小説:神社で願い事

 神様は乗り越えられる人にしか試練を与えない。試練を与えられたものはそれを乗り切る力がある。両親から常に言われてきたこの言葉が僕の座右の銘だ。実際にこの言葉のおかげで何度ももう一歩踏み出すことができた。

 だから今回も神様は僕に壁を与えてくれているのだろう。僕が投稿している動画の再生数の平均はたったの25回。チャンネル登録者数は43人しかいない。自分の生き方にあっていると始めたユーチューブだったが、なかなか動画を伸ばすのは難しい。

 渾身の動画でさえ、54回再生。そういう時はぐっと全身に力が入ってしまうけど、くじけない。やさぐれたりもしない。だって、これには理由がしっかりあるのだから。神様は乗り越えられる人にしか試練を与えない。

 本来ならもっと再生数が得られる動画だ。確かに粗削りかもしれないけれど、僕にしかできないことがぎゅっと詰まったよい動画になっている。それで世間に認められないと怒りに身を任せてしまうことや、自分はなんて運が悪いんだと悲痛な叫びをあげてしまうのは簡単だ。だけど、それじゃいけない。だめ。いけないんだ。

 そうだ。運がやってこない、つまりまだ神様に認められていないということは、僕にはまだ超えるべき、いや超えられる壁があるということだ。そういうことなのだ。つまり、この僕の荒削りのパッションをもっと鮮明に見せつけることができるようになれば神様は認めてくれる。そういうことだと思う。

 ゆえに、僕はいろいろなことを学んだ。どうしたら動画を見てくれるのか。それで考え付いたのがサムネイルだ。サムネイルはいわば店の外見だ。外見をその店のコンセプトにあった空間に仕上げることで、お客さんは魅力を感じて店に入る。

 ゆえに、僕はこのサムネイル作成の作業に一番時間をかける。サムネ選びは時間と手間を惜しまず使うのが良い。

 より雰囲気を出すために、川辺で撮ったサムネイル用の写真を使おう。これは今日動画を取っている時に思いついたアイディアである。そしてそれに合う文字のフォントを探さなくては。意外と見て居る側は気にしないかもしれないがフォントというのはサムネイルにとって極めて重要な要素だ。文字の大きさも一文字一文字吟味して決める。色は? 大きさは? 設置する場所は? 

 そうやってこだわりのサムネイルを作り上げる。こうやって、一つ一つ細かいところに気づくようになったのは、不運にも伸びず、それでもへこたれることなく考え続けてきたからだ。

 動画を投稿してから再生数が伸びてゆく間というのは気が気でない。今回はよくできたから伸びているだろう。再生数伸びたかな。そうやって30秒に一度はアナリティクスを確認する。どうだろう。投稿から30分経ったが、まだ15回再生しかされていない。

 画面が少しぐらっと傾いたかと思ったけど、集計時間を見て安心した。15分前までしか集計していない。そいうことはこの間にどんどん伸びている可能性が高いわけだ。

 こうやって、アナリティクスの数字が伸びることを待っていても始まらない。そういう時は無駄に時間が過ぎるのが遅い。ユーチューブを見よう。それで勉強するんだ。

 画面をスクロールすると、胸が強調された画像がサムネイルが出てきた。そしてその再生数を見て言葉を失ってしまった。その動画の再生数は何と8万もあった。下唇をかみ、音が鳴る。しかも動画を公開してから2週間しかたっていない。つい手に力が入ってしまう。そんなことはあり得ない。おそらく、ピアノが猛烈にうまいに違いない。僕はその動画をクリックしてしまった。

 普通だった。もっとうまいピアノの動画は沢山ある。ただ、胸が強調された服を正面から映しているだけだ。鍵盤も映っていない。それなのにいいねボタンは800を超え、バッドは何とたったの90しかない。こんなのありえないじゃないか。

 ついバッドボタンを押してしまいそうになるもためらってしまう。こんな卑劣ではあるが、それにをつけるという行為も同じ動画投稿者として行ってはいけない行為に思えてしまう。そ

 れがたとえ卑劣なやり方をする相手であってもだ。そうだ。僕はすごくなるからこうやって壁を与えられているだけなんだ。こうやって卑劣な方法を使わないように、そう神様が伝えてくれているに違いない。せいちょうするチャンスだ。また高みに行ける。それに引き換え、この動画主はかわいそうだ。試練も与えられず運だけで成功してしまったのだから。

 待てよ。運だけで成功してしまった? 運だけ? 

 つまり、これはつらい思いをせずに8万の数字を手に入れたのか?

 つい僕は、数多くの信者コメの中に悠然と輝く卑劣な方法を糾弾する正義のコメントにいいねを押しかけてしまった。だめだ。外に行って落ち着かせよう。動画を撮るんだ。

 無音で街を歩くとついさっきの動画のうまくないピアノの音で脳が支配されてしまいそうな気がしたので音楽を聴きながら外を歩くことにした。でも今聞きたい音楽は見つからない。少なくとも元気が出る曲じゃない。それにバラードでもない。ようやくそれでなんとなくよさげな曲は見つけたが、まだいまいち乗り切れない。

 つい、ぶらぶらと歩く。曲を聴いても脳内にへたくそなピアノの曲がガンガン流れる。気が付かないうちに撮影をするでもなく、かなり遠くまできてしまった。そこには神社があった。確かテレビで紹介された神社だ。

 神社は静かで悩みを洗い流してくれそうな雰囲気が漂っていた。大きな木や境内の原生林がいやしてくれるのだろうか。そのきれいな空気に現れてなんだかやる気がわいてくる。そして気が付くのだった。

 そうだ。僕はこういう大変な人の心をホッといやせる動画を作っていきたいんだ。困難が多いこの世の中にオアシスとなる時間を作りたいんだ。この神社のように。

これも、壁が目の前に現れた結果であろうか。とても大事な、忘れかけていたことに気が付き、カメラを回す。この空間をみんなに届けるんだ。

 そこで、神主さんが話しかけてきた。

「あの、ビデオカメラは遠慮していただけますか?」

「え?」

「イヤ、前にもユーチューバーっていうんですか? そういう方がきてですね。思いっきり騒いで好き勝手していきましてですね。クレームが入ったのですよ。だからですね。そういうことをやられると非常に迷惑なのでですね、カメラは全面お断りなんです」

「……はい。でも、いつから禁止なんでしょうか」

「おととしの2月からです」

 テレビでこの神社が紹介されたのは今年の5月だった。

 動画は取れなくなった。だけどせっかく神社に来たのだし、お参りでもしていこうと思う。日ごろから神様の試練を忠実に行う俺のお願いだ。多分多少かなえてくれるだろう。

 賽銭を投げ入れ、豪快に金を鳴らす。

 お礼。

 お礼。

 柏手。

 柏手。

 お願いします神様。無事に壁を乗り超えることができますように。

 でもそれが無理なら、俺より幸せなそうな人や成功者をみんな酷い目に合わせてください。

 最後にもう一礼し、俺は境内から外に出た。どこかで良さげな動画を撮らなければならない。地面に石が落ちていた。石なんぞ何の意味もないと思いっきり蹴っ飛ばした。

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