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教育ログ23人目(公立・現役→早稲田政経)

0.今回の教育答え合わせさん

→埼玉県の公立高校から現役で早稲田大学政経学部に合格されたXちゃんさん。今改めてご自身の教育を振り返った結果はこちら!

「好き嫌いではなく、強制力をもって学業に取り組んだ結果、基礎学力が強固なものになり、その後の学業の基礎を構築するきっかけになったと思っています。」
と語るXちゃんさんの教育答え合わせに迫ります。


1.回答者略歴


Q:お名前を教えて下さい。
→Xちゃん

Q:年代を教えて下さい。
→1990年代初頭です。

Q:ざっくりのご職業・業界を教えて下さい。
→五大商社から総合デベロッパーに転職というキャリアを歩んでいます。

Q:ご自身の幼少期のキャラクターについて教えて下さい。
→静かで手がかからない子、読書が大好きで毎週図書館で5冊借りて読破していたようです。
 
Q:ご自身の性格について、以下の観点でお答えください。

Q:最終学歴を教えて下さい。
→早稲田大学 政治経済学部
 
Q:そこまでのルートを教えて下さい。
→公立小・中学校→埼玉県立の公立高校→早稲田大学(現役)

Q:大学合格時点での学習能力の自己採点をお願いします。

Q:ご自身の各学習能力に関してどう考えていますか?
私に限らず、本稿の執筆者は勉強において、平均的に高い能力を有するのが前提と思われますので、低く評価した項目について、記載致します。

私の場合は①と③が低く、自発的に長時間勉強するということが苦手でした。

後述の通り、子どもの頃から、いかに効率的に指定された勉強を終わらせるかに焦点をあてていたことから、長時間机に向かう習慣がつかなかったのかもしれません。

また、私の場合は両親の強制力によって勉強していた為、自発的に勉強に取り組んだ記憶がなく、①に限ってだけ言えば、1〜5Pのいずれか、自分自身わからないというのが正直なところです。

Q:(あれば)ご自身の学習特性に気付いた時期、気づいた上での学習面の工夫などあれば教えて下さい。

→私は国語や数学の様に積み重ねが必要な科目は各種試験を通し、ある程度安定した点数が取れていた為、一般的に暗記系と呼ばれる科目に多くの時間を割きました。

その中で、選択した日本史については、重要なワードを暗記するのではなく、日本で起こった出来事をすべて年表にする勢いで、長々とノートに纏め、ノートを丸ごと暗記しました。
 
Q:教育の得点配分を教えて下さい。

Q:得点配分の意図を教えて下さい。
→私の両親は非常に教育熱心で、高い学歴と有名企業への就職が幸せの一歩目と考えている二人でした。その二人が就学前の私に掛け算やアルファベットを教え込み、また読書の習慣をつけさせたことが、始まりだと考えます。

そういった子どもでしたので、勉強は好きでは有りませんでしたが、少なくとも勉強に苦手意識をもったことがなく、また「落ちぶれた」と思われるのがいやで、嫌いでも勉強をした記憶があります。逆に、高校受験を終えた後は、貯金を費やしながら大学受験まで走り切った、という自身の経験から、この配分としました。


2.保護者の教育スタンス(配点25点)

Q:ご家族の最終学歴について教えて下さい。
→専門学校卒。(建築系)

Q:保護者の教育方針はどのようなものでしたか?
→超スパルタ。100点が当然で、一つでも△があれば、その日は外出出来ませんでした。

理由は決まって「お前の為」の1点張りで、親族に一人も大卒がおらず、また長子ということもあり、加減が分からず、スパルタ教育となったと思われます。

Q:その教育方針はご自身の学業にどう影響したと思いますか?
→好き嫌いではなく、強制力をもって学業に取り組んだ結果、基礎学力が強固なものになり、その後の学業の基礎を構築するきっかけになったと思っています。
 
