貧乏性
20210719
このところ将棋の勉強をはじめた。キッカケは5歳の娘だ。
半年ほど前からだろうか、彼女はボードゲームにはまっていて、世界各国の子ども向けのボードゲームの動画を見漁っていた。簡単に手に入るモノは買って遊んでいた。
それで先日、たまたま僕が将棋の動画を見ていて、彼女も隣で見ていた。
あっそういえばと、「このしょうぎっていうのもボードゲームなんだよ」と伝えると、ワクワクした顔で、何もわからない将棋を見始めた。
何か彼女の取っ掛かりになるモノないかなあと「どうぶつしょうぎ」っていう簡易版将棋みたいなモノをみつけた。動物が気に入ったみたいで彼女は一気にのめり込む。
その流れで『3月のライオン』の「ニャー将棋」にもハマる。妻も僕も『3月のライオン』が好きで家で集めてもいたから、漫画もうれしそうに見ていた。ストーリーは追えないけど、将棋の描写があるシーンを探して喜んでいた。
彼女がそこから駒を動かしてみるまではあっという間だった。
10年くらい前に買ったオモチャみたいな将棋盤が家の物置に眠っているのを見つけてひっぱり出してくる。
「ニャー将棋」のねこたちを実際の駒で確かめてみる。キャッキャする。
そんなに楽しそうにしてるならと、クイズみたいに取り組めたりするかなと期待して、一手詰みの将棋の本を買ってみた。
そうして毎日将棋の時間がはじまる。将棋の盤と本を自分で用意して、やるよ!とお誘いがかかる。
動画で将棋を見るようにもなる。対局動画をはじまりから終わりまで、一通りみてみる。
それでも彼女に「どうだった?」と聴くと、「たのしかった!」と笑顔。動画を見疲れて、そのまま寝る。
そうやって彼女が楽しく過ごしてるのがうれしいもんだから、ある時期までは並走できるようにと思って、彼女と一緒にすごす時間は将棋の勉強をするようになった。
まあ彼女のためにやってるみたいになってるけど、結局僕がハマっただけではある。全く子煩悩とかではない。
僕がハマったことに彼女もハマってくれて、お互い好きなことをやって過ごせればwin-winでしょと、自己中に時間の使い方をデザインしたくなっただけ。
後から振りかえれば、よくもまあ子どものことにあんなに時間割いてたなあって日がいつか来るのかもしれない。
それでも今は、妻と娘と僕とがいることの関係上で、ベストを尽くしてると自負してるから後悔はしないんだと思う。
いつ彼女が「将棋や〜めた」と言う日が来るかわかったもんじゃない。
1ヶ月後には将棋のしの字もないかもしれない。あるいはずっと続いたけど「もうしたくない...」と、親としてはもったいないって気持ちになってしまう日がくるかもしれない。
明日辞めようが、ずっと先に辞めようが、そのことに親がもったいなさを覚えるのは、貧乏性でしかないんだろうなあと思う。
「(いろんなことを我慢して)あんなにやったのだから成果が出るまで...!」と。
今この瞬間をただひらすらに味わう。それがベースにあった上で喜怒哀楽が乗っかってくることを自覚しないと貧乏性のボンビーに乗っ取られてしまう。
彼女に親のボンビーを振りかざしてしまわないように。自分で自分にボンビーを憑けてしまわないように。
こう書けただけで娘と将棋を学べて満足です。
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