見出し画像

「ヘンゼルとグレーテル」事件



 私の飲み友達でヤバい奴だと待ち合わせ場所に現れて即挨拶すら抜きで「ごめん今日の飲み代貸して!」と金の無心をかましてきたウワバミ女とかがいるが、まあそれを除いてもけっこう大概な経歴の奴らが揃っている。

 イカレたメンバー、紹介するぜ。

8%のチューハイと6%のチューハイ飲んだから14%」と驚異の理論をぶっぱなした理系のF。

吐いたら胃の中身が減ってまた飲める」リアルローマを体現したN。

岐阜で飲んだあと電車で寝過ごして名古屋で降りられず豊橋へ。あわててタクシーで戻ろうとしたが酔い過ぎで『岐阜へ』と行ってしまい振り出しへ戻った」ワープ野郎U。

 だが不動の第1位はMという男である。
 無職のためここでは高等遊民と呼ぶ。


 某年某日。
 その日は高等遊民と彼の浪人時代の仲間と私の、3人で飲んでいた。浪人仲間のことは浪人くんと呼ぶ。
 さて飲んでいた場所はその浪人くんの実家である。少し変わった構造の家で、平屋が二棟つづいたような構造だ。うち一棟、プレハブっぽい離れに彼の居室があり、そこで酒盛りをしていた。

 それぞれに大学生活を謳歌していた我々は大いに飲み、はめを外した。
 野郎三人、下ネタは尽きなかった。

 ともかくも飲み過ぎた高等遊民はわりと早い段階でなに言ってんのかわからなくなり、焼酎の瓶を見て1/3ほど残っている状態だったにもかかわらず「あとこんだけじゃん」と言ってラッパ飲みをかました。

 一体どれほどアルコールを摂取したのだろう。
 14%では収まらないのはたしかだ。

 大丈夫かぁ……? と見守る我ら二人がひとまず大量の水を飲ませておくと彼は次第に眠りに落ちていき、椅子に座ったままぴくりともしなくなった。

 まあ呼吸はしているのでいいか、と判断した我々はそのまま高等遊民抜きで駄弁りをつづけ、浪人くんと近頃親しくしている女の子の話や私の衣裳に対する特殊性癖の話などで大いに盛り上がった。


 サテ異変が生じたのは30分ほどあとのことである。

 す、と半目を開いた高等遊民。
 すわった目をした彼が、んっく、んっく、としゃっくりのような動きをはじめた。

 まるでブレスの攻撃モーションだ。
 ブレス(半固形物)。
 我々はス……っと、彼の足の間にビニール袋を張ったゴミ箱を展開した。
 だがそのときはまた目を閉じて眠りについたため、怒れる龍が召喚されることはなかった。ほっとする。

 けれど彼の胸の内に膨れ上がる怒りのドラゴンは完全に収まったわけではなかった。

 深夜2時を回り、またも高等遊民はす――、っと目を開けた。
 うつろな目をした彼は我々が用意したゴミ箱を蹴倒し、そのまま部屋を出て行った。まあ目の前でブレスされるのも気分が悪いので、自分でトイレいくなら手っ取り早いやと我々は見送った。

 ……しかし、彼は戻ってこなかった。
 30分が経過し、さすがに心配になってくる。

「ちょっと見に行くか」
「そうしよう」
「そうしよう」

 そういうことになった。
 外に踏み出す。トイレは屋外にあったのだ。棟と棟の間にトイレが挟まっているような構造だと思えばよろしい。

 我々はそこを目指す。風が心地よい。
 だがそのとき、月明かり差す屋外で我々は彼の移動の痕跡を目の当たりにした。

「こ、こいつは……」
「最悪のヘンゼルとグレーテルだ」


 ヘンゼルとグレーテル(半固形物)



 彼は律儀にも、自分の辿った道を自らの内容物によって我々に教えてくれていた。


 泣きそうになる浪人くん。そりゃそうだろう我が家だもの。今日の集いの候補地には私の自宅も上がっていたので、正直「うちじゃなくてよかった」と私は思った。

 でもまあ事態が収束するまでは気を抜けない。私たちは一列になってヘンゼルとグレーテルを回避しながら歩んだ。
 トイレからは、薄い灯りが漏れ出している。
 彼がヘンゼルとグレーテル以外を漏れ出す前にトイレにたどり着けたようでよかった。

「おい高等遊民。高等遊民ってばよう。生きてっか」

 我々はどんどんとドアを叩いた。返事がない。
 ドアの下にある隙間からのぞきこむと、靴が見えた。居るのは間違いない。

「おいってばよーう、高等遊民よーう」
「…………ぅーぃ」

 声は微かだが、あのカスは生きてるようだ。我々はちょっとほっとした。

「心配と迷惑かけてんじゃねえぞ!」
「…………ぅーぃ」

 まだしばらくはトイレとお友達でいたいらしい。我々は仕方なく、屋外通路の拭き掃除をおこなった。清掃費をあとで請求しようと話し合った。

 それからまた30分が経過した。
 きちゃないものを片付けてまた酒を飲みに戻った我々だが、さてこの段になっても高等遊民は戻らない。

 気を失ってんじゃないだろうなとまたぞろ心配になってきて、我々は再度トイレを目指した。
 ドアをばんばん叩いて「おいってばよーう」呼びかける。
 返事はない。
 大丈夫かぁ? と思いながら私はまたドア下の隙間をのぞきこんだ。
 当然、さっきと同じでクツが見えると思った。


 だが見えたのはケツだった。
 一字違いで大違いだ。

 ……予想だにしない浅黒いデカ尻のアップに瞬間脳内の処理が追い付かず、なにを見たのかよくわからなくなった。でも見直してみるとやっぱりケツだった。
 奴はズボンを下ろした状態のまま、便器を抱え込んで眠っているようだった。

「最悪だ」

 なにが悲しゅうて野郎のナマ尻を拝まなくてはならんのだ。
 しかしこのまま転がして置いてはじきに朝が来る。浪人くんの家族が起きるし、そうなればトイレを使うだろう。半ケツを転がしておくわけにはいかない。
 ところが高等遊民は深き眠りに導かれているようで、いくらドアを揺さぶっても起きる気配はみじんもない。

 さすがに我々も焦り始めた。
 ドアを叩くときの口調が乱れ、恫喝に近づいていく。オラァ開けろオラァ、ざけんじゃねえぞオラァ。
 完全に借金取りだった。でもまだまだ奴は、起きません。

 そして結局悩んだ末に、浪人くんは水を汲んできた。
 いじめ題材漫画のワンシーンみたいだが、さすがに真上からではない。
 ドア下の隙間から、スプラッシュ。

「はぉぅをぁァ!」

 強烈なウォシュレットを食らった高等遊民はかくして目覚めのときを迎え、二日酔いのまま安住の地を離れることとなった。あと彼の財布からは清掃代とモーニングコール代としていくらかが離れることとなった。


 以来高等遊民は黒霧島を見るとイヤな顔をする。
 だがそれよりもっとイヤな顔をするのは、奴のナマ尻を見ることになった私の方なのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?