水引の効用

日曜日のつくば稽古。
その稽古の際、手がかりとして使うものが「水引」。このお正月、皆さん、あちこちで見たかと思います。正月飾り、鏡餅にもついている「あれ」です。

立派な祝儀袋なんかには派手な飾りとしてついていますが、安価な祝儀袋、香典袋には「模様」となってまでも、ついているのが水引です。
模様になってまでも存在させてしまいたいもの、それが水引です(笑)。

あまりに当たり前なものですが、これが私たちの身体にどれほど影響を与えているか・・・、考えた事もないかと思います。

たまたま水引を口にくわえる機会を得て、顔が泡立つのを見つけ、表情に無限の可能性を感じる事が出来ました。
それにより、私の中にあった「人との間に壁を作る癖」がなくなり、コミュニケーションに対しての抵抗感がグッと下がりました。

水引が姿勢を変える

この水引を顔に身に着けている時、具体的に姿勢が変わります。
それはまず、顔が頭から浮くようになり、頭の重さが首にかからなくなります。結果として、首から肩にかけての力みがなくなり、腕が軽く動くようになります。

この辺りは実際に経験し、実験を通して変化を感じながら試してもらう事で、自分の持つ身体の可能性を感じられるきっかけになるのでは、と期待しています。
特に、歳を重ね、若いころに比べて「出来なくなってきている事」を自覚しているのなら、その自覚が「思い込み」であり、常識によって作られてしまったものだ、という事が分かると思います。

身体はいつまでも動く、それが甲野先生とたくさんの時間を共有したことで感じた事ですが、その「動く」という質がまさか、こんなにもバリエーション豊かなものだったとは夢にも思いませんでした。
ついつい、頭が先に勉強をしてしまうと、筋トレをして力をつけ、骨格を整えバランス良くする事ばかりを考えますが、それだけではないのです。

ピラミッドは肉体的な私、表情は精神的な私

筋トレも、骨格も、一般的な傾向があってこそ、のものです。
しかし、水引によって見つけられる顔の働きはどんな時にも、それこそ、病気や苦しい時にも、抜群の力を発揮してくれるもの、と言えます。

首から下の大きな身体は「ピラミッド」のようなもの。大きく、強く、バランスよく、その上で、手足が働けば当然、力は生まれます。こちらの方はわかりやすく、求めやすいもの。
しかし、顔の力みがなくなり、表情が動くようになれば、全体として「浮き」がかかるようになり、首から下の身体はなくなったかのように動きます。
ピラミッドとは対極の姿勢が私たちの身体にはありました。

しかし、どれだけ可能性を含んでいても、それを見るきっかけがなければ気づく事が出来ません。
現に私も身体の可能性を感じて稽古を重ねてきましたが、重い病気もなく、なんとなく健康であったために、ピラミッド型の姿勢からくる力を求めて、探ってしまいました。

表情のさらに上にあるもの、それは髪の毛

水引をくわえる事で顔が緩みます。表情が動き出せば、頭から顔が外れて自由になります。
この自由さを一つ見つければ「さらなる自由」が見えてきます。
それが「髪の毛」です。

これもたまたまでしたが、髪に水引をつけてみたのです。
するとどうでしょう。それまで顔に集まっていた意識は髪の毛へと移り、頭の上で、ふわふわ、ゆらゆらと動き出し、文字通り、浮いているようになりました。
首に意識がたまっていた時から比べたなら2段階も上に意識が上がるのです。水引を見つけてからの一か月は本当に「激動」の一か月になりました。

頭は一つです。一つですから、「納得」を求めます。
顔は一つですが、表情は無限。どんな相手、状況に対しても、納得よりも先に「許し」を与える事が出来ます。
そして、その上にある髪。髪はもう、一つではありません。髪の毛はおよそ、10万本だそうです。10万本に「分身」しているのが「髪の毛という私」になるわけです。

「私は分身している」

こんな奇天烈な考えも、髪を見たならむしろ、そうとしか思えません。
まぁ、細胞的にはすでに、「たくさんの細胞」が集まって私という一人の人間を作っているのですから、理屈でいえば、一人よりも、分身の方が強いとも言えます。
問題は力任せな暴力に出会った時にも、この「考え」を維持できるかどうか、という点です。
どれだけ頭に「私は分身出来る」と言い聞かせても、力込められ襲われた時、それにより緊張してしまえば、大丈夫な自分は居なくなります。

頭に思い描きたい何かがある時、失われない何かで考えを補えれば、考える自由を得られます。
この時、道具のように外にあるものであれば、それを持っていなくてはいけません。手放せない何かを持ち続ける、と考えると、それもめんどくさい(笑)。
しかし、身体ならいつも、私にくっついているもの。髪の毛は常に、私のそばにあり、考えのきっかけに最適です。

動き出すとき、髪から動く。
それを考えただけで気配は消え、動きは変わります。

また、変な事を、と思うかもしれませんが、実は女性の方はもうすでに、この感覚を経験的に自覚している可能性があります。
髪を切れば気分が変わる、それを男性よりもわかっています。
シャンプーとブローだけで美容院へと行く女性がいます。男目線では理由がわかりません。しかし、その人は間違いなく、気分が変わる事をわかっているのです。
ただ、それ自体を喜ぶだけではイザという時、髪に頼る事が出来ません(笑)。

稽古は努力の場ではなく、経験の場

稽古は必要なのです。
新しい事も知る事ができますが、すでに無意識ではわかっていた事を稽古という実験を通して、そこに働きを自覚する。
表情も、髪の毛も、日常生活の中では当たり前の事。案外と胴体にある肩や肘、背骨や骨盤などの動きを試すよりも、簡単かもしれません。
表情や髪の毛の動きは現代において、当たり前に感じているからです。

とにかく、水引一つで見つかる事がどれだけある事か。
ぜひ、稽古で試し、使い方を知り、家でこっそりと試してみてください(笑)。
一人稽古ですから、周りの人に同意は必要ありません。自分の中に生まれている小さな変化をみつけたなら、それは失われない力です。どんなに厳しい環境でも、動かせる部分を持っていられたら、最悪やどん底はなくなります。心に余裕が生まれます。

これまで「努力禁止」は何度も言葉にしてきましたが、水引によって見つかる身体感覚はさらに、努力とは無縁になりました(笑)。
正月飾り、ご祝儀袋、水引が見事に飾られたものをみて、「意識しない」事がどれだけ難しい事か(笑)。
とにかく、心配はご無用。疑って、試して、観察して、ご自身の身体の不思議さをたっぷりと実感してください。

【稽古予定】参加受付中
1/16(日)つくば稽古会
1/23(日)甲野先生の名古屋稽古会

1/19(水) 大垣
1/20(木) 瀬戸
1/21(金) 名古屋熱田
1/26(水) 名古屋
1/28(金) 名古屋東山

詳細はウェブサイトで。
カラダラボ ウェブサイト

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?