見出し画像

小説:週末課題戦線

 週末課題、それは存在してはいけないものである。週末課題、それは歴史に名を連ねる暴君も震えあがるほどにサディスティックな高校教師が我々の休息や青春を亡き者にしてやろうと編み出した拷問である。私が週末課題をやってこないのはこの圧政に異を唱えるためである。我々の青春を邪魔しないでくれという我々の無言の抗議だ。これは革命のためであって断じて週末課題をやるのがめんどうくさいわけではない。

 2年生になってから3か月、つまり10週間にわたって私は抗議を続けているわけであるが、ついにこの圧政に屈せざるを得ない瞬間がやってきてしまった。月曜日に居残りさせられて課題が終わるまで帰宅できないという拷問には何度も耐えきった。言わずもがな私の精神は鋼鉄よりも固い。そんな私を屈服させる、天地を揺るがす事件が起きてしまったのだ。

 事件は先週の月曜日に起こった。いつものように日直が週末課題を回収していた。その日の日直は山中さんだった。山中さんはクラスではあまり目立っていない。

 しかし、これは慧眼な私しか知らないことではあるが、彼女は美少女である。顔ではない。いや、失礼。顔も相当な美少女であるが、漂わせる雰囲気や気品が美少女のそれなのである。その証拠に彼女はどの女子グループにも所属し、その場を和ませている。本来女子のグループというのは相容れぬものである。私の考えでは、女子グループ間の苛烈さというのはバルカン半島の国が持つ民族間の関係に匹敵するとにらんでいる。その熾烈な争いの中で波風立てずにどのグループにも属すのは並大抵ではない。

 しかも彼女の美少女っぷりはそれだけに収まらない。これは彼女の部活の後輩である私の妹から聞いた話であるが、女子バレー部ではリベロとしてチームを支えているらしい。どんなボールも落とさないその姿はまさに鬼神だという。それでいてコート内ではやはり教室内のような春風のような柔らかい雰囲気を漂わせているらしい。私ほどではないが私の妹も、りりしく、かわいらしい彼女にぞっこんなのである。

 そんな彼女が私の週末課題を回収しに来た。いつもはそんなことはないのだが、心を痛めながら「これも大いなる目的のためだ」と断った。当然だ。私は圧制者に屈しない。青春を謳歌するのにこの課題をやっている暇などないのだ。

「なにーそれ。目的?」

 彼女の間が伸びた声につい心臓が跳ね上がってしまう。しかし、その可愛さにチャンスをうっかり逃す渡してはない。どうやら彼女は私の革命に興味を抱いているらしい。ここで革命の全容を話し、週末課題撲滅戦線の仲間を増やすのもわるくない。

「実は、私は革命を行っている。週末課題をストライキすることで週末課題を廃止させようとしているんだ」

「あはは! なにーそれ! 革命かぁ。男の子だねぇ。なんか響きがかっこいいもんね」

 本来私は寡黙な男である。そんな私であるが今回ばかりは彼女の発言に舞い上がってしまった。柄にもなく「みんなの青春を守るための革命さ」と、今後1世紀は残り続けるであろう名言を口にしようかなと考えた時だった。

 彼女が先に口を開いた。

「革命もかっこいいけどさぁ、きちっとやるべきことやる人もかっこいいんだよねぇ。紳士って感じで」

 私は、職員室に行き、来週は期限通りに出しますと宣言した。

 皆さんはお分かりだと思うが一応言っておこう。私が屈した理由というのは紳士だからである。山中さんの発言になびいたわけでは断じてない。紳士は色恋沙汰に巻き込まれぬものである。

 紳士である私は早速週末課題に取り組むことにした。週末課題といってもそのほとんどは月曜日や火曜日に出される。それにあたって完璧な計画を立てた。これを完璧に行えば平日に週末課題は終わる。これならば圧政者たる教師たちの思惑とは裏腹に土日の間青春を謳歌できるものである。

 しかし、神のいたずらか計画通りには進まなかった。土曜日になった今、まだ週末課題は手が付けられていない。

 完璧な計画だった。ではなぜか。誤算があったのだ。スマートフォンの存在である。私は友情に熱く、その上教養も深い。ゆえに、友人からの熱い願いのこもったラインというのはどうしても無視できぬものであるし、さらなる教養を身に着け、有識者と熱い議論を行うためにはユーチューブで情報を集め、掲示板を回る必要がある。ああ、人徳があり、あふれんばかりの知識欲があるというのは罪である。私は私の有能さを呪った。

 しかし、この私である。スマートフォンでつい己を高めてしまうことの対策をしない男ではない。私は画期的な方法で、週末課題が終わるまでの間スマートフォンを封印することにした。その画期的な方法を読者の皆さんにだけはお教えしよう。

