魂と表情の不思議な関係 その3

「魂」は外の外の外にある。
初めてこれを聞かれる方は一体、何のことだろう、と思うかもしれません。
一応、それに関しては、以前、ノートに書かせてもらっています。
魂を実感するために その10 魂の発見

困った時に、ぎゅっと実感がこもる身体、そこから「外の外の外」という感覚の場所に「魂」があった、と確信をして動いています。
そして、魂の一つ内側、「外の外」にあるもの、それが「表情」だったのか、とわかり、より確かに、身体的に魂を感じながら動く事が出来ます。

困る事をなくす事は出来ません。
便利になり、予測も働き、保険も充実、現代は安心できそうな世の中ではありますが、なかなか困難はなくなりません。いつも、何かしらの困難が生まれています。新しい病気、コロナもそんな一つです。

困難を受け止めるのは大抵胴体。それを痛みとして自覚するか、病気として自覚するかはわかりませんが、みぞおち当たりがギュッと縮み、居心地が悪くなるものです。

この困難を解決するのに、他者、周りを見ずに自分だけでやれる事で解決する、それが私のやり方です。敵は敵のまま、何も変えず、そのままにして、自分の中にある力を探り、乗り越えていく。これまで、何十年もそれでやっていますが、案外とやれるものです。身体の可能性は底知れません。

苦しい胴体を置いておいて、一つ外に出ていく。それが頭の自分。さらに外に出た時、そこにあったのは「顔」でした。顔に集中をしてみれば、そこに動きが見つかり、任せてみる。
するとどうでしょう、それまで困難に見えていたものに対し、自分が「間に合う」感覚が生まれてきます。

顔が頭や胴体に比べて秀でているもの、それは速さ、それも、認識の速さです。目や耳、鼻、口があり、肌も敏感。五感の全てがそこにあり、脳と直結しているもの、それが顔です。反応、認識の速さは当然といえば当然です。

しかし、このものすごい能力を持っている顔を私はこれまで全くと言っていいほど、使ってきませんでした。その理由は簡単。私の人生では顔を主役にする事はほとんどなかったのです。

今でこそ「イケメン」がもてはやされ、様々な場面で綺麗な顔が有利なのはみんな知っていますが、私が子供の頃はまだ、男は中身、みたいな考えがありました。今は違いますね、男性でもスキンケアはもちろん、化粧にまで気を配る人も出てきています。

私が中高生の頃、ビーバップハイスクールのような不良漫画も人気になるぐらいに、実際に学校では肉体的な喧嘩もありました。
その喧嘩が始まるきっかけは些細なもの、「お前、何見ているんだ!」と、ガンをつけたと思われる事からも始まってしまいます。つまり、顔をみていたら因縁をつけられてしまうのです。
争いを好まない性格の人なら自然と、視線は下へと向いてしまいます。

また、部活動でも武道でも、パフォーマンスのために笑顔を作る、という発想はありません。いくら笑顔がリラックスを生むと知識が出てきても、長年の習慣はなかなか変わりません。笑っていれば、何へらへらしているんだ、と注意をされてしまいます。歯を食いしばる型の動きが主役になってしまいます。

ディベートなどのコミュニケーション授業もないですから、自然と勉強は黒板や教科書、ノートに向かいます。先生と生徒が顔を突き合わせて学ぶ環境はありません。

こんな社会であれば、当然、顔を大切にする事はなくなります。見た目に大きな力を持つ顔を主役にするよりも、歯を食いしばり、手足を動かし行動する努力にどうしても、価値観は向かってしまいます。

しかし無情にも時代は流れます。商品を並べるだけで売れる時代は過ぎて、いつの間にか社会はそれぞれの個人の能力を仕事にも求めます。そしてその大半はコミュニケーション能力。この時、相手の顔を見れなければどれだけ不利になる事か。
学校の試験のように用意された答えを渡すだけではダメなのです。相手の顔色を読み、先に先に、相手へと向き合わなくては結果は出ません。頭がいい、成績がいい、記憶力に頼るだけでは生きていけなくなります。

それでも、努力はしました。なんとか結果を残さないと、と。
しかし、その時、「何を伸ばすか」、「何を鍛えるか」という点ですでに間違ってしまったのです。
ついつい、「正しい答え」を求め努力をしてしまったのです。しかし、それの行きつく先はパワーゲーム。良い商品やサービス、わかりやすい値引き合戦で対応しようとすると、結局体力勝負になります。

そうじゃない、顔だったのだ、と今ならわかります。しかし、顔がこんなにも大切だとは夢にも思いませんでした。ただ、振り返ってみれば、うまく立ち回っていた人をみれば、ちゃんと顔を力ませず、うまくコミュニケーションをとっているとわかります。

困難に出会ったとしても、まず、向き合う。そして、そのその時、顔が「間合い」を作る、と考え行動します。
目の前の相手を敵にするのもしないのも、私の問題だったのです。

もし、これをちゃんと子供の頃に身に着け、処世術として生きていけたならきっと、人生は変わっていたはず。
まぁ、でも、それで世の中をうまく渡り歩ける、と自信を持ってしまっていたならそれで満足したり、忙しくなったりで、身体を探る機会を得る事はなかっただろうし、身体を探らなければ、恐怖の原因や光や魂の実感もなかったはず。出来ない自分でよかった、幸運だったのだと思います(笑)。

魂と表情は隣りあわせ。
次回は「赤ちゃんが持つ武器は表情だけ」という話をします。だんだん調子に乗ってきました(笑)。
言葉にすればややこしくなりますが、それは顔が始まりであり、万能だから。すべてを解決してしまう可能性だってあるのが顔です。
なにか響く言葉がありましたらぜひ、来週末土曜の川崎稽古にお越しください。顔を動かし、相手と向き合う事で生まれる不思議な現象がわかります。

【稽古予定】参加受付中
11/27(土)川崎稽古会、新会場!
12/19(日)甲野先生の浜松稽古会
1/16(日)つくば稽古会

11/21(日) 名古屋
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