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教育ログ7人目(大垣北・浪人→京大総人)

0.今回の教育答え合わせさん

→公立高校から京都大学総合人間学部に合格されたみちともぱぱさん。今改めてご自身の教育を振り返った結果はこちら!

「最終学歴は、ぶっちゃけ高学歴。なのに、なんでこんなに点数が低く出てしまったのか。それは、学歴があって、いま幸せに生きていても、思い出したくもない『黒歴史』が存在しているからです。
敢えて言います。学力をつけることを目的にしたとしても、その根本として、学力をつける以前に必要なことってあると思いませんか?
企画の趣旨に合わないことを言っているかもしれませんが、子どもに学力をつけたいと思っている保護者の方、長文ですが一読だけしてみてください。」と語るみちともぱぱさんの教育答え合わせに迫ります!

※本企画は、難関大学合格者が幼少期からどのような教育を受けて、そして改めて振り返った上で、それが学業成績に「どう作用したか」という観点から思い出し・分析する、という趣旨となっております。
企画者及び回答者に、学歴社会の肯定もしくは高学歴を推奨する意図はございません。


1.回答者略歴


Q:お名前を教えて下さい。
→みちともぱぱ(Y.I.) 子どもたちが将来間違ってこの記事を見つけたときに、親父はこんなこと考えていたんだ、とわかるよう特定可能にしておきます(笑)

Q:年代を教えて下さい。
→30代

Q:ご自身の幼少期のキャラクターについて教えて下さい。
→いわゆるクソガキ。そして、なぜなぜ星人。
 
Q:ご自身の性格について、以下の観点でお答えください。

Q:最終学歴を教えて下さい。
→京都大学総合人間学部→京都大学大学院人間・環境学研究科(修士)
 
Q:そこまでのルートを教えて下さい。
→公立小・中学校→(高校受験)→大垣北高校→一浪(代々木ゼミナール・特待生)

Q:大学合格時点での学習能力の自己採点をお願いします。

※各5点満点の6要素で15点以上となるよう配分をお願いしています。

Q:ご自身の各学習能力に関してどう考えていますか?
→とにかく凸凹激しいですね。④と⑤が逆だったら、いい感じのチャートになったのに。

これは僕の特性(ADHD)があるので、どうしようもないところです。生まれつきこんな人間です。(だからこそADHD気質の人の参考になれば)
学校の勉強が好きかといわれると好きではないんですよ。でも、⑥に繋がるものとしての知的好奇心はめっちゃあって、②や⑤でいうところの地頭という神様からいただいた貴重な武器がある、という点から、やり始めたら何でも面白くなっていました。

①で自走力・自律性がないと書いてますが、同じくで「やれ」と言われるとやる気ないけど、追いつめられてテキスト開いてみると、「面白いじゃん!」となるケースが多いから、結果として学歴はついてきたんだと思います。
 
Q:教育の得点配分を教えて下さい。

Q:得点配分の意図を教えて下さい。
→これ、めっちゃむずかしいんですよ。今は広い意味で教育業界の人なので、教育論語りたくなりますが、それを抑えて自分の人生だけで書きます。
 
「地頭がある程度あって家庭環境がぶっ飛んでなければ」という前提があったうえで、「子どもの心に何か起きたとき(思春期が多い)にどんな環境に置かれるか、自分の存在が周りに認めてもらえるか」で、人生の方向性が決まるのだと思います。
 
そういう意味で、僕のケースは、①両親30点、③中学校50点です。人によっては、後者が小学校(ガチのギフテッドとか、早めに思春期がきた女子とか)だったり、高校(進学して世界が広がる中で感受性が高まったりとか)だったりするのかもしれません。


2.保護者の教育スタンス(配点30点)

Q:ご家族の最終学歴について教えて下さい。
→父:高卒(定時制)
母:中卒(企業内の高等専修学校卒 ※しってます?)
妹:短大卒
弟:高卒(高等専修学校卒、高卒資格は連携校の通信課程)
    
学歴では、家族どころか一族の突然変異!