特に、返却されたテストの誤答については、正解を正しい方法で導くまで、机を離れることが許されなかった為、結果的に苦手分野ができずに済みました。

Q:ご両親は学業に関してどんな接し方でしたか?
→小学校低学年くらいまでは、宿題や自主勉強を隣でみて、(プレッシャーをかけながらですが)教えてくれていました。
 
漢字の練習や暗記も含め、勉強している時間は常に何らかの形で関与していたと記憶しています。

Q:学業につながった家庭内の文化や習慣があれば教えて下さい。
→先述の通りですが、決められた勉強が終わらないかぎり、ありとあらゆる遊びや外出が許されませんでした。

また、あるとき、勉強が終わらないままに友人の誕生日会に行こうとしたのですが、両親が地方から上京して学生時代の親しい友人というものが皆無だったことも有り、「人間関係は移り行くもの、最後に助けてくれるのは家族と自分だけ」ということをこの時から言われていました。
 
また、これも先述の通りですが、長子ということもあり、兄弟の手本とならなくてどうする、と叱咤されるのが日常でした。
習い事は週7日のうち10個、すべてでハイレベルな成績を要求されました。

Q:「人間関係は移り行くもの、最後に助けてくれるのは家族と自分だけ」これについては、当時はそう言われて正しいと認識されていたのでしょうか?
 
→子ども心に、フィクションの中に存在する幼馴染や腐れ縁というものへの憧れはありましたが、小学校入学の直前に引っ越したこともあり、小学校入学時点で既にできている如何なるグループにも所属できていませんでした。
また、両親にも近しい友人がいなかったことから、正しいかはさておき、そういうものだという諦観はあったかもしれません。

Q:ご両親の教育スタンスについての小計を教えて下さい。

→勿論、子ども心には0点でしたが、現在思い返すと、終わりよければすべて良し、ということで満点です。高卒・専門卒、祖父母は中卒という家系の中で、ストレートにそこそこの高学歴を修めたのは、間違いなく両親の教育あってこそと思います。


3.~小学校時代※小学受験含む(配点40点)

Q:小学受験はしましたか?
→していません。そもそも小学校受験という選択肢はなかったと思います。

Q:小学校の頃の学業成績について教えて下さい。(全6レベル)

→小さな町の出身ですので、小学校で1番以外、通知表で5以外をとったことはありません。 

Q:小学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?
→低学年の頃は訳も分からずスパルタ教育に乗せられただけでしたが、高学年になるころには簡単に満点が取れて周囲に対し優越感があったのも事実です。 

Q:小学校の教育環境についてはどう考えていますか?
→同級生は全部合わせても一クラスでしたので、運動・勉強問わず、誰かが大きく伸びてくるというようなことは有りませんでした。正直、小学校の教育環境からの影響はほぼ感じておりません。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

→より先の学習範囲に対応するため、基本的には漢字の書き取りは毎日していたと記憶しています。漢字練習帳に只管書く、それだけで1時間くらいだったと思います。
小学校6年で英検を取得した際は、重点的に英検のテキストを解いたと記憶しています。

Q:小学校まで習い事は何をやっていましたか?

Q:学習貢献度の高い習い事について、始めたきっかけを教えて下さい。
→ありきたりだとは思いますが、あくまで自発的、という体裁でしたが、実際は強制でした。
基本は通える習い事をすべて習わせたという認識ですが、ピアノだけは従兄弟の影響で、母が始めさせたと思います。

Q:習い事についての振り返りをお願いします。
→なんだかんだ習い事が楽しくなった為、習い事にいくために、集中して勉強を終わらせるようになりました。

Q:今振り返ってやればよかったと思う習い事は?
→特にありません。

Q:小学校までの読書について教えて下さい。
→子供のころから読書が大好きでした。読んでいたのは小説・伝記・エッセイが多かったと思います。

よくよく考えると、活字を嫌がらないということは教科書への拒否反応を避けられた点が勉強に役立ったと思います。

小さなところでは、作家と作品、作風を暗記するのではなく、読んだことがあったり、テストに出てきた文章の結末が分かっているので、作者の気持ちを考える必要なく回答できました。
量としては、近所の図書館だ10日間で12冊を10年くらい継続していたと思います。

