『花束みたいな恋をした』:花束みたいな気持ちの先には
以下、「花束みたいな恋をした」のネタバレを含みます。
ストーリーはタイトルから想像できるものそのままだし、別に問題はないと思うのですが一応。
今日は昼前ぐらいに起き出して、部屋の掃除や洗濯なんかをして、夕方買い物に出た。
18時前からの「花束みたいな恋をした」を観に行くから、その前に夕飯のカレーを作るのだ。
カレーを作るのに思ったより手間取り、結局あと10分煮込んでルーを入れれば完成!というタイミングで家を出なくちゃいけない時間になった。
で、映画。
信じられないくらい泣いてしまった。
序盤も泣いたし、終盤も泣いた。
目からもう出ないようにと我慢して、行き場を失った涙が鼻から溢れ続けていた。
映画でこんなに泣いたのは「この世界の片隅に」を観たとき以来だ。
「これはおれの映画だ」とどうしても思ってしまう。
同棲もしていないし、運命みたいな出会い方をした人と付き合ってないし、仕事にあんな風に向き合ってないし、クリエイターを目指して挫折した経験もないのに、それでも。
執拗に繰り返される固有名詞の数々が、フラットに見ればそんなに共通点があるわけでもない二人の恋と「おれ自身」をどうしても結び付けてしまう。
麦の家を初めて訪れた絹の「ほぼうちの本棚じゃん」というセリフは、そのままおれの感想だった。
自分が触れてきたカルチャーが、こんなロマンチックな関係に自分を感情移入させてくれている、そのことに序盤は涙が止まらなかった。
その後二人はだんだんすれ違っていく。
「ストレンジャー・シングス2」は絹が一人で見るし、絹が薦めたであろう「A子さんの恋人」は読まれないまま机に山積みになっていく。
そして二人の関係は終わりを迎える。
「最高の離婚」の、違う方向を向いたまま同じ電車の車両に乗って生きていく、という結論をお守りみたいに胸に抱えて生きてきた人間としては終盤の展開はほんとに悲しいものだった。
どんなに「生活」を大事にして、「一緒にいること」そのものに価値を見出そうとしても、花束みたいなあの気持ちを目の前に見せられると、やっぱりどうしても失ってしまったものの大きさを実感せざるをえないのだ。
しかしじゃあどうやって生きていけばいいんだろう。
一度は感じた花束みたいなあの気持ちは、今もストリートビューのどこかにちゃんと記録されているはずだと、そのことを希望にしていくしかないんだろうか。
全然結論も出ないまま、泣きはらした目で劇場を後にした。
家に帰って、さらにちょっと煮込んで食べたカレーはいつもより味が染みていて、初回なのに2日目のカレーみたいで美味しかった。
そういうことじゃ、やっぱりやっていけないんだろうか。
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@いえもん
エモに寄って書いちゃったけど「花束みたいな恋をした」、まじで語りたいことだらけだ。
飲みたいなあ。
飲み会って楽しいよね、もこの作品ですげえ感じた。
@きっちゃん
パーマは一回前髪にだけ当てたことあるんだけど、本当に誰にも気付かれなかった。
似合っててよかったです。
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