小学校は(勉強は常に学年一位でしたが)漫然と過ごしていたので点数が低く、一方で中高一貫校での友人関係や先輩後輩との関係はとても大きな影響があった。


2.保護者の教育スタンス(配点25点)

Q:ご家族の最終学歴について教えて下さい。
→両親ともに高卒。その辺の名も知らぬ高校(聞いたが、忘れた)。カネがなくて公立しか行けなかったと二人とも共通して言っていた。

Q:保護者の教育方針はどのようなものでしたか?
→特に母親が、自分が勉強したくても、女だからという理由で勉強させてもらえなかったとか、カネがなくて勉強できなかったとか、両親の両親が戦争の経緯でボロボロになったとか、そういうネガティブな話が多く(女だから以外は父親も共通)、その反面教師的に、自分達(両親)のようになりたくなかったら勉強すると良い(勉強しなさいではない)、と私に言い続けていた。

父親は横で深く頷き。あとは、学生の内しか勉強はできない、大人(社会人)になったら勉強する時間なんてないから今の内しか勉強できない、とは父親によく言われた(けど社畜にならない限りそんな事はないと社会人10年目過ぎに気付く)。一生で一度も、勉強しなさい、とか、XXやったの?とか言われたことはない。
 
Q:その教育方針はご自身の学業にどう影響したと思いますか?
→自主的に勉強しなきゃやばいというマインドセットになったので、勉強をするという行為そのものに対して、ある意味自然に接することができたし、(マインドセットはさて置き)自然に勉強できるという文脈は今も同じ。「今勉強してないと、大人になってからゼロからやろうとしても無理なの」「勉強できて(勉強する時間があって)いいなぁ」とは母親によく言われた。(だがこれも間違い、大人になっても時間の作り方次第で、勉強はできる)

Q:ご両親は学業に関してどんな接し方でしたか?
→中学年までは勉強できる環境を作ってくれていた。

恐らく朝と夕方に勉強するルーティーンにしてくれたり(例:もう記憶にないが、幼稚園の時から自然と机に向かうように一緒に本を広げたりしてくれていたと思う)、誘惑させるもの(TV、ゲーム、漫画、おもちゃ等)が家になかった。また、勉強に関しては一切口出ししない、むしろ、小5で塾に行き始めた段階で既に口出しできないレベルだった。(解けない問題を聞く相手が本当に誰もいなかったので自分でやるしかなかった・・・)

Q:今振り返って学業につながった、家庭内の文化や習慣があれば教えて下さい。
→同上。マインドセット、誘惑するものがない環境、ルーティーン作り。

Q:ご両親の教育スタンスについての小計を教えて下さい。

高卒の両親から、難関中高一貫校に入り、そこでも順調に続けて東大、一流企業にまで至ったという点については、満点ではないでしょうか。但し、いくつか加点減点あり、下記します。
 
加点:勉強をするという行為自体については、自主性を重視してくれた。

減点:恐怖心を煽るようなマインドセットはちょっとひどい気もする。

減点:学生時代の勉強の先を見据えると、勉強は自然にできても、何をやりたいかについての発想を膨らませる事は大学に入るまで一切できなかったし試みるマインドにもならなかった。そのようなアドバイスは一切なかった。

減点:親からの勉学や進路に関するアドバイスは小学生の時から一切もらえたことがないので、自分で世界を広げる事しかできず、もっと広い視野に触れられるような親の助けがあったら良かったと思う事も、今思うとある。


3.~小学校時代※小学受験含む(配点40点)

Q:小学受験はしましたか?
→していない。両親は全くそのような事は考えていなかったはず。そもそもそんなカネはなかったと思われる。

Q:小学校の頃の学業成績について教えて下さい。(全6レベル)

→東京都の”市”(=23区外)で、学年50人中、小5で塾に通い始めたのが私含めて3人くらいという環境だったので、学年トップしかあり得なかった。

Q:小学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?
→上述の通り。マインドセットにより、モチベーション、目的、そんなものは関係なく、”無”の状態で勉強していた。

