小学校4年生のときに植え付けられた依存という感情

こんにちは。そして閲覧ありがとうございます、Kalaです。
1年近くnoteを放置していてすみません。

今まで書くネタに慎重になっていたので更新できずにいたのですが、最初の記事でお話した通り、イマジナリーフレンド、人格解離、その他にも恋愛依存や自己肯定感との付き合い方について色々と個人的意見を書かせていただきます。
あくまで私個人の主観なので、私の意見だけが正しいというわけではありません。
なので、あくまで本を読むような気軽さで読んでいただければと思います。

では、本題に入りますが、皆さんは依存と聞いたらどんなものが思い浮かびますか?
煙草だったり、恋愛や性に対する依存だったり、最近ではSNS依存などもあると思います。
“依存”と一言で表しても実際は多岐に渡るため、そこまで深く考えた人は少ないのではないでしょうか。

今回私がする依存の話は、『人間関係に関する依存』です。
この話は私が過去経験したものなので、あくまで経験に基づく意見となります。



私が誰かに依存するきっかけとなった話


私が人に依存をするようになったのは、小学校4年生のときでした。
当時私はいじめを受けていて、いじめの主犯格Bさん(仮名)がこんなことをしてきたのです。

Bさんは、私が誰かと仲良くしていれば、すぐにその子との仲を壊してきました。
例えば、私が別の友達と遊ぶ約束があるとBさんとの約束を断れば、Bさんはその友達の家まで行き、「カラちゃんと関わらないで!」といったのです。
Bさんは常に自分を優先しろといい、優先しなければ私の交友関係を絶つ…そういった物凄いことが出来る子でした。

当然私の周囲からは、Bさん以外の友人はいなくなっていきます。
私が他の誰かと遊ぶなら、それはBさんの友達だけで、その場にはBさんもいなければいけませんでした。
これが、全てのきっかけだったのです。


では、なぜ依存をし始めたのか?


では、先程の経験談からなぜ人に依存することが当たり前になったのかというと、簡潔にいえば「私にはBさんしかいない」と徹底的に教え込まれたからです。

ある意味、当然ともいえますよね。
なにせ、遊ぶときはBさんと一緒で、さらにBさんは他の友達と遊ぶときはいつも私を下に見る発言や仲間外れなどしてきたのです。
幼い私からすれば、「なんでBさんは誰かと一緒に遊んでいるとこんな酷いことをいうのだろう?」と疑問に思うわけです。

Bさんは徹底的に私の方が立場が下だと分からせ、自分がいなければお前は誰かと遊ぶこともできないことを知らしめたい。
もし彼女がこう考えていたなら、私はもうBさんに敵わないわけですし、なにより幼い私は自分の立場を最も低い存在だと思っています。
しかしそんな中、Bさんだけが自分の相手をしてくれる、Bさんといれば周囲の子と同じような生活が送れる…と思うわけです。

このとき既に私はBさんに逆らう以前に、「Bさんがいないと私はなにも出来ない」と思わされていました。
ある種、毒親と呼ばれる方と同じことをしていますよね。

わざと転ばせたりして、「ほら、お母さんは危ないっていったのに言うことを聞かないから」と叱り、ある種の洗脳を施す。
こうしてみると、人に対する依存というのは洗脳に似ている節があるかもしれません。

依存してどうなったのか


最後に私がBさんから依存心を植え付けられ、どうなったのかというと、時は高校生の頃まで進みます。
私にはある友達ができ、その友達に依存していました。
彼女のいうことは正しくて、立派なもので、間違いなど一切ない。
ですが決してそんなことはなく、その友人も人としてどうかと思うことを周囲にしていました。

そしてその友人から縁を切られ、一旦彼女との付き合いがなくなります。
しかし数年後、あることを機に彼女とはまた友人に戻りました。

そのころには、私は彼女がした最低なことも最低だと認知できるようになったのですが、ここである事実に気づいてしまうのです。
私は一時期、その友人のあるところが許せませんでした。
しかしまた交流をするようになってから、その最低だと思っているところを許容し始めたのです。

簡潔にいうならば、「嫌いなんだけど離れられない」といった形です。
この人にも嫌なところがあるし、私はそれで傷つけられた。だというのに離れられない…そんな矛盾に気づいてしまいました。

恐らく、友人や恋人に依存している方の中にも、こういった思いをしたことのある人は多いと思います。

「確かに相手の嫌なところもあるけれど、嫌われたら嫌だ」
「この人に嫌われたら、私はどうすればいいんだろう?」

ここまで思ってしまったら、恐らくその依存している人から自力で距離を置くのは難しいです。
小学生のころに味わった些細なことが、ここまで人への依存を冗長させたとなると少々恐ろしいですね。

まとめ


私自身、人間関係の依存については一長一短だと思っています。
過去、カウンセリングを受けた際、私は担当している先生から「自立と依存」というテーマを掲げられました。
数年前の私は、「そんなに依存は悪いこと?」と思っていましたが、恐らく先生の言っていたことは依存への否定ではありません。
確かに自立することは大事だけれども、依存もときにはやむを得ない。ただ出来ることなら依存はなるべくしないようにしようと先生は言いたかったのでしょう。

なので私も、お互いにいい関係が築けるのであれば依存はいいと思います。

良い依存はパートナーや友人の支えがあることで、人生を頑張れる・人生を豊かにしてくれる・なにかを知ることができるといったものだと思います。

しかし、このBさんや縁を切った友人のような歪な関係は、悪い依存といえるでしょう。
そして、この悪い依存というのは確実に自分の精神を壊します。
現に私も、散々辛いと思っていながらも、何度も同じことを繰り返しています。

恐らく意思の弱さもあるでしょうが、あまりにも精神を壊してしまうと元には戻れなくなってしまうのです。
なので、せめて今この記事を読んでいただける方にはこんな風にはなって欲しくありません。
もし、読者様が似たような状態にあるのならば、なるべく早いうちに自身の人間関係を見直すのをおすすめします。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

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