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教育ログ19人目(公立・浪人→京大経済)

0.今回の教育答え合わせさん

→公立高校から京都大学経済部に合格されたJOさん。今改めてご自身の教育を振り返った結果はこちら!

「大学の第1志望に余裕で合格できるレベル=80点以上、10中8,9は合格できるレベル=70点以上、運や巡りあわせが良ければ合格できるレベル=60点以上という基準で採点してみました。中学の終わり頃に勉強する意義を見失い、そこから迷走しがちで高校時代は学習意欲も低かったため、総じて点数は低めです。」と語るJOさんの教育答え合わせに迫ります!


1.回答者略歴


Q:お名前を教えて下さい。
→JO

Q:年代を教えて下さい。
→30代後半

Q:ご職業を教えて下さい。
→製造メーカーで国内販売戦略企画の仕事をしています。

Q:ご自身の幼少期のキャラクターについて教えて下さい。
→クラスの中心、絵にかいたような優等生で、常に学級委員を務め、子供だけで遠方に出かけるような場合も、JOがいれば安心、のようなことを友人の親御さんに言われていました。
 
Q:ご自身の性格について、以下の観点でお答えください。

Q:最終学歴を教えて下さい。
→京都大学経済学部
 
Q:そこまでのルートを教えて下さい。
→公立小・中学校→(高校受験)→戸山高校→一浪(河合塾)

Q:大学合格時点での学習能力の自己採点をお願いします。
※各5点満点の6要素で15点以上となるよう配分をお願いしています。

Q:ご自身の各学習能力に関してどう考えていますか?
→記憶力や理解力は良い方だと思っていますが、興味関心が薄い事や上手くいかない事に対して集中力やモチベーションが圧倒的に低く、そこが受験においては最後まで足を引っ張りました。

学習に対するモチベーションの上げ方や向き合い方、折り合いのつけ方を早くから身に着けられていれば良かったなと思います。
 
Q:教育の得点配分を教えて下さい。

Q:得点配分の意図を教えて下さい。
→それぞれの時期で実施した標準的な勉強+αの努力が、どの程度大学受験でのアドバンテージに繋がるか、という視点で配分しました。

結局、高校の勉強が難易度も高いので、ここでいかに努力を出来るかが一番重要だと思います。

親の教育スタンスは、学業への興味関心の土台になり、教育に投資してくれるか否かが学習労力の軽減にもつながると思いこの配分としています。


2.保護者の教育スタンス(配点25点)

Q:ご家族の最終学歴について教えて下さい。
→父親:早稲田大学文学部
 母親:東京大学文学部
 姉:京都大学経済学部

Q:保護者の教育方針はどのようなものでしたか?
→父親は基本放任主義で、好きにすればよい、特別なことはしなくてよい、というスタンスでした。このため、基本は受験等も不要、地元の学校や公立校に通う方がよいという方針でした。

一方で母親は割と教育熱心で、色々なことを体験させて可能性の幅を広げたいと考えていたようで、自治体等が主催している子供向けのフィールドワーク(東京湾の自然に触れる、的なもの)などにも積極的に応募していました。

Q:お母様から「(母校の)東京大学へ行って欲しい」などの意向はあったのでしょうか?
→明確に言われた記憶はありませんが、あっただろうと思います。
 
Q:その教育方針はご自身の学業にどう影響したと思いますか?
→幅広い興味関心には繋がったと思います。

学習意欲が低下していた時も、勉強する中で面白いと思う事柄が何かしらは見つけてはいました。一方で、興味の幅が広い事が、後述する、高校時代に理系からの文転に繋がった側面もあったように思います。

Q:ご両親は学業に関してどんな接し方でしたか?
→父親は完璧な放任でした。母親からは、一番や優秀な成績を取ることを求められ、小学生時代は100点以外だと怒られていました。