Q:小学校の教育環境についてはどう考えていますか?
→社会不適合者を親に持つクラスメイトも居たけど、まぁ極普通の公立だったと思われる。

東京都内とは言えども、都内の難関中高一貫校に通うには片道1時間半で、絶対に無理ではないけど引っ越しでもしない限り通学はしんどい場所だったので、周りは学力よりも、日々生きられればいいやくらいの感覚の親が多かったように思う。

東京23区内の周囲の環境の恩恵的なものは全く受けられなかった。そんな中で、両親は恐らく周りの親との関係では浮いていて、子ども(=自分自身)も浮く結果になったが、それはそれで良かったと思われる。周りに流されていたら、間違いなく田舎で田舎の仕事をやっていたのではないでしょうか。

一方で、月一回開催される塾の選抜クラスはたまプラーザ周辺のプチ高級住宅地の子と一緒のクラスになったので、自分の通う地域との感覚の差みたいなのを(良い意味で)すごく感じたのをよく覚えている。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

→小4までは学校の宿題。小5から塾に通い始めたので、高学年は塾の勉強。計算ドリルをやる代わりにそろばんをやっていたというイメージ。そろばんを、この外数で毎日1時間はやっていた。

Q:小学校まで習い事は何をやっていましたか?

Q:学習貢献度の高い習い事について、始めたきっかけを教えて下さい。
→母親がそろばん3級を持っていたと聞いて、そろばんやると算数がもっとできるようになるという事だったので、同じマンションの一階に入っていたそろばん教室に行くと自分で言い出して通い始めた。

Q:習い事についての振り返りをお願いします。
→小5でそろばん1級、暗算準初段取っていたので、明らかに算数は問題を解くスピードが周りと全然違った。
10分間x5セット=50分の物凄い集中力がついた。マイナス面は敢えて言うなら、時間セーブの為、回答を早く書こうと思うあまりに、そろばん中のみならず字が汚くなった。(余談ですが、そろばんの先生は、新入社員で入社した会社の大先輩だったという事が、社会人になりましたと先生に報告に行った時に判明)

Q:今振り返ってやればよかったと思う習い事は?
→英語?サッカー?
この二つは世界で共通言語として使えるので、習っておけたらもっと世界との交流ができたかなと思う。けど、どちらも大学からでも遅くはなかったかも??
放課後遊べる友達は、自分含め、少年野球団に入っていない子で固まっていたのでそもそも人数が少なく、仮にサッカーがしたくても人が集まらず、多数決で野球に引きずられていた感があったので、何となく、好きなことができないモヤモヤが常にあったような気がする。

Q:小学校までの読書について教えて下さい。
→物凄く読んでいた。ほぼ全て歴史ものだった。

母親が歴史好きだったのと、TVは大河ドラマしか見てなかったので、その影響だと思われる。

カネがなかったので本を買ってもらったことは一度もなかったと思う。自転車で二駅先にある市の図書館に行って、二週間ごとに確か5冊まで借りられる仕組みだったけど、「徳川家康」「三国志」みたいな小学生向けの漢字+振り仮名みたいな本で必ず5冊占められていた。で、帰ったらすぐ全部読んでしまっていたかもしれない。(母親が、私のモチベーション向上目的なのか、読むの早いねぇとずっと言っていた)

日本の歴史本、源平合戦の前くらいから戦国まで、中国の春秋戦国時代、項羽と劉邦、三国志まで辺りは周辺キャラのマニアックなのも含めて、図書館にあるのは取り寄せまでやって全部読んでいた記憶。ゲームもTVも漫画もおもちゃもなかったので、というのもあるかも。

Q:当時熱中していたことは何ですか?それは学業にどう影響しましたか?→友達との放課後の野球、サッカー。そろばんの大会で上位入賞すること。文武両道というか、勉強だけしているというより、運動して頭をフレッシュにして、勉強もする事で、文武両方に好影響を与える、というベースができたかもしれない??