Q:保護者の教育方針はどのようなものでしたか?
→→両親ともに、特に小学生の時は「宿題だけはやりなさい!」のスタンスでした。それ以上、本当に何も言われたことない。僕個人で言うと、それがちょうどよかったんだと思います。
 
ただ、「野球やりたい」「塾いきたい」みたいな僕がやりたいことに対しては、何も言わずにやらせてくれました。家計的には正直苦しかった(世帯年収300万円程度!)はずですが、心から感謝しています。
 
ちなみに、同じスタンスで妹と弟も育ってますので、学歴としての結果は完全に地頭の差でしかなく、人間的にはあいつらの方がよっぽど上です。
 
Q:その教育方針はご自身の学業にどう影響したと思いますか?
→学業面だけでなく、それ以外の面でも本当にプラスに作用したと思います。
中学の三者面談で先生に「お家でも学校生活面お話していただけませんでしょうか」と言われようが、高校で 登校拒否 選択的登校になって、漫画喫茶でサボってたら補導する人に捕まって通報されて、三者面談で先生に「卒業だけはしてね♡」と言われようが、それを理由に説教をくらったことがありません。
あそこで親とこじれていたら、大垣北高行けてないし、高校卒業できなかっただろうし、いまの自分はありません。

Q:ご両親は学業に関してどんな接し方でしたか?
→本当に何も言いませんでした。父が小学校の時に「お前は北高行って北大いってくれたら万歳や、遊びに行くから(笑)」って言っていたのが印象に残ってますが、それくらい。実際のところ京都には1回遊びに来たきり。
自分たちの子どもが、こんな地頭持って生まれたことをどうとらえていたのか、学校生活からはみ出ることの対処で精一杯だったのかそうではないのか、聞いたことありませんし、今後も聞かないでおこうと思います。

Q:今振り返って学業につながった、家庭内の文化や習慣があれば教えて下さい。
→家に6巻セットで「算数・社会etc...の不思議」みたいな辞書形式の分厚い本があって、それで得た知識をベースに、学校の図書館で本を読みまくっていました。どこまで意図的だったかはわかりませんが、知的好奇心がくすぐられる最強のきっかけだったと思います。
あとは、学研の「科学と学習」をやらせてくれていました。どこまでいっても、「やりたい」と言ったことに対して、ちゃんと叶えてくれたこと、そのスタンスに感謝しかないです。

Q:ご両親の教育スタンスについての小計を教えて下さい。

なんか違和感がありますが、僕が何とか社会人としてはみ出ずに生きていけているのは、あの両親だったからこそだと思います。やり方をミスったら、高校中退してその後どうなったかは分からないので。
 
一方で、経済的に余裕があったり、都市部にいたりして、「中学受験」みたいな選択肢が出てきていたらどうなっただろう、ということも考えてみたりもします。それは、結果的には不要だったのですが、その世界線へ導いてもらえてたら、どうなったんでしょうね?


3.~小学校時代※小学受験含む(配点10点)

Q:小学受験はしましたか?
→してないです。両親の学歴的にも経済的にも田舎的にもそんな選択肢を考えたこともなかったのではないでしょうか。

Q:小学校の頃の学業成績について教えて下さい。(全6レベル)

→京大生って、みんなこんなもんじゃない?っていうくらいの感覚です。そうじゃないのを、大学入ってから知って驚いたくらいです。
 
神童的なエピソードでいうと、小学校入る前から九九の定義と使い方を理解して、四則計算は普通にできました。また、同時期にどこかのショッピングモールでPCの教育ソフト、今でいう進研ゼミのタブレットみたいなやつの販促してたんですけど、小3の分数の足し算(通分)を初見で理解して解いて、営業マンにドン引きされたことが記憶にあります。

 あとは、社会的なものでいうと、地図と国旗が大好きで多分小1くらいで国家全部地図上で暗記して、あと首都など主要都市は全部覚えてました。前後しますが、ベルリンの壁が崩壊した時には、ニュースが気になって仕方なく、辞書持って新聞読んでたという記憶があるような、ないような(後年の記憶捏造の可能性あり)。
(※ただし、このレベルを神童といってしまうと、本当の神童に失礼です。本物は、同じくらいの年齢でオイラーの公式なんかに興味を持ちます。)
 
