心地よい間柄
20210208
妻が隣で、将来娘が「どんな人をパートナーにしたらいい?」ときいてきたらどう答えよう、と考えている。
妻の暫定的な返答としては、「あなたが選ぶ人なら大丈夫!と言った上で「言葉の使い方をよく観察してみて」というかなぁ。」ということに落ち着いたらしい。
「自分に対して向けられた言葉だけでなく、どんな時どんな相手にどんな言葉を渡しているか」をみてみて、と。
うんうん、せやなあと思う。
どんな言葉を使っているかっていうのは、“暴力”の具合をみてみたら?ってことなのかなと想像する。
相手と自分がいる場所を切り分けた上で、強制的に自分側の陣地で覆い尽くしてしまおうとする行為。
手を出すような直接的なモノは言わずもがな、言葉を通じてでも、相手と自分の違いを奪い取ってしまう行為は山のようにある。
誰にだってそんな側面はあるのだけど、その程度を、私なら観察してみるよってことを、妻は娘に言いたいんだと思う。
そしてそれは、娘が“暴力”をふるいがちな人と時間を共にする、そんな可能性を取り除こうとしてるのかなあとも思う。
妄想も多分に入っているけれど、その考えに基本は同意する。
娘には、“暴力”という危機からは、できるだけ距離を取って欲しい。
ただ、それと同時に、その“暴力”から距離を取りつづける環境っていうのは、ラクをしてほしいと思ってるだけかなのかも。
楽な関係ってのは“暴力”に悩まされなくていい。お互いのルールをそんなに変えなくてもうまいことやれる間柄。
果たしてそれで彼女の生活は豊かなのか!?と、一瞬よぎったけど、いや全然豊かやと思い直す。
一番近くにいる人は言わずもがな、関わり合える人とは、エゴイスティックに、心地よい間柄を求めて、そして、つくればいいんだわ、と想う。
関わり合える人ってのと、誰でも全員ってのは違う。誰でも全員と、十全なコミュニケーションをとれるなんてのは、存在ってモノをかいかぶっているのだろう。
“暴力”一つとっても、それぞれにとって違う。
自分が心地よくいられない誰かと、心地よくいられる誰かはいるわけで、そのバトンがうまいこと繋がっていればどうにかなる。
それぞれが試行錯誤しながら、それぞれのあり方を追究し実践して、摩擦が生じるたびに、次なるあり方を生み出していく。
話がとんでる。娘のパートナー選びの話だった。
娘がもし、失敗した!ってへこたれてたら(まあ失敗なんてのが果たして存在できるのかわからないけど)、
「そっか。ナイストライ!まあ休めば?次何したら楽しいかね」と、声でもかけようか。
たぶん、僕が親として娘にできることなんて、それくらいのものでしょう。
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