Q:小学校時に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→小4までは運動も勉強もできる人だったのに、塾に通い始めてから友達と外で遊ぶ時間が減って、運動をしなくなったからか、気づいたら小6の徒競走で3位(4人中)とかになっていて、だいぶショックだった。

Q:小学生時代の教育環境の小計を教えて下さい。

→勉強は、目的意識もなく、無でやっていただけで、ただ漫然と生きていただけという感覚しか残っていない。難関中高一貫校に入れた事で、10点。(それ以外は点数に値しないのでゼロ点)
 
とにかく非常に狭い世界の中で生きていたなと思う。(自分の子どもにはもっと広い世界を見せている故に)ここでは、勉強頑張れば良い会社に入れて出世できて一生安泰みたいな世界観の事を非常に狭い世界と表現します。

自分の住んでいた地域の親が子どもに求める将来像は、XX市のバブル時代に建った公営団地からあわよくばサラリーマンになって出世してくれたらいいな、くらいの感覚だったと想像してます。ただ、ちょっと背伸びするには考えが甘すぎて、日本や会社に頼った前提の生活をすれば大丈夫と親が仕向けている感あり(それは周囲の親だけでなく自分の親もそうだったと思う)。

私の結果みたいに、勉強頑張っていれば良い大学に入れて、良い会社に入れて、一生安定して暮らせるのが成功例みたいな雰囲気だったと思う。ただ、頑張りだけはできるけど、頑張った先に何があるのか見通すような教育・訓練を受けていないと、ただ頑張れる人で、国や会社に使い倒されておしまい(但し運が良くて要領が良ければ出世して面白いことができるかもしれない??今の時代は大会社の役員は社内のコンプラ違反→クビのリスクでハズレクジだと言われますが・・・)。国も会社も頼るようなものじゃない。そういう所まで見通せていたかというと、地域の雰囲気はそうではなく、狭い世界だったなと。

自分の母親は母親の家系が研究者だったそうで、研究者はいいんじゃないかと言ってはいたけど、自分には母親が反面教師だったので(母親自身がそう言っていた)、皮肉なことに、研究者に対してあまり良い印象がなかったのかもしれない。あと謎に弁護士か医者になったら的なことを母親に言われたりしたが、全く脈絡なさすぎて、これまた母親が反面教師だったので言われれば言われる程、その逆やった方が良いという考えにしかならなかった。

父親は大手企業のサラリーマンの永年課長代理だったので、ある程度イメージできていたと思うし、一つだけ父親から常に言われていて今でもそれは意識しているのは、人と同じ事をやるな、ということ。(これは私の言葉ですが人と同じことやったら人類進歩ないですよね)
もしかすると、周囲の環境は良かったのでは、私の結果も良かったのでは、という人もいるかもしれないけど、私の感覚では完全にアウト(使い倒されておしまいの感覚なので)。父親の助言は唯一光だったかもしれず、おかげで周囲から浮いても、流されることはなかったのかもしれない。

4.中学時代※中学受験含む(配点25点)

Q:私立の中学受験は考えましたか?
→はい。小4の時、地域の公立の中学が荒れているというのと、小学校の同級生の雰囲気を親が見定めて、カネはないけど全部教育費にぶっこむから塾行ってみるか?という感じだったように記憶。(さすがにカネ無いとは言われなかったと思いますが、小学生なりに感じてはいた気がする)

Q:中学行時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)

→250人中、60番くらいからスタートして、40番くらいをウロチョロしていた。そもそも自分の中では、こんな難関中高一貫校で60番からスタートした事自体が驚きだった。

Q:中学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?

→初日に担任の先生から言われたことを明確に覚えている。
「普通にやってたら早稲田慶応くらいは余裕で行ける。真面目にやれば東大に行ける。この学校は校則とかも特に無いし自由。だけど自由には責任が伴う。履き違えてはならない。」
特に超尊敬している先生という訳ではないが(笑)、この言葉は肝に銘じて6年間過ごしたのは記憶している。

Q:中学校の教育環境についてはどう考えていますか?