Q:当時熱中していたことは何ですか?それは学業にどう影響しましたか?→熱中していたのは読書でした。影響は先述の通り。

Q:小学校時に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→小学校時点ではありません。

Q:小学生時代の教育環境の小計を教えて下さい。

小学校時代は勉強そのものではなく、テストは簡単で自分は勉強が得意であるという自信をつけられたことが、何よりもその後に貢献したと考えています。


4.中学時代※中学受験含む(配点25点)

Q:中学行時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)

→中学校も相変わらず小さな町で全学年で100人未満でした。試験結果としては5教科の順位が発表されたので、1位であるとわかっておりますが、全教科の結果は非公開だったため、確かではありません。
(保健体育・美術・音楽・家庭科・技術・道徳 等の5教科以外の科目も常にオール5でした)

Q:中学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?
→小学校の延長線上で、周りに張り合いはありませんでしたが、高校受験が見えた点は一つ別のモチベーションになりました。

Q. 御両親のスパルタ教育は、小学校時代のみでしょうか? それとも中学校、高校時代も続きましたか? あるいは中学校以降は自主的に勉強されていましたか?
→中学校時代は続いていました。隣家の同級生が中学受験をして、私立中学に進んだことから、焦りの様なものがあったのかもしれません。

私自身としては、少し体が大きくなり、水泳の記録がガンガン伸びた為、水泳に通い続けるということだけをモチベーションに両親に課された課題に取り組んでいました。
(上記の同級生は高校受験に失敗し引きこもりになった為、高校時代は教育面でのスパルタはありませんでした)

Q. 両親のスパルタ教育に対して、反抗期はありましたか? 反抗期があれば、学業に対して、どのような影響がありましたか?
→よくも悪くも、反抗期は無い若しくはとても短かったと思います。というのも、高校で指定された進学校に進めば、ある程度遠方になり、部活等によって自宅で過ごす時間が短くなるとともに両親の監視が少なくなるという希望的観測があったからです。

Q:中学校の教育環境についてはどう考えていますか?
→中学校は私が20期生で、学校始まって以来の秀才として、便宜を図ってくれました。例えば、全員必須であった部活動の免除や自転車通学の許可等を、習い事との兼ね合いで特例として扱ってくれました。

Q.特別扱いされた事で、クラスメイトから嫉妬やイジメを受けた事はありますか? そういった経験がある場合は、どのように対応されましたか?(受け止めていましたか?)
→どこでもある話だと思いますが、中学校では目立つ生徒はとにかくモテます。

私も一学年上の(人気のある)先輩に交際を申し込まれ、それを機に1〜2年生の頃は何かと先輩の呼び出しを受けました。
ある時、先輩たちがバットを持っていたことがあり、身の危険を感じ本気で殴ったところ、2人が入院するということがあり、それからは呼び出しというのはなくなりました。
(幼少期から水泳をしており、自分で思うより体が強かったのかもしれません)
ちなみに、先輩たちもビビったのか、若しくは自身の面子の問題か、仲間内の喧嘩ということにした様で、私も職員室に呼ばれましたがお咎めはありませんでした。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

→よく覚えているのは中2の漢検と中3のデッサンです。

私の通った学校では、5段階の評定に加え小項目に◎、○、△の記載があり、ある時期の通知表でデッサンが○だった為、毎日デッサン帳にデッサンを描いていました。(両親が内申書を気にしたのだと思います)

受験期は中3の下期を指しています。特別学習法を変えるといったことはありませんでしたが、勉強時間を倍にしたことを覚えています。

Q:中学校時の習い事について何をやっていましたか?

Q:習い事について学習能力への影響を教えて下さい。
→勉学といった意味では受験の補足であって、本質的な学力の向上ではなかったと思います。相変わらず水泳が好きで、水泳に行くために頑張って勉強をしていた為、一番のモチベーションは水泳でした。

Q:中学時代に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→特に有りません。

Q:中学校時代の教育を振り返ってどう評価しますか?

