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小説のたくらみ~私小説の現実と虚構の間~

『愛はプライドより強く』辻仁成著:幻冬舎

 誰かを愛する、とはどういうことだろうか。ふと、そんなことを考えていたら、昔、若い頃読んだ本書を思い出した。

 刊行は1995年、今からほぼ26年前。二十歳の頃に読んだが、そのときは(時には青臭いほどに)ストレートな恋愛物語だと思っていた。が、違った。それは本書が、なかなか私小説のたくらみに満ちた小説だったからである。(本書が私小説という訳ではない)

 語り手の”僕”は小説を書こうとしている。その書き出される小説の主人公の名はナオト。彼は語り手同様、小説家を目指している。同棲中のナナは、売れっ子の音楽ディレクター。互いに結婚を約束しているが、ナオトの夢を叶えるまで籍は入れない同棲生活を送っている。

 物語の途中、そのナオトが書く小説の断片が、サイドストーリーのように何度も挿入される。それは、ナオトが以前付き合っていた自殺願望を持つ女との恋愛話だったり、少年時代を過ごした北国での懐かしい日々の回想だったりなどだ。小説のなかで、(ナオトの)”小説”が展開していくところは、片岡義男の短編小説のようでもあり(マトリョーシカの人形の入れ子の構造と同じ)、そこにも小説のたくらみが見え隠れする。たとえると、人生の写真アルバムを捲っては、物思いに耽りながら一ページずつ破り捨てていくかのようにナオトは小説を書き、小説にならないと憤慨し、原稿は丸められて捨てられていく。それは写真同様、小説や文章もまた、人生の記憶(捨て去りたい過去の記憶も含め)であるということを改めて気づかせてくれる。

 だが、ナオトは小説が上手く書けなくて、次第に生活が荒れ始める。引き換え、仕事で着実に成功していくナナ。ふたりにすれ違いが生じ始める。まるで女ののヒモみたいな現在の生活に、ナオトのプライドが崩れていく。互いのプライドや見栄が邪魔をして、素直になれなかったり、齟齬が生じてしまうところなどは、オースティンの『自負と偏見』の頃からの恋愛ドラマの王道。また加えて、ナオトの前にかつての自殺未遂の恋人が現れたり、ナナは経済力と包容力のある年上のカメラマンに出会い、気持ちが揺れたりして・・・。ナオトとナナはどうなってしまうのか。

 物語が終盤になるにつれて、先ほどの小説のなかの”小説”が、どこまで現実か、虚構かわからなくなってくる。それに語り手の”僕”と私小説の関係についても。つまりは現実と虚構のあわい(間)があり、それらが曖昧に混じり合うという、そこがこの小説の最大のたくらみであることを、やがて読者は知ることとなる。

 いずれにせよ、人は誰かを愛することに直面したとき、プライドを捨て去り、裸一貫ぶつからなくてはならないのだ。青臭い言い方になってしまうが、誰かを愛する、ということはそういうことなのだろう。

 

 

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