→はじめの数ヶ月は、難関中高一貫校で、周りも日能研のトップだった人も居たり、23区の日能研なんとか校でいつも上位だったとか、そんな人ばかりで、且つそういう人に限ってバスケ部かサッカー部でイケイケだったりして、物凄い所に来てしまったと思った記憶しかない。

ただ、初めての順位発表のテストが確か二学期の途中?くらいにあって、意外と60番くらいという成績で、担任の先生の話で50番に入れば東大行けるという目標値があったので、あれ?意外とみんな勉強サボってるな?俺も出し抜けるチャンスあるな?と思えるような、(諦める程でもなく、背伸びしすぎる程でもない)程良い順位にポジション取りできた事がモチベーションに繋がったかと思います。

また、中1で同じクラスだった友人と、結果的に高2から一緒に勉強をして一緒に東大に受かる事になるのですが、その友人との出会いも大きかったかもしれません。彼は運動部に所属しなかったので勉強中心でしたが、彼以外では、文武両道をこなす自分より少しレベルの高い仲間が多かったので、最終的にその友人達とは一緒に東大に行くことになるのですが、環境は非常に恵まれていたと思います。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

普通に学校の宿題を真面目にこなすだけだったが、これくらいは必要だった記憶。

Q:中学校時の習い事について何をやっていましたか?

→なし。習い事はしていなかった。部活と学校の勉強のみ。(あと強いて言うならそろばんを忘れないように触っていた)

Q:中学時代に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→気合。勉強も気合だったと思います。眠くても、部活で疲れていても気合。そういう雰囲気の学校だった。(気合がないと人権がない・・・と言ったら言い過ぎか。でもそういう感じ。)

 少し丁寧に解説すると、勉強もやる気ないとダレる訳ですが、ダレているとか宿題やってなかったりすると、周りからお前は気合が入ってないという言い方で指摘される(やる気あんの?みたいな言い方を、気合が入ってないと表現)。

指摘されると思うとイラッとするので、(指摘されないように)どんなに疲れていても気合入れてやり切る、という雰囲気。 勿論、この流れから脱落する生徒は少なくない数いましたし、飄々とこなしている生徒も勿論多数いたけど、なんとなく大多数の流れは”気合”でやっていたイメージ。

Q:中学校時代の教育を振り返ってどう評価しますか?

→東京のド田舎の公立小学校から来た私には、とても世界が広がる、とても良い環境だったと思う。(減点要素にはしないが)強いて言うなら、更に世界を広げる為に、文字通り世界(外国)を見せるような教育があったら良かった。

あと、男子校だったのでジェンダー的な偏りは(今の自分に影響しているのかよく分からないが)あまり良くなかったとも思ったりはする。


5.高校時代※高校受験含む(配点10点)

Q:私立の高校受験は考えましたか?
→中高一貫校だったので、受験せず。

Q:高校時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)

中学の欄に書いた、一緒に勉強をしようと誘われた友人と図書館や空き時間に勉強するという環境が最高だった。

その友人君は、学年1-3位にいつも居る秀才(私が言うのも何ですが天才というより努力型の秀才)でしたが、塾に行かずに自身で計画たてて勉強できるタイプの勉強友達が欲しかったそうで、高1終了時点で塾に通おうとしなかった(私が両親を慮って、こんな学費の高い私立中高一貫校に行って更に塾なんて行ける訳ないと思い込んでいたからというのもあるのだが)私が丁度よかったのだとか。

私にしてみれば、彼に勉強を少し教えてもらえたりするのかと期待したのだけど、2年間毎朝1時間図書館で一緒に勉強し、鉄緑会のある日は一緒に通う前の空き時間とかに勉強したりとかしていたが、一切、何も、勉強を教えてくれなかった。気合入れれば解けるとしか言われた記憶しかない。
 
逆に、昔から親のアドバイスは何も無く、周りを観察して盗めるものは盗み、自分でやり方を考えるしかなかった自分には、少し先を行く友人の背中を見ながら勉強できる環境は、合っていた環境なのだろうと思う。

おかげで、塾に真面目に通っていたら全教科平均8割取るように勉強させられていたかもしれないが、自主勉のスタイルに決めたことで、自分が周りに勝てると唯一自信のある”記憶力”だけで勝負しようと決め、物理、化学、地理、漢文、古文で問題のパターンを記憶してそれらは全部満点を取ると決め、その為に東大の過去問10数年分とそこら中の東大模試を全部解き、数学ゼロ点、英語そこそこで、余裕で理科一類を突破するプランを立て、完遂できました。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

→高2からは、月~日を30分単位でスケジュール組んで、効率性を追求する為、無駄な授業は聞かずにガチで自習していたので、こんな感じ。

Q:高校以降はどんな習い事をやっていましたか?


