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それぞれ

20210421

娘は保育園のお迎えの後、大体30分から1時間くらい、他の子どもたちと遊ぶ。

僕はそこに混じったり、ひとりで体を動かしながら、子どもたちの様子をみてる。

このところ、どことなく楽しくなさそうにしてる彼女の様子をみる機会が増えた。

他の子どもたちと一緒にいながらも、どこか手もち無沙汰にしてる場面をよくみるようになった。

イジメみたいなことはないだろうし、仲良くしてる友だちもいる。先生方もよくみてくださる。

新学期の疲れ、多少あるだろうけど、例年に比べたらそこまでじゃなさそう。

それじゃ何が変わったのだろうと思うわけだけど、去年1年間の彼女の放課後の様子とを見比べた印象としては、疲れとかではない感じがする。

個人的には、彼女が今やりたいこと、楽しいと思ってることと、一緒に遊んでる子どもたちがやりたいことが、すれ違ってるようにみえる。

彼女が、友だちに対して、自分の意志を押し切るところをまだみたことがない(妻と僕には凄まじい)。

基本は友だちがやっていることの中から、興味があることを一緒になってやっていたんだと思う。

それが新学期になってから、楽しみきれなくなってきたような印象がある。

何人かの友だちと一緒にいながらも、ハツラツとせず、なにかをためらうような態度。ぎこちなく笑ってる。

そんな彼女をみて、人間付き合いはそういうことを経ていくもんだよなあと思う一方で、

小学校に行かなくてもいい環境づくりをしておくのも手かもなとも思う。

彼女は、何を知ってか「ういは小学校行かないの!家でお仕事するの!」と言い張ってる。

小学校の片鱗に触れたこともないはずなのだけど、なぜか行く気がないらしい。

キッカケが何かはわからないけれど、行きたくないってことは明確に伝えてくれる。

冗談半分に聴きながらも、そうやって言ってくれることを無視するわけにもいかないよなあと、いつも頭の片隅にある。

それで、彼女が保育園で遊ぶ様子をみながら、彼女にとっての楽しいを満喫できづらくなっているのかなあと思ったりする。

別にお友だちが、先生が、その場所が、娘が、いいわるいとかではなくって。

それぞれにとっての楽しいが違うかもしれないってこと。

そして、そのわずかかもしれない違いがあるとするなら、無視したくないなあと思う。

無理矢理他人と違う、変なことをして欲しいわけじゃない。

ただ、何か違いをキャッチした時に、押し殺すことで解決することが当たり前になって欲しくない。それは、自分についても他人についても。

たぶん、このつづきはまた書く気がするけれど、彼女が本当に求めた時に何が一緒にできるかを考えるのは、とてもワクワクする。

それは学校って環境にイマイチ馴染めずにいた、かつての自分を救うことにもなるはずだから(ようは自分のためです)。

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