Q:100点じゃないと怒られる…なかなかですね。子供の立場から見たお母様のキャラクター、お母様との関係性についてお聞きしてもよろしいでしょうか?
→公立のしかも小学校の勉強はイージーだと考えていたのだと思いますが、勉強については厳しいところがありつつ、それ以外については取っつきずらい、話ずらい、恐ろしいという事は無かったです。

学校の勉強さえしっかりできていれば基本的には自由に遊ばせてくれていましたし、そこまで恐怖の対象という事は無かったです。

Q:今振り返って学業につながった、家庭内の文化や習慣があれば教えて下さい。
→読書は家族みな好きで、幼いころから絵本や児童書の読み聞かせは多かったと思います。本や文章から情報を読み取る事について、当たり前の環境で育ちました。
又、父が英語教育関係の出版社に勤めており、英語に触れる機会も幼いころから多く、英語学習への抵抗感の低さに繋がったと思います。

Q:ご両親の教育スタンスについての小計を教えて下さい。

様々な機会を積極的に与えてくれ、辞めたい場合も最終的には意向を汲んでくれていました。

ただ、習い事について、野球をしたいといってもサッカークラブに入れられたり、バイオリンが好きだといってもピアノを習わされたり、考えや趣味嗜好を押し付ける傾向がややあり、後述する高校時代に迷走した一因がここに少しはあるなと思い、減点しています。


3.~小学校時代※小学受験含む(配点10点)

Q:小学受験はしましたか?
→していないです。
父親が、一般的な感覚を養わせたいといった趣旨で、公立校に通わせたい意向があり、母もそれに賛同したからだと聞いています。

Q:小学校の頃の学業成績について教えて下さい。(全6レベル)

→公立だったので、勉強系の教科は常に成績表で一番良い評価でしたし、テストも大体満点でした。

Q:小学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?
→100点を取らないとおこられるから、進研ゼミで全教科満点をとって図書カードをもらいたいから、とかそういうモチベーションでやっていました。

ただ特に疑問や抵抗はなく、むしろ他人よりも勉強が得意な自覚もあったため、人生の中で比較的前向きに取り組んでいました。ただ、そうは言っても遊ぶ方が好きだったので、気持ちよく遊ばせてもらうために、あくまで学校の勉強は完璧に理解する、程度のモチベーションしかなかったです。

Q:小学校の教育環境についてはどう考えていますか?
→公立校で、私は中学受験する気も無かったため、勉強について、特筆するような影響は無かったです。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

進研ゼミを確か毎日やっていました。学校の宿題もほとんどなかったので、それだけが家庭での勉強でした。

Q:小学校まで習い事は何をやっていましたか?

Q:学習貢献度の高い習い事について、始めたきっかけを教えて下さい。
→進研ゼミは、父が教育関係の出版社に勤めていた為、敵情視察的な意味合いで始めました。

公文式は、確か、母親に「算数教育や英語教育を早期に受けさせた方が良い」との意向があったからだったと思います。ただ元々、あまり通いたくはなかったので、公文式はそこまで長くは続きませんでした。

Q:習い事についての振り返りをお願いします。
→この頃はまだ親に従順で学習に対する疑問も余りなかったので、日々のカリキュラムがしっかり組まれている進研ゼミで学校の予習や復習が十分こなせた結果、学業の良い成績に繋がっていたと思います。

Q:今振り返ってやればよかったと思う習い事は?
→特に無いです。

Q:小学校までの読書について教えて下さい。
→読書は大好きで、小学校に入ってからは小説の類を毎月10冊以上は継続して読んでいたと思います。

高学年に入ってからは、ブルーバックス等の新書も読むようになりました。特に、論理系の問題を扱った本が好きだった記憶があります。現国は大学受験までずっと得意科目でしたが、この習慣の賜物と思います。

Q:当時熱中していたことは何ですか?それは学業にどう影響しましたか?→読書に熱中していました。高学年からは親の影響でビートルズなどの洋楽にもはまって、歌詞を暗記したり辞書で意味を調べたりしていました。

