壁は走るものではなくよじ登るもの



 壁走り
 といえば個人的にはやっぱ「マトリックス」だと思う。世代ですかね。

 さて今日は壁よじ登るお話。
 初挑戦したボルダリングの話です。


 いつも行くバーのマスターに「ここのところ運動不足である」という旨を雑談の折に話したところ、「さいきんよくボルダリングやってるけど一緒に行く?」とお誘いをいただいたのです。

 ボルダリング。

 なんとなくどういうものかはみなさんも想像ついていると思います。
 壁から出た突起物をつかんだり足場にしたりして上を目指すアレです。

 以前テレビで大会みたいなのを見たときには「このひとたちみんな例の蜘蛛に噛まれたのでは?」と疑うような動きでほとんどつかめそうにない場所をスルスル登っていく姿が印象的でした。

 提案されてみて、ふむと思考すること数秒。

 その間に自分の中に眠っていた太古の猿時代の記憶がよみがえったか、ふつふつとやる気が起きた私は「いきましょう」と答えていた。



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 それから。
 あくる日、マスターの車でジムみたいなところへ連れていってもらい、私は反り立つ壁を前に「ほほう」と唸っていました。

 突き出た例の突起物。

 ホールドというらしい。

 ぐっぐ、とこれらを軽く握ってみて……私はニヤっとしました。

 正直、握力と腕力には自信がある。だから誘いに乗ったのだ。

 かつて暇なときに漫画やゲームの必殺剣習得に励んで素振りに明け暮れ、最終的にシグルイの流れとか使えるようになったのがなにを隠そうこの私です。

 腕と指の力がものを言う競技ならばソコソコにやれるでしょう。

 いや……、ひょっとしたらソコソコどころではないかもしれない。

 秘めたる才能が開花して、今日のうちに先達のマスターを追い越すことだってできるかもしれない。

「え、コレってそんな高難度なことなんですか?」と謙虚な姿勢を保ちつつ、しかし圧倒的な煽りパワーを見せつける未来の私
 そんな姿を想像し、またニヤっとしたのであった。


 新しく物事に挑戦するとき、だいたい私はこういう思考になる。経験が無い故の無根拠な自信……


 さてそんな次第ではじめようとしたのですが、スタッフのひとに「あ、こっちの靴を履いてください」と言われた。

 おお。

 なんだか猛禽のくちばしを思わせるとがった形状の靴だ。
 その先端がラバー素材でおおわれていて、この滑り止めとかでホールドを足場にせよとそういうことらしい。

 早速履いてみる。なんでもそうだが、本格的っぽい品にはテンションが上がるよね。とくに私はなにをするにもまずかたちから入るタイプなのですってキツいキツいキツいキツい!

 なにこれ。
 なにこれ?
 すんごい窮屈ですよ?
 とがった形状の先端に向けて五本の指がきゅっとまとめられてる感じで、親指と小指の締め付け感が半端ない。

「あ、ですから登る時以外は緩めたり脱いだりしといてくださいね」

 スタッフのひとがそうおっしゃる。

 うん、完全に競技特化の靴だ。キツい足、気分はヤンおばさん。あるいは黒執事で毒ガスつくってたあの子。
 しかしスタッフさんいわく、こういうのでないと登る時に力を入れられないのだそうだ。そうかなるほどそうですか……


 ともあれ歩きづらさを抱えながらノロノロと壁に近づき、いざ登攀。

 ホールドの下には数字の札が貼られており、それがルートを示しているのだそうだ。

 あと私が行ったところでは札の色がレベルを示しており、赤が最も易しく、黒はヤモリかスパイディ専用といったおもむき。

 ひとまず準備運動として「最も易しい」をクリアした私は、ヤモリ用はさすがに無理だと思ったので中級くらいの黄色コースをめざしました。

 シューティングゲームなんかでもクソ難しいレベルを先にやってからレベル下げるとやさしく感じることが多いですよね。それを狙った。

 ところが中級からは、つかむ場所のみならず「足場」も指定されるという。

 そう……
 ひとりツイスターのはじまりであった。


 経験者であるバーのマスターが見ている前で、スタート位置へ手足を置こうとする私。あっ、見てて見てて……

 だが、この時点でもうしんどい。

 かんたんに説明すると、まずクラウチングスタートのポーズだ。

 クラウチングスタートのポーズで、左手は宙に浮かせた状態。

 右足が前、左足が後ろ。

 この状態で右肩を傾斜80度くらいの壁面にくっつけて――はい、じゃあスタート。

 ここから手足の位置を指定の色のホールドに置いていかねばならない。
 私は「下はマグマだ」と思い込む小学生並みの発想で自分を追い込んだが三秒で焼死した。
 む、むずい。

 だが周りを見るとヒョイヒョイと巧みに重心移動して登っている方々がたくさんいらっしゃる……
 なんなの……?
 みんな、太古の猿時代の記憶でも呼び覚ましているの……?

 握力と腕力には自信あったのに、実際のとこは体幹の方がはるかに大事だったわけである。
 でもこれもうスタートから体幹ゲージ削れてる感じなんですけど。どう回復すればいいんですかね。とりあえずガードしとけばいい? そんなことを考えているうちアァーとまた落下する私。


 こういう次第で苦戦から開始しまして、秘めたる才能の覚醒イベントなどなにも起きず無事終了。
 やはりこの競技にもとくべつ、適性はなかったか……



 しかしそれでも、楽しかったです。
 

 ここでボルダリングのなにがいいかを箇条書きにしていきましょう。

・他人とあまり競わず自分のレベルを極めることに終始できる
・空調が効いてて(まあこれは場所によってちがうのかもしれませんが私が行ったとこはそうでした)、かつ実際に動いて登ってる短い時間くらいしか汗かかない
・しかしやるときはマジで全身使うので力を使い切った感が出る
・ほどよく達成感がある

 こんなとこでしょうか。



 とくに最初に書いた「他人とあまり競わなくて済む」というの。
 これが個人的にはとてもいい。

 どうしても数字出るもの・他人と競うものをやると負けん気が出る人間が私です。あまりにも負けず嫌いが過ぎる。

 結果としてどうなるかというと……「負けないためにもうやらない」この境地にたどり着く。護身完成である。

 ですがボルダリングは、あくまで戦いは自分とのもの。
 マリオカートでレコードを出し、その後はひたすらゴーストを追い続けるようなこの感覚
 これはけっこう、楽しいなと思いました。いうなれば達成目標のある筋トレといった感じ。

 全身運動なのでかなり鍛えられた感じしますし、おわったあとで「打ち上げだ」「肉食おう肉」「焼き鳥だ」「食うなら飲まねば」「焼酎のむか」「いやいっそボトルでいれよう」という流れで身体に取り込んでったタンパク質も、すべて明日の筋肉の糧となっていることでしょう。


 まあ今日このまま吐かずに済めば、の話ですが。
 うへげげ。

 そんではまた。

 

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