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一対一

20210515

妻の鍼灸院に、小学生が定期的に来てる。

その子は、お母さんに「家の外に師匠をもつなら誰がいい?」ときかれて、「あすかさん!」と答えてくれるくらいには、妻は慕ってもらっているらしい。

そんな話を聴きながら、子どもの頃に、親以外の大人に一対一で話を聴いてもらえるってことは、とっても贅沢でうらやましい時間だなあと思ったりする。

僕が子どもの頃に関わりのあった大人を思い出すに、学校の先生か、サッカーのコーチか、塾の先生か、くらいだった。友達の親ってのもあるか。

その人たちの誰とも、一対一で関わりを持つなんてこと、なかった。というか、そもそも親ともそんな時間はなかった。

まあそれは相手が悪いとかではなくて、僕の人との関わり方の都合でもあるし、人によってはそういった体験を子ども時代にするのだろう。

そうやって思えば、自分の話を聴いてもらえるってコト、これまでの人生でどれくらいあっただろうかと不思議になる。

僕がそういうことを話そうとしなかったから聴いてもらう機会がなかったのか、聴いてもらえないから話そうとしなかったのかは、鶏と卵で、わからない。

ただ、一対一で話をする/聴くってことが無条件に確保されてる場所ってのは、心底安心するんだろうなあと思う。

無条件とは言っても、お互いの利害はあるわけで、妻であればお金をもらってたりするし、単純に楽しい、興味深いとかも利となりうる。

そんな場所が、他者との間なのか、自己の内の他者との間になのかはわからないけれど、足場としてあることで、託された一対一のバトンを別の彼方にパスできる。

そういう場所に、夫婦や家庭、主宰してる瞑想稽古場mybなんかがあって欲しいモノです。

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