英語も大学受験まで継続して得意科目でしたが、この習慣の影響が大きいと思います。あとは、休日も含め、高学年になるとほぼ毎日友人と遊び歩いていました。この辺が後述する中学時代の勉強へのモチベーションの低下に繋がった面はあるな、と思います。

Q:小学校時に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→特に無いです。

Q:小学生時代の教育環境の小計を教えて下さい。

→平均的な環境の中でしたが、学業について特に減点すべき点は無く、十分取り組めていたかなと思います。

4.中学時代※中学受験含む(配点25点)

Q:私立の中学受験は考えましたか?
→まったく考えませんでした。

Q:中学行時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)

中学時代は人生で最も勉強した時期で、通っていたのも公立校だった為、常に学年1位でした。

Q:中学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?
→母親の意向もあり何となく義務感で勉強していましたが、小学校からの友人たちとの生活リズムの差や距離が出始め、何の為に勉強しているのか、途中からは迷いも生じました。

Q:中学校の教育環境についてはどう考えていますか?
→中学校自体は、公立校でどちらかというとガラの悪い学校だった為、教育面でのプラス要素は特に無かったです。そんな中で、あまり勉強(高校受験)へのモチベーションを保てずに、そこまで偏差値の高い高校でなくてもよいと思い、第1志望を都立高校に絞り、3年生の途中で進学塾を辞めました。
 
Q:もともとは公立高校以外でどんな高校も視野にいれられていたのですか
→塾のクラスが「国立・開成コース」だったので、その辺りの高校が一応、第一志望でした。ただ、3年間、大体同じクラスにいたのですが、塾のクラスに特に親しい友人もできず、元々、小学生から同じ塾で上がってきた/中学受験のリベンジ的な人が大多数の中、勉強に対するスタンスや価値観の違いを感じていたことも、最終的に辞めた理由の一つでした。
 
Q:公立に絞るにあたってお母様との意見対立などはありましたでしょうか?
→対立、というほどのものではなかったと思いますが、話し合いはありました。姉が私が進学した都立高に先に入学していたのですが、母は、姉はその都立高にあっていると思うが、私は国立だか私立だか別の所の方が良いと思う的な事を言われた記憶があります。確か、他律的な勉強に対するスタンスや流されやすいところがその理由でした。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

→進学塾に通い、その宿題が勉強の中心でした。中3で、都立高を第一志望とする事を決め、進学塾を辞めてからは、進学塾で中学のカリキュラムは完了していたので、勉強時間はやや減りました。

Q:中学校時の習い事について何をやっていましたか?

Q:それぞれの習い事について学習能力への影響を教えて下さい。
→進学塾が、成績で定期的にクラス分けをする塾だったので、義務感や競争心で勉強していました。

カリキュラムの進行も学校よりだいぶ早く、学力にはかなり繋がっていたと思います。一方進研ゼミは学校のカリキュラムに合わせた内容の為、どちらかというと進学塾の復習的な位置づけで、中学校の定期テストの準備等で主に活用していました。 

Q:中学時代に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→進学塾を辞める際に、講師や塾長との面談があり、いろいろ話した最後に「受験のゴールは大学受験、更に人生のゴールで言えば、就職やその先にある。高校受験で燃え尽きる人もいるので思うようにするのがよい」という様な趣旨のことを言われた事が記憶に残っています。

何が最終ゴールなのかを見極めて、そこまでの自分に適した道のりを決める、というのはその通りだと思います(ただ、その後あまり実践はできませんでしたが)。

Q:中学校時代の教育を振り返ってどう評価しますか?

