新世界発見

12、24、31、37、42

謎の数字を並べてみました(笑)。
これ、自作の板を重ねた数字です。
下駄からヒントを得て作った板の説明をしだすと、それだけで大変な量になるのでここでは話の流れで説明をしていくくらいしておきます。もし、気になるようなら、稽古の際に遠慮なく聞いてください。

下駄板(グラビティーボード)

今回の発見は次元が変わる、というこれまでの発見と比べても大きなものです。備忘録として、この下駄板によって見つかった新たな世界について書き記しておこうと思います。
その分、説明は足らなくなるかと思いますが、ご容赦ください。まぁ、私自身が書きながら頭の中を整理しているくらいですから・・・。

人間は頭が重く、不安定な形をしています。
脳の大半は転ばないように姿勢を保持するために使われている、みたいな話も聞きます。
人にとって、2足歩行は当たり前でも、その仕組みを問えば、そこはブラックボックス。どんな影響を世界から受けいるのか、知る由もありません。

ただ、そこに切り込むきっかけがありました。
それが下駄板。(ちなみにこれはグラビティーボードと、名付けてもらっています。)
この板を重ねていくたびに、身体が変わるのです。

今、ここで言う身体が変わる、というのは「バランスをとる場所」が変わるという事。
無意識のうちに主役にしている場所があったのです。
これまでその場所を腹、胸、頭、目、背中、手、指、といくつか見つけていましたが、それが今回、さらに細かく見て取れるようになりました。
下駄板はあったし、実際に今回の数ほど重ねていて試してもいたわけですが、当時の感度では気づけませんでした。

とりあえずは42枚まで乗ってみましたが、ちょっと想像もしなかった世界を見た感じです。

感情と身体

これまでに見つけていた数は9まで。それぞれ、こんな感じでした。
1枚 胸
2枚 頭
3枚 目
4枚 背中
5枚 手のひら
6枚 ゲンコツ
7枚 指先
8枚 音
9枚 想像

理由はわかりませんが、とにかく数が増えれば不安定さは増し、身体は敏感になって、より細かく揺れを吸収するような動きをするようです。
ちなみに、この下駄板はそれぞれ平らに固定されていて、意識する不安定さはありません。何枚重ねても足元がふらふらする、というものはありません。

この9枚に関しては、乗る人それぞれに個性があります。
ちなみに私は一枚が合うようで、一段上がった状態なら、身体のバランスが整います。
おそらく、これは体幹と手腕の関係です。
手の動きと体幹の動きは意識と無意識の関係があるのでしょう。無意識の揺れが作る動きと、意識して動かす手が生む揺れがシンクロする場所を知れば、自分の持っている本当の力を認めやすくなります。

この9枚までに見つかる変化。これは体幹の動きです。
そして、体幹にあるものといえば、背骨と内臓。この二つが大きく動けば、当然、感情も動きます。
人それぞれの性格、といえるものは体幹の動きによって現れている、そう思うようになりました。

感情を整えたいのなら、体幹を守るか、体幹がより動ける事を知る、そんな方法は頭にありましたが、今回見つかった大きな数字は、体幹を捨て、手腕に主役を任せてしまう、という在り方です。

ある意味、これは胴体を親として考えた、子離れなのかもしれません。

リーダーは一人がいい

下駄板を増やしていく事で見つかる不安定さがあります。
12枚に乗った時、肩に軽さを感じました。
肩が軽やかに、「他を邪魔する事なく」、動くのです。
つまり、肩をどれだけ強く、速く、大きく回しても、身体全体の崩れがでない、という事です。
この肩の動きに任せれば、襲ってくる相手を凌駕した動きをそこに見せる事が出来、結果的に救われてしまいます。

肩に見つけた軽やかさを手掛かりにどんどんと足元に下駄板を積み重ねてみました。
そして見つかっていくのは肘、手首、指先です。

それぞれ、ある特定の枚数の中でバランスが取れ、素早く大きく動いても、身体を崩さず、動きを完了させられました。
もちろん、それぞれの関節に個性はあります。
肩は回り、肘は揺れ、手首は固まり、指は遊びます。
それを全部ちゃんと使おう、というのがダメだったのだ、とこれまでの稽古を反省しました。

