言葉遊び

小さい子たちの言葉遊びは可愛らしくて可笑しくもありクスッとする。大人になってからの言葉遊びは哀しさと残酷さで出来ていてその中にひっそりと憂いや美しさが隠れている。今日見たシロサギは一匹で道路脇の棒にとまって羽根を休めながら何を思っていたんだろう。雀や燕などの小鳥とは違い、個体の大きな鳥は跳ぶだけでかなり疲れるらしい。きっと休みながらこの先何処へ跳ぶのか考えていたのではないだろうか。それはあのシロサギにしか分からないことだけど。人間には羽根がない、だから羽根を休める必要もない。わたしは免許もなければ長距離を歩く体力もない、よって移動手段が限られる。これはあのシロサギには分からなくてわたしにしか分からない気持ちだ。何処へ向かうのか、何処へ向かえばいいのか、何処に向かえばいいなんて贅沢な事は言わないけれど、今より少しでも自分らしく過ごせる場所へ。なにが良いか悪いかそれすらまだ分からないけれど、一度消されたわたしの光がこの数日で再び灯ってきたような気もするからそのわずかな光へ向かっていけば何かがいい方向に変わるかもしれない。また消されないように、見失わないように、その光だけを見つめて歩こう。

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