→塾の環境は、受験という観点では満点でしたが、中学校の環境でモチベーション低下に繋がったという点で減点しています。


5.高校時代※高校受験含む(配点40点)

Q:私立の高校受験は考えましたか?
→第一志望は公立でしたが、私立も受けて、合格しました。

Q:高校時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)

→中学時代の学習の貯金で1年までは上位を維持できていましたが、途中からモチベーションの低さが響いて低下傾向でした。
ただ、得意の現国や英語は上位で、あまり興味のなかった世界史では学年低位等、科目間でのばらつきはありました。

Q:高校時代に成績が低迷する中でのお母様との関係性は気になりました。高校生ということで、もう流石にそこは干渉せずということでしょうか?
→高校に入ってからは一切、成績表等は見せていませんでした。

勿論、まったく干渉が無かったわけではなかったと思いますが、あまり何か言われた記憶が無いです。

ただ、勉強に身が入らない事はずっと感じていたようで、3年になった際は、「美大や専門学校を目指しても良いんだよ」的な事も言われました(絵は好き、親や教師にも褒められており、本当に一瞬通っただけなので上記では除きましたが、小学生時代に絵画の教室にお願いして通わせてもらったりもしていました)。

Q:毎日どれくらい勉強していましたか?

→中学時代の勉強へのモチベーションの低下が後を引き、教科によってはかなり落ちこぼれていました。受験期も、勉強時間こそ、中学時代より取っていましたが、密度は薄かったように思います。

Q:習い事は何をされていましたか?

Q:習い事はどう学力に活きましたか?
→学習のモチベーションが低かったため、正直、正確な期間等記憶していないのですが、どの習い事も続かないか惰性で続けており、十分に活かせていませんでした。

Q:高校以降の教育を振り返ってどう評価しますか?

→良い学習環境を親は与えてくれたと思っていますが、圧倒的に他律的な私の勉強に対するスタンスと当時の低いモチベーションを考慮すると、家庭教師等の個別指導の方が適していたかもしれません。

又、母親の勧めを受け、理系を志し、浪人中も理系クラスでしたが、結局、浪人時のセンター試験後に文転するなど、とにかく迷走が多かった時代でした。大学で何をしたいのか、自分の人生どうしたいのか、をもう少し前向きに具体的に考えられていれば、少しは違ったのかな、と今振り返れば思います。

京大も、ずっと得意だった現国、英語の力が論分入試に上手くはまって合格できましたが、ほとんど論文入試対策も何もしていなかったので、正直、現役時代でも受かったかもと思っています。自身の適性についても、もっと真剣に考えるべきでした。
 
Q:お姉様も京大ということで、「東京(実家)を出たい」というモチベーションはあったのでしょうか?
→元々は東大を目指しており、実家を出る事について、特に意識はしていませんでした。ただ、結果的には良かったな、と思っています。
 
Q:お母様の教育スタンスは、お姉様に対してもJOさん同様だったのでしょうか?
→同じでした。むしろ、姉への方が厳しかったように思います。同性なので自分を投影している部分が多かったのではないかと思います。
 
Q:お姉様とお母様の教育スタンスに関して、お互いの意見・考えを交換したことはありましたか?あったとしてそこに差異はありましたか?
→意見交換、というほどのものでもないですが、考えを少し押し付けてくる所がある、小うるさい的な感想は共有したことがあります。

5.答え合わせを終えて

→中学時代が自分の人生の転機だったと常々感じていましたが、流されやすい自身の性格を考えると、中学時代に進学塾に通わず、初めから上位の都立高校を目指すか、中学受験、ないし小学受験をしていれば、より迷いが少ない人生を歩めたように思います(教育費用ももっと抑えられただろうと思いました)。

ただ、迷いつつも、最終的には自分の判断で道を選んではいたので、大きな後悔は無いですし、それが自分にとっては重要な事だったと改めて感じました。

6.編集後記

どうも、#1のカラシカシです。
僕の主な感想は「優等生も葛藤があるのか!!」です。

僕が中高とそんなに優秀じゃなかったから、ある種のひがみ・やっかみ
から「いいなぁ、君らは。勉強に対してさほど悩むこともなく、勉強に素直に向き合えて…」と思っていましたが、そういうわけでもないんですね。

あとはJOさんは、「教育答え合わせ」史上初の「進研ゼミ」ベースの難関大学合格者ですね。やはり本人に合ってさえいれば教材、勉強スタイルは何でもいいんだなと思いました。

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