そんな感じで、小学生時代に学校の勉強で困った経験はゼロです。勉強ができる子どもには、勉強もそれ以外も、とにかく知的好奇心をくすぐりまくってやってください。

Q:小学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?
→授業受けて宿題やる、しか感覚はなかったです。学年が低いうちは、例えば算数ドリル2回目を自主的にやるとシールもらえる、みたいなのがあって、シール欲しさにやったりとか、先生にうまく誘導してもらえてたんだな、という記憶もあります。
 
ということは、「宿題やる」は習慣化したルーティーンで、外的につられて+αがんばりました、という感じですね。褒められてうれしいとか、クリアしたらゲーム買もらえてうれしいとか、いろんなレベル感がありますが、外的なものがきっかけで面白さに気づき、内的な興味関心が湧き出てくるようにする、ってのはアリなんだと思います。

Q:小学校の教育環境についてはどう考えていますか?
→田舎の純朴な少年少女ばかりだったので、よくも悪くもマイルドだったな、と思います。荒れているわけでもなく、進学熱なぞそもそも存在せず、のびのびさせてもらえる環境でした。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

→宿題やったら、あとは自由!妹とお年玉を出し合って買ったスーパーファミコンを奪い合いながら、1日2時間以上はゲームの時間でした。好きなソフトは「信長の野望」、「ドラクエ」、「桃鉄」。ゲームをやると脳みそ死ぬ、取り上げろ!みたいな議論にはとても悲しい気持ちになります。

Q:小学校まで習い事は何をやっていましたか?

Q:学習貢献度の高い習い事について、始めたきっかけを教えて下さい。
→全部、自分で「やりたい」と言って始めました。
 
その中で長続きしなかったのは公文。理由は先生の方針。先に進む快感を感じたかったのに、ケアレスミスがあるから枚数増やして復習しようという、いま考えても最もモチベーション上がらない訓練を受けていて、颯爽とやめました。「こんなに早くやめる子初めてです!」といわれたようです(笑)
そう考えると、僕の子どもたちの公文の先生は、しっかりと子どもの気持ちも見ながらすすめてくれます。上の子は5年間通って4年生から中受へ、下の子(小2)は現在4年目で継続中。うん、教材が悪いわけではない!
 
塾へ入ったのは小5。進学塾ではなく、近所の補習塾。同級生が何人か行っていて、なんだか楽しそう、というベタな理由で始めました。後述しますが、中3までお世話になり、僕の学力の基盤となりました。

Q:習い事についての振り返りをお願いします。
→実は一番学業に影響を及ぼしたのは、野球だと思います。勉強できるし、足は速いけど、野球はヘタクソ。レギュラーではあったけど、ピッチャー失格。

でも面白くて、少しでも上手くなりたくて、家で素振りしたり、壁あてしたり。苦労せずに勉強できる分、ステップアップするのに一定の努力が必要になる貴重な体験だったのだと思います。流行りの用語でいうと、”grit”ですね。

Q:今振り返ってやればよかったと思う習い事は?
→中学受験をやってみたかったです。

当時は私立中学なんてものの存在を知りませんでした。小学校の卒業式は、中学の制服で出席する学校だったのですが、120名のうち2名(女の子)だけ別の服で参加していて、「転校するのかな?」と思ったら、私立へ行くということでした。

両親の話でも書きましたが、ADHDでお勉強できる僕としては、同じようなヤツらがいっぱいいる環境で生活できたら幸せだったかもな、という願望です。

Q:小学校までの読書について教えて下さい。
→1,000冊はくだらないと思います。純粋に、おもしろいじゃん?っていう感じです。一番はまっていた3年生くらいの時には、通常の10分の休み時間にも図書館へ行って本を読むくらいでした。(ちなみに今でも年間100冊くらいは読んでます)
 