主役は一人で良かったのです。船頭は一人で良かったのです。
どれだけ襲われても、俺は動ける、という部分が一つでもあれば、身体全体は結果として動くのです。
しかし、知識は積み重なって、ついつい、知った事を全部一緒に、ちゃんとやろう、としてしまったのです。

身体は無意識の塊。気分よく心が過ごせたなら、もう後は任せておけばよかったのです。

身体は踊り場

何十枚も板を重ねて色々とそれを探りました。
確かなものは無いか?と持てる感度をすべて使い、探りました。
そして見つかったのは12、24、31、37、42という数字です。
では、その他の部分はどうだ?と疑問が湧きます。

最初、見つけられないのは私の感度が低いから、といつものように反省をしました。
しかし、肩肘手首と見つかり、それが関節という「何もないところ」である事をヒントに考えが変わりました。
そもそもが手掛かりになどならないのだ、と。

何枚重ねても、それは無意識の働きであり、それを意識する事など意味がない、のではないかと思いつきます。
たまたま12、24、31と肉体につながる部分を見つけましたが、それは本当にたまたま。それ以外の場所は場所そのものが主役であり、肉体は消えているのかもしれない、と思うようになりました。

これは「踊り場」のようです。
階段が続く中で途中に休める場所としてある踊り場です。
淡々と続く階段の途中では休む事は出来ず、上や下、意識は次のステップへと向かい続けます。この時、肉体は強制的に動かされて意識する暇をもらえません。
ただ、踊り場は違います。
この部分では背中にかかる重さを身体で受け止める事になり、それが関節に負荷が溜まり、肉体を意識せざるを得なくなります。

肉体と精神の分かれ目を12、24、31、37は教えてくれているようでした。

自由を経験しておく事の大切さ

12、24、31、37で見つかるのは、それぞれの部位が「自由」である事です。
襲われ、身動きを封じられ、動けず、苦しい、と思えてしまう状況にあっても、肩や肘、手首、指先、「それぞれは自由」だった事を思い出させてくれます。
うまくいかないのは、それらを連動させて動きを作ろうとしていたから。意図した動きは襲ってくる相手に察知され、簡単に止められてしまいますが、それぞれに主役を任せてみれば、その動きを消す事は出来ません。
身体はある意味、「いつも自由」だったのです!

今、私たちの生活は楽になり、なんとなくな自由を感じられるようになりました。
食べ物に困る事はないし、家もあります。服だって昔に比べたらピカピカです。穴の開いた服はオシャレとして着られます。

ただ、これは本当に自由だろうか。それを問う機会も必要なのかもしれません。
マイナンバーが話題です。政府はこれにより、よりよいサービスが提供される、と言います。その真偽はまぁ、置いておくとして、前提として、私たちが政府に管理をされる、という事になります。

今、どの街にも監視カメラがたくさん置かれるようになりました。
スマホにはそれぞれカメラとマイクが内蔵され、車にも安全装置としてのカメラがあり、本気を出せば、膨大な情報を得て、個人の行動を特定する事が出来るようになっています。
果たしてこれは自由なのでしょうか。

自由を知っていたはずの私たちだって、どんどんと便利さに溺れ、自由の経験を忘れています。
これから生まれる子たちはそもそも、自由を経験する事なく大人になっていくかもしれません。
子どもたちに勉強をさせ、スポーツをさせて能力の向上を手助けしたい気持ちはわかりますが、果たしてそれだけでいいのか、それも考えてみたいところです。

今、私は「自由とは何か」という手がかりを見つけたようです。
頭でどれだけ自由だ、と考え、唱えて、主張しても、実際に他者に襲われ、掴まれた時、不自由になってしまうのならば、その主張する自由に意味がありません。
これは権力やお金の力が強くなってしまった事で、自由を得るためにそれに任せすぎてしまっているからです。
何もなくても、私は自由だ!その経験をしておく事の大切さを忘れずにいたいものです。

