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教育ログ20人目(東大寺・浪人→京大経済)

0.今回の教育答え合わせさん

→東大寺学園から京都大学経済部に合格されたくまたろうさん。今改めてご自身の教育を振り返った結果はこちら!

「高校時代の同級生に追いついていくため、同じような水準に達するため、自分に合った方法を色々試行錯誤して、あがいていました。結局、高校・浪人時代には、自分にあった効率のよい勉強方法は見つからなかったのですが、あがいていることで非効率ながら徐々に学力は上がっていったのだと思います。」と語るくまたろうさんの教育答え合わせに迫ります!


1.回答者略歴


Q:お名前を教えて下さい。
→くまたろう

Q:年代を教えて下さい。
→アラフォー

Q:ご職業を教えて下さい。
→会社員(金融業界)

Q:ご自身の幼少期のキャラクターについて教えて下さい。
→典型的なO型末っ子の性格。幼少期は心配性や緊張癖が今より強かった。
 
Q:ご自身の性格について、以下の観点でお答えください。

Q:最終学歴を教えて下さい。
→京都大学経済学部
 
Q:そこまでのルートを教えて下さい。
→市立小→東大寺学園中学・高校→(一浪)→京都大学

Q:大学合格時点での学習能力の自己採点をお願いします。


※各5点満点の6要素で15点以上となるよう配分をお願いしています。

Q:ご自身の各学習能力に関してどう考えていますか?

●要領・理解力は低かったです。兄弟や周囲と比べたら劣っていて、ポンコツだなと感じていました。
●一方で、耐久性・ストレス耐性といった諦めのわるさは人一倍ありました。ずっと続けていると、周りが飽きてしまって取り組まなくなることもあって、いつの間にか周りよりもできるようになるということが結構ありました。

社会人になった後で、「要領のよさ」と「理解力」は技術と訓練で上げていくことができると分かったので、学生時代にそれに気が付いていればもっと楽だったと思います。
 
Q:教育の得点配分を教えて下さい。

Q:得点配分の意図を教えて下さい。
→幼い頃は親のスタンスから受ける影響が大きく、成長するにつれて小さくなる。

代わりに友人・教師のスタンスから受ける影響が徐々に大きくなると考えのもと直感で配分しました。

評価は自分がどれだけ活かせたかを中心にして考え、18歳時点の学業成績のレベルが大学現役合格できる程度は90点、浪人して合格できる程度は70点と置いて以下採点しています。


2.保護者の教育スタンス(配点50点)

Q:ご家族の最終学歴について教えて下さい。
父:国立大学(文系)
母:国立大学(文系)
姉:国立大学(理系)
兄:国立大学(理系)

Q:保護者の教育方針はどのようなものでしたか?
→父母ともに、学問は面白いし学業は子供にとって財産になるという考えで一致していました。

父母は学ぶことが好き・楽しいという人でした。学業を大切にしていたと思います。おそらく両祖父も同じく学業を大切にしていたことが影響したのではないかと思います。

また他の兄弟に比べて出来のわるい私に対しては、長い目で見て育てるというスタンスをとってくれました。父は単身赴任が多く、具体的な教育については、母に任せていました。
 
Q:その教育方針はご自身の学業にどう影響したと思いますか?
→粘り強く取り組む習慣がついて、学力を伸ばすことができました。

学ぶことは大切で損をしないと子どもながら思うようになっていました。
私は学問が面白いと実感したのはとても遅くて大学に入ってからです。

ですが、小・中・高の面白く感じていなかったときも、きっとそれはまだ自分が面白いと感じる域に達していないからで、いつか面白いと感じたいなと思うようになっていました。

そのため、成績がすぐに上がらなくても、面白くならなくとも、勉強を続けていました。

Q:ご両親は学業に関してどんな接し方でしたか?
→母自らが算数・国語・理科・英語と子供に教えて学ばせることが多かったです。

子供のために自分で問題やドリルを作ってくれたりしてくれました。小学生の頃、私が教科書を読んでつまらなさそうに読んでいたら、母から「こんなに面白いものが分からないなんて、分からない」といって本を取り上げて母が読みだしたことがあります。面食らいました。学問が相当好きだったのだと思います。

また、父は母に対して「本が欲しいと子どもが言ったらいくらでも買ってもよい」と言ってくれていました。

Q:今振り返って学業につながった、家庭内の文化や習慣があれば教えて下さい。

①父は単身赴任の期間が長かったのですが、家に帰ってきた休日に、近所の裏山までジョギングして、虫やカエルを捕まえによく遊びました。
家族を支える父の考えや人なりを知ることができましたし、体を動かすこと、自然に触れることで、色々なものに目を向けたり、気を晴らすことを覚えたと思います。

②休日は、家族7人(祖父母・父母・兄弟3人)で食卓を囲んでいたのですが、学校であったことや、テレビを見ながら、皆が自分の意見を喧々諤々しゃべっていました。今思うと自分の学業や人格形成につながる習慣だったと思います。