内容は雑多になんでも。ズッコケ3兄弟とかゾロリとかからスタートして、相応の小説を読んでみたり、高学年ではモモとか星新一とか読んだことが印象に残っています。

「幼少期の読書量=学力」という話がありますが、これは経験的にも納得できます。一般的に言われる通り、同年代と比べると知識も情緒も育まれていたと思いますし(情緒が育まれ過ぎて災難が生じたくらい)、科目としての国語も得意になりました。あと、マンガ日本の歴史とマンガ世界の歴史は、その後の学習にストレートに役立ちました。

Q:当時熱中していたことは何ですか?それは学業にどう影響しましたか?→ゲームと野球です。先述しましたが、”grit”って、すごく大切。スタートは苦痛である勉強を、興味深く味わえるレベルまで到達させる、基礎体力だと思います。
 
個人的には、ゲームも野球も、どちらも英語では”play”であることがポイント。ゲームであればステージをクリアする・レベルを上げる・ラスボスを倒す、野球であればキャッチボールできる・ヒットを打つ・試合で勝つ・・・色んなステップがあって、それに対して試行錯誤をしてクリアしていくわけです。この過程が思い返せば本当に大切。いま自分の子どもたちがマイクラやっているのを見ていても、やっぱりそう思います。
 
勉強が”study”ではなく”play”と思えれば、その試行錯誤を、勉強でしていってもいいし、そうでなければ、ゲームでもスポーツでも、なんでもいいんじゃないでしょうか。本当は、面白いと思えないことで鍛えるのもいいのでしょうけど、小学生に、そんな高尚なこと求めたらダメだと思います。

Q:小学校時に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→特にないですが、卒業式で初めて知った「私立中学」の存在は、事件といえば事件でした。

Q:小学生時代の教育環境の小計を教えて下さい。

→いま客観的に見てみると、とにかく知的好奇心が死ななくて良かったな、という感じです。

「勉強できるやつダサい」とか「図書館行くやつヲタク」いう言葉がでる環境ではなく、逆に「勉強しなさい!」と言われる環境でもなく、いい感じな小学校生活でした。
 1点引いたのは、「私立中学」を知らなかったという点です。まあ、これはさすがに「受けたい」と言ってもダメだったと思います。知らなくて逆によかったんでしょう。

4.中学時代※中学受験含む(配点50点)

Q:私立の中学受験は考えましたか?
→先述の通り。

Q:中学行時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)

→京大生って、みんなこんなもんじゃない?田舎の公立だし。たまに2番とか3番とかあったけど、5番以下になった記憶はないです。

Q:中学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?

→→思春期入って、多くの時間を過ごす場所としての学校にたいして疑問が噴出。正直、まったくやる気はありませんでした。だって、なにあのクソ校則、そして行き過ぎた「集団主義」。

ルールに関してだけ言及しておくと、ルールはあるべきだけど、「どうしてそのルールがあるのか」「守らなかったらどんなことが起きるのか」「よりよいものに変更するにはどうしたらいいのか」みたいな、ルールの前提となるべき諸条件が全くない。守らなければいけない理由は「ルールだから」。終わってますよね。

勉強に対しても、同じスタンスでした。一つ一つの事柄に対して「なぜそうなるのか?」とか「もっと深いところで知的好奇心をくすぐられる部分があるか?」ということを考えるお年頃になったわけですが、公立中学校の授業は、そこまで踏み込まない。

例えば、二次方程式の解の公式の授業が記憶に残っています。その時、授業を結構楽しみにしてたんですよ、計算して出した公式を暗記しろ、じゃない何か工夫があるかどうか。で、どうだったかと言えば平方完成してそれで終わり。がっかりです。もちろん学習指導要領的にはOKなんですが、ただ計算しただけで、そこに何の深みもない。中高一貫校なんかだったら、高校で話をするであろうところに踏み込んで、恒等式としての(x-α)(x-β)の話とか、判別式の話とか、ちょっと踏み込んだりもできるのでしょう。学ぶ内容の次への広がりが見えると、心躍りませんか?せめて今みたいにYoutubeがあったら、僕の世界は広がっていたのでしょうか?