先入観こそが研究を滞らせる

そして、ここでまた自らを反省しなくてはいけません。
身体が大事だ、と言い稽古を続けてきました。
そして、そこには自由など、成果も数多く、これこそ、真の道である、と思っていました。
しかし、これも先入観。良かれ、と思うものを追うと、どうしても世界が縮まります。

身体を探る事で得られるメリットに「確かさ」があります。
肉体は形を持ち、そこに変化を簡単に見る事ができます。
肘を揺らせば、肘という確かな肉体が動いているのを脳は見つける事が出来ます。
そして、この肘だけを動かす事を考えればとてつもない自由が手に入る事がわかった、それがこれまで書いてきた事です。

身体を信じ、身体に任せ、身体を探る。その結果、自由が手に入った。これはどこにも非のない大成功のように思えますが、違うのかもしれません。

ある特定の数字には意味がありました。
しかし、それでは、それ以外の場所に立った時、手がかりを無くしてしまう、という事でもあります。
何とか、その特定の数字に頼らずとも自由を得る方法はないか、それを考えてみました。
そして見つかったのが心の世界です。

これまで私は心の世界についてはあまり多くを語らずにいました。
それはもともと自信のある世界でもなかったし、探れるほど手がかりもなかったからです。
ただ、自分に心がない、と思った事はありません。日々、生きていく中で心揺らされ、不安になったりします。

身体は踊り場、長い階段の中ではごく一部なものです。
私たちの多くは階段の1ステップでしかないのだ、と思えば心を大切にしなくては、という焦りが小さくなります。
自分の心への比重が少なくなれば、相手の心に重きを置く事が出来ます。
私の心と相手の心、大抵の場合はそれぞれに思惑があり、一つにはなりません。

2つの心が出会えば、そこには衝突が生まれます。
この衝突を身体に任せ、馴染ませてきました。それが私の稽古でした。
しかし、もし、相手の心へと入り込めたのならどうだろう?ふと、そんな事を思いつきました。
相手の心がある場所、それを何枚も重ねた下駄板は表しているのではないか、という事です。

今、こうして言葉にしていますが、自分でも本当か?と疑うばかりです(笑)。
しかし、そう思い、相手の立つ場所を想像し、揃えてみたなら、それまでにあった上下のストレスが消えて、前後左右に自由な場所が見つかってくるのです。

たとえて言えば「しおり」のようです。
本のページとページの間に差し込むしおりはその間であれば、自由自在に動けます。
私というこだわりを捨てて、相手の心の階層を想像する事で生まれる自由が今、私の中の最先端の手がかりとなります。

しおりの感覚も身体と言えば身体であり、これからも身体の研究は間違いなく進んでいくわけですが、だからと言って、心を探らなくてはいい、という事にはなりません。
現代は心の世界の方が大きくなってきました。
自分の得意な事だけで納めず、常に、今、どうしたら幸せになれるのか、大きな欲を持って、生きていきたいと思います。

【不定期稽古】

「つくば稽古」
稽古日時:2023/9/3(日)13:00-20:00(入退室自由)
今回もロング稽古です。稽古の中身も楽しんでもらいたいですが、それ以上に「過ごす」という事を感じてもらえたら、と思っています。
会場:つくばカピオ リフレッシュルーム
参加費:10000円
申込、詳細はこちらのページから

私の稽古はどこの稽古場も、基本もなければ、覚えなくてはいけない技もありません。ペアを組んで号令に合わせて行う練習もありません。気楽に、興味本位でご参加ください。

【定期稽古】7月の予定

7/7(金) 栄中日文化センター
7/7(金) 一宮中日文化センター
7/8(土) 浜松稽古
7/12(水) 名古屋稽古
7/14(金) 名鉄カルチャー名駅
7/19(水) 大垣稽古
7/20(木) 瀬戸ヒーリング
7/21(金) 栄中日文化センター
7/21(金) 熱田稽古
7/22(水) 浜松稽古
7/28(金) 東山稽古
http://www.karadalab.com/

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