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小説:休日の可動域

    片手に収まる大きさの液晶を眺めていたらもう朝の11時をまわっていた。おかしい、先程女児アニメが終わったばかりではないか。エンディングが流れたのもつい数秒前の出来事に感じられる。したがってまだ9時程のはずである。しかし、六畳の部屋にある時計を全て見渡しても、短針は真上に到達しようかという具合である。

   終わってしまう。このままでは一日が。

   先週もその前の週も、であれば先月、更には去年から私の休日には時間泥棒が現れた。そして恐るべき早業で私の時間を強奪してゆくのだ。犯人は誰であるのか。実の所犯人は誰かわかっている。犯人は決まって2時間前に現れる。

   そう、女児アニメこそが犯人である。この女児アニメ素晴らしすぎるのだ。どれほどのものかと言うと、世にあるありとあらゆる言語を使ってもその素晴らしさを表現出来ぬほどである。故にSNSや掲示板では私の同志である、所謂大きなおともだちがその素晴らしさを何とか言語化しようと骨を折るのである。

   彼らと言の葉の海に飛び込み、純粋で高潔な精神を表現するために午後も費やすのは悪くは無い。もう、午前中を潰した身であるからね。悪くない。悪くない。いや、本当に悪くはないのだが、どうもなんというかどこか引っ掛かりを覚えてしまう。

   宇宙まで届きそうなこの空の下、6畳の薄暗い下宿部屋で1日を終えても良いのか?

   女児アニメよりハイキングを優先すべきではなかったのか?

   藪から棒にハイキングと言われても諸君はなんのことかさっぱりであろう。したがって、なんのことか説明するとしよう。

   私はなんというか、月曜日から金曜日まで続く規則正しいデスマーチに疲れ果てていたのだ。そして、その疲れを癒すために薄暗い6畳で安静に土日を過ごすのもまたデスマーチの一環なのではないかのと疑問が浮かぶようになったのだ。

   その時だった。大学の友人がいきなりハイキングに誘ってきたのだ。しかも1泊2日。土曜にホテルに泊まり、日曜に一日中ハイキングらしい。

   藪から棒に私のデスマーチは友人のフルスイングで急展開を迎えようとしていたのだ。そうだ。その誘いに乗り、この規則正しい破滅への道を踏み外すのである。私は1歩を踏み出そうとした。

   しかし、脳裏にもうひとつの考えが思い浮かぶのであった。

   しかしそれでは女児アニメを見ることができないぞ。

   正しく蟻の一穴であった。その考えを皮切りに、様々な思念が脳裏に浮かんでは消える。土日に体力を使ってどうするのだ。そもそも運動不足だ。歩ききれるか不安である。迷惑を書けないだろうか。テンションについていけるのか。早起きは辛いぞ。

   やらぬ理由は濁流のように脳内を埋めつくした。もはやこうなれば答えは決まったも同然。私はハイキングの誘いに断ってしまったのである。

   そして、その判断はやはり正しくなかった。今こうして、後悔の念と、虚しさが私を押しつぶさんと襲いかかってくる。ああ、なんということであろう。なにかこれから逃れるてはないものか。いつの間にか、私は私1人しかいないラインのトークルームを開いていた。文字を起こせば楽になるだろうか。

「やはり、ハイキングには行くべきだったか」

  誰もいないトークルームに投稿する。虚しさが更に募った。ああ、このようなことをすべきではなかったのだ。トークルームを閉じようとすると、スマートホンが振動する。

「何を言っている。女児アニメを見ることこそが正解だ」

   私からの返信であった。何がどうなっているのか、これは平行世界の私であろうか、ついに幻覚でも見るようになってしまったか。色々思うことはあるが、今は脇に置いておこう。重要な私に返信した、このけしからん私をどうにかすることである。どうして私ともあろうものが私の苦労を知らぬのだ。

「何を言うか! ハイキングに行った私よ! 私は現状の悲惨な1週間に苦言を呈していたでは無いか!」

「そうであるが、やはり石橋を叩くべきであったのだ! 私が望んだのはこのような限界を超える冒険では無いのである!」

「何を!? 貴様、本当に私であるのか!? 女児アニメで困難を乗り越えることこそが喜びであるという学びを得たでは無いか!」

「そのようなことはぬくぬくと快適な地でしか言えぬ戯言だ! 貴様は女児アニメを見たであろうのにこれ以上何を望むのだ! 俺はまだ今週の話は見ていないぞ!」

   貴様!  そのような貧相な考えだからこそ、その高貴なるチャンスを活かすことが出来ぬのだ!

   と、打ち込み送信しようとしたところで私はとどまった。これはそのまま私への批判ではなかろうか。

「なんだか虚しいからやめにしないか」

  さすが私であった。考えることは同じであるようだ。

「なんで、このようなことになってしまったのだろうか」

   自ら言った言葉であるが、本当にその通りである。私は昔、強烈な好奇心のレーダーが立っており、おもしろきことがあると時間も場所も危険も関係なくそれに向かって突き進んで行ったものだ。

  それが好奇心レーダーはいつの間にかなくなってしまった。あろうことか、石橋を叩いている間に隣に鉄橋ができ、それを見て不貞腐れるほどになってしまった。

「お前は、好奇心も想像力も豊かで自ら面白い遊びを発見して周りを引っ張っていたではないか」

  私はハイキングに行った私に投げかける。

「そういうお前こそ、土日は面白いものを求めて脱兎のごとく外に飛び出していたではないか」

  私にボールが帰ってきた。改めて、外を見ると外は紺碧の空で覆われていた。

「俺は今から海に行くよ」

「ならば俺はこれから連中に行きたい場所を提案しよう。ハイキング延長線だ」

   さすがもう1人の私。やるではないか。頬が勝手に緩み、指は自動的に動いた。

「上手くやれよ。健闘を祈る」

俺たちは同時に励まし、スマホの電源を切った。恐らく、電源を切ったのも同時だったと思う。

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