なので結局は、テストで点数を取ることだけはやっておこう、となったわけです。ただ、その姿は良くは評価されませんでしたけどね。「テストだけできたらいいわけではありません。ノート出しなさい、挙手しなさい、そもそも授業態度の前に、生活態度改めなさい」ですから。

Q:中学校の教育環境についてはどう考えていますか?

→ヤンチャしたい田舎の少年少女の集団が、校則があることと集団主義でコミュニティ形成されていることによって、荒れないで授業はできる状態になっていたわけです。

僕にとっては合わない環境は、ヤンチャを抑えるためにあるんだ、というのが、大人になって分かった理屈(大学の専攻は教育学)です。その是非に関しては言及しませんが、僕に合わなかったことは間違いありません。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

中学校に入ってから、学校の宿題は学校で、塾の宿題も塾で終わらせるようになっていました。家ではノー勉。なので、記載してある時間は、週2~3回の通塾を1日平均で割ったのみです。
 
家ではゲーム、土日は野球(後述します)。中学校入ってからはダビスタにハマりました。インブリード組むのにダービースタリオン大全を買って、血統を読み解いて競走馬を生産をしまくっていました。
 
って、こう書くとオタクっぽくて、読んでいただいている方が離脱してしまうかもしれないので、ちょっと現代風に説明すると、現代の子どもたちがマイクラにハマっているのと同じです。アイテムやらエンチャントやらが全て載った「マイクラ大全」みたいな本を買って、壮大なワールドをつくり、ギミックに富んだ構造物を建築する感じです(現代っ子は本ではなくてWEBで情報収集するでしょうが)。

結局、勉強は塾で間に合うので、家では自分の興味があることをやっていました、ということ。何度か書いた通り”play”による”grit”獲得の過程なわけです。ダビスタやマイクラに興味がない方は、「子どもが、親の理解できない何かに熱中していても、それは子供が自分で試行錯誤している、成長の機会なんだ」という感じで、理解しておいてもらえれば幸いです。

Q:中学校時の習い事について何をやっていましたか?

塾の授業のおかげで、学校のテストは問題なくこなせました。とにかく、要領よく覚えきる、学校や塾で宿題もやりきっちゃう、みたいな流れができたことで、勉強を自律的にできない僕が学力をキープできたんだと思います。ありがとう、矢〇先生、真〇先生。
 
野球は、最初部活でやってたんですが、中2からシニアリーグ(地域の強豪・月謝11,000円)へ。先輩後輩含め同時期のチームメートから計5人が甲子園に出場したようなチームで、見事に自分の野球レベルの限界を思い知りました。行かせてくれてありがとう、両親。

やっぱり、「大好きなものなのに、才能的に限界だ」、ということが分かったのは大きいです。高校3年生の時、高校球児憧れの舞台、甲子園のマウンドで140km/hを超えるストレートを放る中学時代のチームメートを見て、羨ましさとか、悔しさとかもメチャクチャありましたが、同時に「これは敵わんわ、才能も努力もレベルが違う」という感覚になりました。しかも、そんな彼らも甲子園では一回戦負け。本当に恐ろしい。

挫折経験(?)というとちょっと違う気もしますが、今でもアスリートに対するリスペクトは尽きないですし、それ以外でも人のいいところを見つけて素直に尊敬できるような人間になれました。

 また、裏返して、自分に才能があるのは勉強なんだということを、実感する機会でもありました。なにせ、周りはみんな野球で私学へ進学するなかで、全くそんな話も来ないんですから。それならば自分は「学習能力で食っていくことになるんだな」、と理解したという面では、とても影響が大きかったんだと思います。

Q:中学時代に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→生徒指導の教師が「俺の同級生で、北高行って、いまはガソリンスタンドでアルバイトしてるヤツがいる。勉強できるだけでは社会で活躍できない」ということを言われたのが、印象に残っています。いや、大人になってからはその意図はわかるんですが、当時は(今も)怨念しかなかったですね。
 
 別に僕は、「勉強できれば・テストで点取れれば何してもいいやろ」なんて思っていたわけではありません。物事を深く考えられるようになったこの時期に、いわゆる「本質」を知りたくて、納得したくて、でもそれに応えてくれる環境ではなかったから、結果として生活態度に現れていたわけです。
 この言葉かけは結局、中学校という場を「あきらめる」象徴的なきっかけとなり、そういう面では淡々とテストの結果を残そうとする側面が強くなっていきました。

Q:中学校時代の教育を振り返ってどう評価しますか?

