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小説:花火展望石階段の乱

 階段を登ってくる風に揺られ、木々はさわやかに揺れる。日陰から見上げる真っ青な空と入道雲は実にまぶしかった。ここで純粋無垢な乙女とともに空を見上げ共有したイヤホンで恋の歌でも聞けたら何と素敵なことであろう。

 しかし現実は甘くないのである。青い空の下で麦わら帽子をかぶり白いワンピースを着た無垢な乙女との出会いなどまるでない。それどころか、ここにいるのは汗で石畳を濡らすさえない男どもである。このうだる夏の暑さの中、男どもはぬるい麦茶を片手に一定の距離で腰かけていた。そして私もその一人だ。

 しかし何故このような無駄なことをしているのか。簡潔に言うと正義のためである。今宵は花火大会が開かれ、ここ一帯は浴衣を着たカップルを練り歩くいかにも恐ろしい百鬼夜行の舞台となり果てるのである。そしてその妖怪どもが最後に目指す地こそがこの神社の階段である。ここは花火を見るにあたって一番の絶景スポットだからだ。むろんカップルはここに集まったとき唇と唇を合わせてしまうのである。神の御前であるというのに。

 我々はそのような不埒な行為を取り仕切る町の風紀委員会として、この石階段を占拠するのである。これは嫉妬や憎しみから行っているのではない。この世にはびこる恋愛自由主義ファシズムに対するレジスタンスである。正義は我々にありである!

 正義は勝つというが、その道はいつも険しいものである。隣に座る男が、急にゆらゆらと揺れだした。ここで熱中症になって正義を執行できぬというのは悔やんでも悔やみきれない。我々が活その日まで我々は倒れるわけにはいかないのだ。

「おい! 大丈夫か! しっかりするんだ!」

 私はいざという時のために持ってきていた経口飲料水を男に与える。男はうまいと一言言った。そして私のほうを見た。

 それは覚悟をした目であった。もう長くないと悟っている。そしてそれは私にもわかった。

「ありがとう。でも俺はここまでのようだ。せめて俺の話を聞いてくれ」

「ああ、聞くとも。君の熱い思いを聞かせてくれたまえ」

 男は微笑み、自らのその過去を話し始めた。眼鏡の下に隠れたその細い目に輝きはすでにない。

 男には想い人がいたという。しかし、男は知っていた。自分はさえない身であると。自分はその想い人に声をかけることが許されぬ身分であると。しかし、どうしてもあきらめることができない男は努力をした。

 これまでは遅れて出していた週末課題をきっちりと出し切り、時々落ちて追試となっていた小テストもしっかり勉強をしてきて受かるようになり、部活でもベンチを温める身分であったが、朝いちばんに早く学校にきて自主練を行った。

 すべてはその想い人に振り向いてもらうためである。しかし、それでも男にとっては大変な困難であった。自らの自由時間は勉強と部活で減ってゆき精神はすり減ってしまったのだ。その時だった。男はゲームにはまってしまったのだ。現実はなかなか思うようにいかない毎日であるがゲームではそうでない。ゲームは素晴らしい活力剤となったのだ。

 そんな時に悲劇が起きてしまう。男は社交性を身に着けるため今までの学生生活とは点で変わって昼休みの時にもいわゆる根明のグループに混ざって弁当を食べることにしていたのだ。その努力のつつましさたるや涙が零れ落ちる。

 その時、男は根明に聞かれたのだ。なにはまってるのと。そこで男は答えてしまったのだそうだ。

「カミナリイレブンやってるんだよね。ネット対戦もさ結構奥が深くて……」

 根明たちの目を見たときは肝が冷え切ったそうだ。

「あー、そっか。懐かしいなぁ俺も前やってたよ……」

「えーっと、それじゃ音楽なに聴くん?」

「え、聞かないけど……」

「今流れてるやつはさすがにわかるっしょ?」

 その日教室では聞いたことがない音楽が流れていたという。
「知らない」

「そっか……。雨宮君変わってるね」

 根明のほほえみは仲間内に見せる笑顔とは違い、ぎこちなく、目は笑っていなかったとのことだ。

 それから三日後に、男を憐れむ目で見た根明と彼の想い人が交際していると知ったのである。

「オレは許せない。あの、俺をさげすんだ男と島村さんが付き合っているなんて。島村さんがあんな男に騙されているなんて。だからこの活動に参加したんだ」

「もういい! わかった! もうしゃべるんじゃない!」

 もう聞いていられないあんまりだ。

「いいえ、これは懺悔であるのです。私の行いは確かに正義であるでしょう。ですが、彼女は楽しみにしていたはずなのです。それがたとえ悪魔とのデートであってでも。そして私はこれを行うことで彼女のこの夏の思い出を一つ台無しにしてしまう。それが悲しいのです」

 周りの男たちは汗と一緒に涙を流している。ここに集まった精鋭たちはこの男と同じく純粋無垢な存在であるのだ。むろん私も純粋無垢なロマンチストであるから、この男の真実の愛には涙を禁じられるわけもなかった。私は泣きじゃくり、男に呼びかける。このような純粋無垢で心優しい紳士が十字架を背負うなどあってなるものか。

「自分をせめるでない! 優しき人よ! 人が成長をするにはつらい経験が必要なのだ! この瞬間では確かに彼女はつらい経験をするかもしれない! だがしかし、それは彼女をより成長させ審美眼を与えてくれることになるであろう! それをもってして、君と彼女の赤い糸が結ばれるのだ! だから大丈夫。後は私たちに任せてくれたまえ」

「男はふらふらと立ち上がり、階段を下りた」

「ありがとう。このご恩は一生忘れない」

 我々はその男の偉大な背中に敬礼をしてこの灼熱地獄から送り出した。

 夏の日差しはピークを回り、我々を追い出すと言わんばかりに石畳を熱くする。この青い空はどこまでも我々に対して残酷である。

「皆のもの! 耐えるのだ! 無き雨宮のためにも我々はここを死守するのだ!」

 階段からは野太い声があがる。たまたま通りすがったカップルはそれを見てこちらにぎょっとした顔を向けるのだった。

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