 そう。わが妹、美樹にスマートフォンを預けることだ。彼女は私から冷蔵庫のプリンを産まれてこのかた一度も取られることなく守り切った鉄壁を誇っている。

 しかし、緊急事態というものはやはり起こってしまうものだ。私は思い出してしまったのだ。私のお気に入りのユーチューバーが事前に今このタイミングで配信を行うと予告していたのを。この一生に一度の舞台を見逃すわけにはいかない。やむなしだ。私は妹の扉にノックした。

「おい! スマホを私に渡してくれ!」

「いやだ! おにぃこれで何回目だよ! 15分も我慢できないの!?」

「一大事なんだ!」

「さっきもそういってきたでしょうか!」

 わが妹の美樹はほほを膨らませながら扉を開けた。

「何を言おうとスマホを返すなってさんざん言ってきたのになによ! こっちだって今先輩と電話してたところなんだから」

「それは悪かった。しかし、本当の本当に一大事なんだ。頼む! わが妹よ!」

「はあぁぁ」

 妹は大きなため息を吐いた。その後鋭い目つきでこちらをにらみつける。この目はこの私をしても委縮させてしまう恐ろしい魔眼だ。いつそのようなものを使えるようになったのだろう。

「こっちも15分ごとにドアたたかれたらさ、迷惑だから助けてあげるよ。その代わり本当のこと言って。一大事のことについて。本心を包み隠さず。もう何回もノックされて腹立ってんだよね」

「ああ! ありがとう。私の知識より高めるとともに、一生に一度しかない素晴らしいショーを、いや、歴史の立会人にだな……」

「ふーん。助けてもらわなくていいんだ」

 妹の邪眼がさらに鋭くなり、私のが構築した理論形態が砂のように崩れていく。口の中で言葉にできぬ言葉をもごつかせて来ると妹は追い打ちをかけてきた。

「それと何? その一人称。私ってきもいんだけど」

 その、あれである。もう頭の中は真っ白だ。

「……たくない」

「は? 何? 聞こえないんだけど」

「宿題をやりたくない!!!! めんどくさいし頭使って疲れるし、遊ぶ時間減るしで最悪だ! 宿題やりたくないんだ! 俺は!」

 美樹は邪眼を解き、かちほこった表情でこちらを一瞥した。

「言えたじゃん。じゃあちょっと待ってて」

 美樹の部屋の扉が閉まる。蒸し暑く薄暗い廊下に一人私はおいて行かれた。頬に流れる生暖かい液体は汗である。男は涙を見せぬものだ。

 なんともいえぬ虚無感を感じた私はなんとなく週末課題をやり始めた。めんどくさいが問題が全く分からないというわけではない。

「おにぃ、入るよ。うわ、勉強してんじゃん」

 私に勉強をさせた元凶が入ってきた。そのうえ、助けると言っていたくせにスマホは返してもらっていない。しかし、もうどうでもいいことだ。今私はこの世のすべてに屈して週末課題をただやるだけの器械となったのだ。

「そっぽ向かないでよ。おにぃ。さっき言ったでしょ。助けてあげるって。それでさ、助っ人呼んできたから。

 助っ人か。先ほどは必要だったかもしれないが、今こうして実に素直に週末課題に取り組んでいる私にとってそんなものは無用の長物である。そもそもこの妹が誰を連れてくるというのだ。まったくもって期待はできない。もうしわけないが今日のところは帰ってもらおう。

「どうも、助っ人に来たよ。山中楓です」

「うわぁ! どうしてここに!?」

 帰ってもらうなんてとんでもない。こんなことなら週末課題なんてやらず部屋のかたずけとお高いお茶菓子でも買って来ればよかった。私の脳内は大混乱ではあったがその中の一握りは理性がまだ残っていた。その理性は当然ながら疑問をたたき出すのである。なぜ空前絶後の美少女山中さんがここに?

「実はね。さっき美樹ちゃんと通話しててね。何というかやり取り聞こえちゃったんだ。それで多分だけどね。君を週末課題やらせるようにしたのって私でしょう? 月曜日私と話してすぐ先生のところ行ってたし。それでね。お手伝いしないとなーって。きちゃった」

「いや、えっとうん。そうだね。じゃあ、ここは誘惑が多いから図書館でやろう。うん」

 「きちゃった」の一言にとどめを刺された理性は消える前に私にこの言葉を言わせた。

 それから私の誘いで、私たちは毎週週末課題を一緒にやることになり、その流れでデートに行く機会も増え、私たちは付き合うことになったのだ。

 あろうことか週末課題が私の運命の糸を手繰り寄せてくれたのだ。確かに週末課題は毎度のごとく、唸るほどやりたくない。しかし、青春を手に入れるためには困難を乗り越えるのも必要なのである。何が革命だ。あの頃の私は実にバカげていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?