→学校が合わないって、本当に苦しいんですよ。ただただそれだけです。思い出したくもない。塾と野球という、外のコミュニティがあったのは、本当に救いでした。なので、塾で1点、野球で1点で合計2点です。


5.高校時代※高校受験含む(配点10点)

Q:私立の高校受験は考えましたか?
→考えませんでした。もちろん滑り止めは受けましたが。私立中学を知ったのに、なんで私立高校、東海地方で言えば東海高校とか受けようという発想にならなかったのかというと、そもそも金銭的に無理だということと、田舎あるあるで地域一番の進学校は自由な校風であるということから、まあなんとかやっていけるだろう、という判断があったからです。

Q:高校時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)

野球部に入り塾にも行かなくなり、で全く勉強時間を取らなくなりました。それでも最初の実力テストで400人中80番くらいで、野球部の監督に「お前思ったより成績いいな。でも、ちゃんと【白を基調とした靴】を履け(校則)」と言われたことが印象に残っています。

その後、1年生の3学期から 登校拒否 選択的登校(部活のみ含む)に入ってからも、勉強はテスト前以外全くしませんでしたが、ずっと100番前後な感じでした。定期テストでも追試は無縁。本当に1回だけ漸化式の理解が緩いままテストを受けて追試食らいましたが、追試の前に「ピン!」と来たので、追試は100点だったはずです。

 野球部を引退してから、ようやく勉強開始。文系で20番以内までになり11月でC判定、センター試験(当時)もボーダーを超えましたが、結局ギリギリで京大に追いつきませんでした。
 ※なお、7月までは東大志望でしたが、諸事情(恋愛)で京大志望に変更。結果的に後悔していないんだから、人生は面白いですね。
 
 浪人してからは、代ゼミで授業はちゃんと受ける、復習はやる、だけは心がけました。結局ずっとA判定。でも、センター試験でズッコケてなんとボーダーマイナス20点。反省して、2次試験前だけはガチで勉強。センター試験のマイナスを取り返して、総合点で合格者平均を超え、無事前期で合格。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

→誇張でなく、定期テスト前以外はこんな感じでした。勉強だけでいうと、野球部引退前は全く塾に行ってなかったので、昔から自主性(勉強習慣)がない僕は本当に地頭だけで生きていました。

なお、受験期は予備校含め授業以外の時間について書いています。

Q:高校以降はどんな習い事をやっていましたか?

Q:それぞれの習い事はどう活きたか教えて下さい。
野球部引退後、高校の近くにある、京大卒の変な立派なおじいさんが運営する個人塾(というか質問機能付き自習室)へ、同級生の紹介で行きました(月謝7,000円)。本当に変な立派な人で、いつもフィルターなしのピースを吸ってるからもうヤニ中で手が震えて、数学の直線まともに引けないくらい。
 でも、ここで初めて「自分で勉強していく」ということを学びました。知的好奇心の赴くままにする学びではなく、カリキュラムがあるものを自分で計画立てて攻略していく、自律的に勉強を進めていくことの面白さを知ることができ、実際に予備校なんかに通わなくても、数か月で戦えるラインまでもっていけたのは、貴重な経験でした。
 
 ただ、予備校ではそれを忘れて、中学の塾と同じく、超受け身態勢。当時の代ゼミは今の東進と同じで、エンタメカリスマ講師がいっぱいおり、楽しく合格圏内へもっていってくれました。

Q:高校以降の教育を振り返ってどう評価しますか?