一緒に勉強をしようと誘われた友人と図書館で勉強するのがあくまでメイン。

東大専門塾の鉄緑会は、その友人の勧めで、学習教材を目当てに通ったもの。授業は適当にこなしていたし、高3では頻度を下げた。

Z会は通信ではなく恵比寿の通う方の東大対策コースに行っていた。目的は、東大自体の過去問10数年分では教材が不足したので、東大模試目当てに行ったもの。Z会の授業は時間の無駄なのでこれっぽっちも聞いていなかったので、貢献度は模試の教材のみで判断して、低め。

Q:高校時に学習・進学などで記憶に残る言葉・事件はありますか?
→気合。中学同様、勉強も部活も、全てが気合だけで成り立っていた。

Q:高校以降の教育を振り返ってどう評価しますか?

現役東大理1の結果で、何も減点はできないと思います。

5.答え合わせを終えて

→高校までなので、大学受験がゴールのようなイメージで書きましたが、更に先も見据えてみると、大学に行くことが正解でもないわけで、①経済的に十分に自立し、一方で②自分のやりたい事も見つけ続けて世界に貢献していく事ができれば、とよく一般論で言われますが、そのどちらの教育も高校までの過程で受けたことがありません。自分からそういう教育を受けようとも思いつく事もできませんでした。

田舎の公立の小学校ならまだしも、こういう教育が有名中高一貫校にもない(当時バブルは終わっていたと思いますが)、というのはどうなんだと思いますね。キツイ言い方をするならば、我慢・忍耐・気合・根性の類で勉強や仕事はできるが、経済的な自立も意識せず、何がやりたいかもまともに考えられない人間が出来上がったと思います。しかも、私だけでなく、大量に。
 
①  敢えて厳しい言い方をするならば、勉強はできても経済的に十分に自立できるほどのお金は稼げない(世の中一般で見ればそこそこ稼ぎはあるけど何かしようと思った時の資金が足りない、国や会社に頼らなかったとしても生きていける&家族全員がやりたい事ができるレベルの収入がない)、のでつまんないけど諦めて今の会社にずっといようかな、という友人も結構な数見てきました。私は”偶然”自立できる程の稼ぎがありますが、偶然でしかないです。もう少し必然にできたと思います。(逆の例を挙げるならば、②目的がはっきりしていて、稼ぎはないけど研究者でやっていくんだというのは立派ですね。私にはそういう確固たる意志の目的がなかったので研究者はできなかった・・・)
 
②  途中にも少し書きましたが、少々世界が狭かったようにも感じます。もう少し世界(日本の他の地域、外国)にも触れてみても良かったのでは。外国は大学で物凄く触れたので結果論問題はなかったのですが、ただ、中高で触れるとまた世界は違っただろうなとは思います。大学に入れば、学科を選ぶ所もそうですが、研究室を選ぶ所も、何がしたいかを深く考えて行かないといけませんが、もっと考える為に必要な世界の広がりとか、何がしたいか、世の中でこんなに困っている事柄があるんだ、とかを考える訓練も必要だったように思います。

6.編集後記

どうも、#1のカラシカシです。個人的には色々発見が多い答え合せでした。主だったものでいうと…

●子供に勉強に向かわせる言葉掛け
「勉強しなさい!」は論外として、「勉強しないと…」というネガティブサイドの話をするのも一つの手だなと思いました。説得力のある根拠が必要だなというのとやり過ぎ禁物に注意しつつ…

●勉強習慣をつけるルーティンの確立
手をこまねいていても勉強の習慣化など出来るはずもなく、生活の中にどう無理なく動作ベースで落とし込むか、これが肝なんだなと。

●読書の評価
「読むの速いね」は何気にお母様のナイス戦術だなと。そしてこれもある意味一つのルーティンというか、子供の読書に対して評価を行うというのが一連の流れだったのではないかと思いました。

そして”気合”ですね。やっぱり大事ですよね。



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