カレー屋さん
20210927
昨日初のカレー屋さんの出店を無事終える。
2016年の冬から毎日、少なくとも365日のうちの360日程度は、カレーを食べてきた。
ほとんどは自分でつくって、少なくとも1日1食。多い時は2食。一時はどこか出かけるたびにカレー屋さんを探して食べていた。
たまに面倒になる時もあるけれど、なんやかんや食べたくなって、つくって食べる。
そうやって1500日ほど繰り返してきたことが、お店となった。
場を共有して、つくったものを提供して、リアクションをもらう。そして、それらの交流の証の一つとして、金銭の往来がある。
そんな一連の、時間が積み重なりが、なかなか感慨深い。
ただただ誰のためでもなくやってきたことが(昨日ならスパイスを使ったカレー/料理づくりが)、誰かの生(/死)の刺激になること。自分の生(/死)への刺激が誰かの生(/死)の刺激に。
“生きること(=死んでいくこと)の歓びに徹しながら、そのおすそ分けをして、生きていくんだ”と決めて、実践しつづけようと想い、日々を過ごしているのだけれど、昨日のカレー屋さんの体験は、そんなことを確かに実感できた気がした。
そして、これからも、僕がやっていけることは、そういった類のことしかないだろうなとも思った。
毎日ついついやってしまうこと。やりたいこととか好きなこととか、頭だけが先走っちゃうことではなくて、身体が思わずやっちゃうような。
そういったことの一部を、ラッピングしてお渡しするのが、僕にとっての働くってことだったり、生産行為ってことになるだろうか。
生きる歓び。愛と勇気。アンパンマン。
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