高校は本当に自由度の高いところで、こんな僕を卒業させてくれたことだけでも感謝しなければならないです。特に野球部の監督には感謝です。普通なら退部させますよ、あんな生活態度&授業態度のヤツ。野球部は学校の模範でなければならない、という常識を僕には(こっそり)適用除外にしてくれました。

「自由」とか「懐の深さ」とか、特に僕みたいな特性を持った人間には本当に大切です。高校で、そういう人や環境に恵まれたことが、僕の履歴書に「中退」を書かずに済んだ大きなポイントだったのだと思います。

1点引いたのは、浪人したことです。浪人自体は、学力的にもしっかり伸び、一生モノの友人に出会えたので全く後悔していませんが、せっかくなら現役でギリギリでも届いていたら、もっと面白い記事になったのに、というだけです。

5.答え合わせを終えて

→企画者のカラシカシさんは、自身の記事で編集後記にこう書きました。「『学力』ってどうやったら『いい感じに(自然に、なおかつ楽しく)』身につくんだろう」と。

 申し訳ないのですが、僕はこれに正面から答えられる記事を書けませんでした。なぜなら「地頭がいい発達障害児が、何とかドロップアウトせずに生きてきて、気づいたら京大へ行った」というのが実態だからです。したがって、僕は読者層の中心である「自分の子どもが勉強できるようになるには」を知りたい方には、この場では、直接的にはお答えできません。一つだけ、何度も書いた通り、”grit : 試行錯誤して乗り越える経験“、を積ませておければ、役に立つときが必ずやってくるだろう、ということくらいです。

 なので、僕の記事は「子どもたち、特に地頭がいい子や特性がある子には、それぞれに合った、自分が認められる環境で育つことがいかに大切か」ということを、そこに感度を持った人に届けたいと思います。

 ただ、間違えないでください。僕が「中学受験したかった」と思えるのは、公立中学があまりにも合わなかったからです。中学選びに関しても、例えば「東海中学」が自由な学校であることを知っていて、そして僕の地頭が通用したであろう、と考えているからです。

 「偏差値が高い学校が全て素晴らしい」わけでもなく、「公立中学校が全てクソである」わけでもありません。僕の願いは、「それぞれの子どもに合った教育」とは何かを「子ども目線」で考えてほしい、ということです。そしてそれをもとに決定した教育方針に従って、子どもがチャレンジできる環境を整えてあげてほしい、ということです。アメブロでもTikTokでもない、”note”という場でこの記事にたどり着き、ここまで読んでいただけた方なら、ご理解いただけると信じています。

実は我が家の長女がまさしく中学受験生なわけですが、現時点での第一志望は、現在の彼女の偏差値からマイナス20くらいの学校です。世間では「もったいない」、と言われるでしょう。もしかしたら、「わざわざ行く価値ある?」とか「本命失敗したの?」とか言われるかもしれません。でも、一切構いません。娘は、その学校にある、特色あるカリキュラムに興味を持っています。カリキュラムが尖っているだけに、第1志望率の高い学校です。もし初志貫徹してご縁をいただけたとしたら、同じようにその学校に惹かれた他の子どもたちと一緒に過ごす生活そのものが、彼女にとってのかけがえのない経験になっていくのでしょう。(まあ、最終的に娘がどのような選択をするのかは、まだわかりませんが。)

今回の受験は、大切な思春期が、父親みたいに思い出したくもない黒歴史になる可能性を、限りなく下げるための選択です。大人になったときに「学校楽しかった!」と言ってもらえれば、もうそれだけで僕は大号泣でしょうし、そういった学校生活を送ることができれば、大学入試でも学校選びの視点は、自然と高くなっていくでしょう。

直球ですが、偏差値は金で買えます。受験は課金ゲーです。本人が望めば、能力の限界までは(時には能力以上に)偏差値を上げることができます。企画の意図に合わせ、大学入試を学力的な話でのゴールとすると、その過程では、「心が死なない」こと、「できる限り楽しく過ごす」ことの方が大事だ、と切に訴えたいとおもい、この記事を書きました。
 
 長々となりましたが、少しでもお役に立てれば幸いです。

6.編集後記

どうも、#1のカラシカシです。いや~…長い!(笑)
でも、その長さは、ご自身の中学時代の苦しい体験と、現在教育関係のお仕事をされているというところからからの溢れる想いの大きさ故なんだということがよく分かる答え合せでした。

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