その場限りの関係だからと思うとテキトーなこと言えちゃうときあるよね
以前バーで隣に座った女性から「さいきん友人がマルチかなにかにハマってしまったのか、ことあるごとに物を売りつけてくる」という話を聞いた。
ふんふんとうなずいていた私は思い付きで「じゃあこっちも同じことやり返してみたら向こうも気持ちがわかるんじゃないすか」と言った。
そう、たとえば
『――このグラスね、スピリッチュアルなパゥワーがエクイップメントされてて注いだ水を毎日テイスティングしてるだけで見る見るうちにエナジーがハイになってきてライフイズビューティフルになるの! あなたもぜひ使ってみて――』
みたいな。
いやまあこの文章は脚色入りましたが。
おおむねそんなことを言いました。
自分がやっていることがどういうことなのか客観視させるには、相手も同じ目に遭わせてやればいい。名付けて「こっちも売りつけ作戦」だ。
私の提案した同害復讐法に女性は「なるほどね!」と手を打ち合わせて去っていった。
その後はぽつねんとカウンターにひとり。私は気障にグラスを傾けた。
ふっ、迷える女性に解決の手がかりを与えてしまったな……みたいな。なかなかいいアイデアを出したのではないかな……みたいな。自分に酔いしれタイムであった。
……でもその後マスターと顔を見合わせて、ふと思った。
「あれ? ひょっとして私はいま、別のマルチを生み出してしまったのでは……?」
疑問を口に出すと。
マスターはなにも言わず、私にチェイサーの水を注いでくれた。
隣に座ったひととしゃべることもよくある私です。
名も知れぬその場限りの隣人。だからこそあと腐れもなく吐き散らせる。
どんなに親しい友人であっても、いや親しい友人だからこそ言えないことってのも往々にしてあるものですが、知らない隣人になら言える。そんなときもある。
その場限り一夜限りの関係だからこそ。
別の観点で物事を見てアドヴァイスをすることも、できるのではないでしょうか。上記の通り私には無理でしたが。
しかしまあお隣で聞いているだけでも世の中にはいろんな人間がいるものだなぁと感慨深くなります。
「お酒飲んだあと女の子とホテルに行くのにいつもタクシー使うせいで、この頃は普通に仕事中にタクシー乗るだけでも興奮するようになってしまった」と業の深い条件反射を身に付けていた方やら
「ぶつかって割れた瓶の中にお酒が残っていたのでもったいないと思って飲んだら、細かいガラス片が中に散らばっていたらしく翌日便器が血に染まった」と勿体ない精神で血液勿体ないしてしまった方やら
「真冬だというのに暖房機が使えなくなったので仕方なく毎晩インフェルノ(ウオツカに唐辛子の房が漬かっている品。めちゃめちゃ辛い)を飲んで耐えている」とロシア人でもやらないだろう限界に挑戦している方やら
お酒の失敗と下ネタはやはりどこにいってもいつ何時でも楽しいものであるようです。みなさま喜々としてお話になってらっしゃる。
あとは年齢が三十代後半以降の客層で固まってくるとはじまるのが、体調不良バナシ。
ときに自虐でときに本気で、人々が己の体調を肴に酒を飲む。
ねえおじさま。おじさまはどうしてカウンターの端で立って飲んでらっしゃるのですか? 席は空いていますのに。
「おじさん、痔なんだ」
それ飲んでて大丈夫なんですか?
……世の中にはいろんなひとがいらっしゃる。
通りすがり、ただひと時横にいて語らうだけの人々。
関係性は薄くとも、世界の広がりを知ることができる。
そんな気がして今日も私はバーへゆく。
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