Q:ご両親の教育スタンスについての小計を教えて下さい。

満点です。両親は私に学業に目を向かせ、また一浪してもよいと長い目で見てくれました。両親は最善をつくしてくれました。


3.~小学校時代※小学受験含む(配点10点)

Q:小学受験はしましたか?
→していないです。

Q:小学校の頃の学業成績について教えて下さい。(全6レベル)

→低学年はド真ん中。中学年は真ん中より少し上位。高学年は中学受験を念頭に進学塾に通い始めて、小学校ではトップクラスになりました。
(但し、進学塾では真ん中より少し上の成績でしたし、塾の模試の成績も然程高くなかったです。)

Q:小学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?
→中学年までは低めです。授業についていけないことがなければOKだと思っていました。

満点とることが容易なテストでも、75~80点くらい取れていたら良いと思っていました。(後述しますが、取組む姿勢がなっていないと、母に叱られたことがあります。)

高学年で進学塾に入り高まりました。

Q:小学校の教育環境についてはどう考えていますか?
→進学について、関心は低かったと思います。
(進学塾に通い始めて他学区の人達と触れて感じました。)
しかし、自然に囲まれて、のびのびできる環境だったので、自分の性格にはあっていたと思います。
他方、基礎学力の習得の面からすると、環境としては物足りなさがありました。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

低学年では、学校の宿題と母が作ったドリル、
中学年では、そこに通信教育が加わり、
高学年では、通信教育に代わって塾の宿題等でした。

Q:小学校まで習い事は何をやっていましたか?

Q:学習貢献度の高い習い事について、始めたきっかけを教えて下さい。
→他兄弟も同じ習い事をしており、自分もその流れで始めたと思います。

Q:習い事についての振り返りをお願いします。
・通信教育は、小学校の学習での不足を補えてよかったと思います。
・進学塾は、他者との学力差や競争を強く意識する初めての場で、小学校でのほほんと過ごしていた私にとっては良かったと思います。
・水泳をして運動したこと体力をつけたことは、ストレス耐性・耐久性をつけるのによかったと思います。

Q:今振り返ってやればよかったと思う習い事は?
→特に無いです。

Q:小学校までの読書について教えて下さい。
→今思い出すものを適当にあげると、「ズッコケ3人組」、「晴れ時々ブタ」、「怪盗ルパン」、「ドリトル先生」、「エルマーの冒険」、「漫画日本史」。小学生が、図書館で読むようなものを読んでいたと思います。

Q:当時熱中していたことは何ですか?それは学業にどう影響しましたか?
・水泳 (上述の通り、習い事で一番楽しかったです。)
・工作 (数本の割り箸をカッターとボンドをつかって飛行機をつくることに夢中でした。)
・落書き (授業中にノートに落書きをするのに夢中になっていました。先生の話そっちのけで、教科書の人物だったり生き物の絵をかいたりしていました。)

Q:小学校時に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?

①「100点(満点)をとった人は、110点~120点がとれる可能性を持った人。70点~80点で良いと安住しているあなたは、そこで終わってしまう人。」と、小学生の私の取組み姿勢がなっていないことに叱責した母の言葉。

②また、中学受験は、運よく本番に100%以上の力を発揮することができ進学校に合格した際、入学後ついていけないかもしれないと悩んだ際に、塾の恩師から「若いうちはできるだけ背伸びした方がよいに決まっている」と背中を押してくれた言葉。

Q:小学生時代の教育環境の小計を教えて下さい。

→地方都市で、自然もあり、悠々と遊べたので、環境として悪くはなかったと思います。他方、進学について関心は高くなかったことを踏まえました。


4.中学時代※中学受験含む(配点15点)

Q:私立の中学受験は考えましたか?
→はい。他兄弟がそうだったので、自分もその流れで中学受験を考えました。

Q:中学行時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)

※正確には1年生時は下位10%、2年生時は25%、3年生時は下位40%。

予想通り、入学後は周りの同級生の学力に圧倒される日々でした。追いついていくのに必死な状態がずっと続きました。ただし、学年が上がっていくにつれて、よい友人ができたり、環境になれてきたりすることで、学業成績は緩やかに上がって行きました。これは自分の学力があがっただけでなく、勉強に飽き切って放棄してしまい学業成績が落ちる同級生も一定数いたからだと思います。

Q.非常に失礼な質問かもしれませんが、東大寺学園の中におけるご自身の地頭レベルというのはどのあたりだと分析されていますか?
→学校内においては、地頭はわるかったと思います。物覚え、要領がわるくて、周りの同級生が何故すぐに身につくのか分からずに衝撃を受けたことを覚えています。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

→授業以外は2時間くらいだったと思います。
通学時間が片道1時間半程度かかったこともあり、電車の中で宿題をしたりしていました。

追いついていくのが必死だったこと、中高一貫校で受験期がなかったこともあり、中学生時代は大体おなじような勉強時間だったと思います。

Q:中学校時の習い事について何をやっていましたか?
なし (部活で体を動かしていました)

Q:それぞれの習い事について学習能力への影響を教えて下さい。
→部活で体を動かしていて、よく走って体力がついたのは良かったと思います。 

Q:中学時代に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→特になし

Q:中学校時代の教育を振り返ってどう評価しますか?