→中学校については、二つの小学校が統合してきますが、変わらず一位を独占しており、自信の強化につながりました。また、中間・期末の5教科満点を逃したのは一度だけであり、諸々の歯車がうまくかみ合っていたのだと思います。


5.高校時代※高校受験含む(配点10点)

Q:私立の高校受験は考えましたか?
→滑り止めとしては考えました。

Q:高校時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)

Q:高校の教育環境についてはどう考えていますか?
→まさに基礎学力をつけるというのがテーマの教育方針を打ち出しており、全生徒が必修ではない科目も含め学習するカリキュラムとなっていました。
大学受験に役に立ったわけではありませんが、その後の人生における選択肢や興味の方向を増やしてくれる環境でした。

Q:ご学友の学力レベルという意味ではいかがでしたか?
→私の卒業した高校は7割が浪人していました。理由としては、大きく2つあり、1つは全員が普通科、一応文理分けをするものの、全科目全範囲を全員履修するという履修体系、もう一つは、先輩たちの実績に甘んじ、有名大学に入る為には浪人已む無しといった雰囲気があったことと分析しております。
全体としてそういった雰囲気が有る中、足を引っ張った要素として、私の所属する部活は秋の文化祭を終了するまで引退しないため、単純に現役受験生が最も伸びる夏の間の勉強時間が確保できなかったことです。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

Q:習い事は何をされていましたか?
→なし

Q:勉強時間も少なく、習い事もやめられていますが、日々どんなことに時間を割かれていたのでしょうか?
→部活と通学時間です。朝練で6時20分に自宅を出て、帰宅するのは21時頃でした。宿題すらせずに寝る、という生活をしていました。

Q:志望校はどのように考えていらっしゃいましたか?
→一人暮らしがしたかったので、本当は他県にある旧帝大を目指すつもりでしたが、浪人や仕送りの金は出せないので、自宅から通える範囲の大学にする様、高3の11月に言われ、急遽3教科の勉強で済む私学に切り替えました。
(早慶の何れでもよかったのですが、慶應は自宅から通えないと判断しました) 

Q:高校時に学習・進学などで記憶に残る言葉・事件はありますか?
→なし

Q:高校以降の教育を振り返ってどう評価しますか?

→高校では特に勉強をしたという記憶はなく、受験期に赤本を解き、教科書を読み込んだだけでした。
正直に言うと、浪人ありきの考え方をしていた為、受験問題との相性で、特に勉強せずに現役合格してしまったというのが実態です。

Q:ご兄弟(姉妹)との学歴または学力の差異があれば、その発生要因の分析をお願いします。
→弟は偏差値的には私からかなり劣っており、浪人や留年を複数回繰り返しました。これはひとえに、両親が長子に限界までスパルタで接した反動で、末子に甘くなったことが原因と分析します。

5.答え合わせを終えて

→学歴とは、(学生時代の)努力の証明書です。

企業が欲しいと思う人材には、親が地域の名士であるとか、事業における即戦力であるとか、特殊な事情がある人を除くと、「地頭がよく、努力を惜しまない人」という大前提をベースに選考を進めているように思えます。

それは、スポーツをはじめとする学外の実績等証明するには、学歴で証明するより多くの努力と運が必要になる為、最も合理的な方法として、学歴を積み上げることは一定の意味が有ると考えています。

6.採点後面談

どうも、#1のカラシカシです。以下、主だったところでの僕の感想です。

①学力は積み重ね
高校でこんなに家で勉強しなくても早稲田の政経受かるんだ!!すげ~!!と一瞬思ったのですが、小学校から本当によく勉強されてますよね。この基礎がめちゃくちゃデカいんだなと。

②超スパルタに耐え抜く強メンタル
”100点が当然で、一つでも△があれば、その日は外出出来ませんでした。”←これが中学まで続くって凄いですよね。15年間ですよ!!!ご両親の根性も凄いけど、それで心が折れなかったのはもっと凄い!!

ちょっと真似できなさそうなルートですが、勉強量の積み重ねが大事なんだなと改めて感じた答え合わせでした。
Xちゃんさん、ありがとうございました!



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