→中高一貫校で、自由な校風で、よい友人に恵まれました。学習・進学に関心の高い家庭の子が多くて、それが自分にとってはとても良かったと思います。一方で、その好環境を自分が最大限活かせたかと思うとそうではなく、学業についていくのがやっとだったことを踏まえました。

Q:最大限活かすとすれば例えばどんなことをすればよかったと思いますか?
→今だから言えるのでしょうが、友人から恥ずかしがらずに、どうしたら成績が良くなるのか(すぐ成果に結びつくのか)、もっともっと教わって、マネをしていればよかったと思います。要領の良さ・理解力を上げることができたと思います。


5.高校時代※高校受験含む(配点25点)

Q:私立の高校受験は考えましたか?
→していません。

Q:高校時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)

※正確には2年生時は下位45%、3年生時は下位55%にいました。

Q東大寺だと文系はひとまず東大京大を目指すのがスタンダードでしょうか?
→はい。
あまり物事考えずに、ひとまず京大・東大を目指すのが当たり前でしょう(目指さずにあきらめるのは弱虫)といった、男子学生的なノリが雰囲気的にありました。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

Q:習い事は何をされていましたか?

Q:習い事はどう学力に活きましたか?
→高校時代の同級生に追いついていくため、同じような水準に達するため、自分に合った方法を色々試行錯誤して、あがいていました。結局、高校・浪人時代には、自分にあった効率のよい勉強方法は見つからなかったのですが、あがいていることで非効率ながら徐々に学力は上がっていったのだと思います。

Q:思考錯誤の具体を少しお聞きしたいです。
中高の頃のことはなかなかすぐ思い出せないのですが、以下のようなことをしていたと記憶しています。
・授業の受け方・・・ノートを使うか、教科書に書き込むか。予習、復習をするかしないか等
・勉強の時間配分・・・朝にするか夜にするか、土日に一気にやるか平日コツコツやるか等
・暗記の仕方・・・・ノートの取り方、単語帳の作り方、ペン・マーカーの使い方)。
・利用する参考書・・・・書店であれこれ探す

Q:高校以降の教育を振り返ってどう評価しますか?

→中学校の評価と同じく、学校・友人と環境はとてもよかったです。一方で、その好環境を自分が最大限まで活かせなかったことを踏まえました。
 
Q:ご兄弟(姉妹)との学歴または学力の差異があれば、その発生要因の分析をお願いします。
→まず上の兄弟は、小学校中学年まで、他地域で過ごしていたからだと思います。

その地域は、教育への関心が高く、公立・私立に関わらず、教育が行き届いていたようです。あと、地域が変わったということ、私が3人目ということもあり、母自身も環境に慣れることや体力面から、上の兄弟と同じようには接せられなかったことは、影響しているかもしれません。
 
Q:お母様がおっしゃっていた「100点(満点)をとった人は、110点~120点がとれる可能性を持った人。70点~80点で良いと安住しているあなたは、そこで終わってしまう人。」との言葉は、今改めて振り返っても正しかったと思いますか?
→当時の私にとっては正しく、最適だったと思います。
普段の母なら言わない、かなり厳しい言葉でした。当時の私の怠け心や心の弱さを見抜いて、これはこの子によくないと親心から言った言葉だと思います。

5.答え合わせを終えて

→今回、答え合わせをして、当たり前かもしれませんが、受けてきた教育がいかに今の自分の性格に相当影響を与えているかを実感しました。楽しかったです。

6.採点後面談

どうも、#1のカラシカシです。以下、僕とくまたろうさんとの答え合わせ提出後のやり取りです。

カラシカシ:関西の私立の雄の東大寺出身者の答え合せ非常に興味深く読ませていただきました。僕と同様に浪人してるわけですが、書きぶりにあまり悲壮感がないですね。勉強に関して、他人との比較では苦労しながらも、ある程度純粋に楽しめたのかなと思いました。その受け止め方はあってますか?

くまたろう:浪人に対して悲壮感がない印象を与えているのは、
①小学生高学年(進学塾に入って)から、中高進学校に入ってから、ずっと追いつくことで一杯だったこと、
②高校時代、周りも浪人はあり得る雰囲気(まずは京大目指そうぜ)ということ、そういうこともあったからかもしれません。

また、他人比較が超薄れた大学入学以降は「学問面白い!」と感じていたのですが、仰るように、小中高から、他人比較で苦労したけれども、気づかないうちに勉強は好きだったのかもしれませんね。


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