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小説:妖怪の改心

「皆さん、今まで迷惑をおかけしてごめんなさい。これからは皆さんの研究の邪魔は致しません。なので最後にもう一度仲間に入れてください」

 反省でもしたかのような態度と声に俺は耳を疑った。正気だろうか?

「そうか。ついに尾瀬君も大人の階段を登ったというわけだ。学生のうちに改心して本当によかった」

 この教授も正気じゃないのか? この妖怪が発した言葉をどうしてこうも簡単に受け入れることができるのだろう。あなたは4年間何を見てきたというのか?

「みんなも、いろいろと思うところはあるだろうがこの通りだ。尾瀬のことをゆるしてやってくれ」

 この教授はよくもにこやかな声でそのようなことをいえるものだ。ここまでの博愛主義っぷりから見ると、この教授はむしろ他人のことなど何一つ興味がないのではないかと邪推してしまう。この人物が大学教授だというのもその説を勢いづかせる。
 それはやはりほかのゼミ生も同じなのかもしれない。彼らは博愛主義者に向かい、怒りの色を浮かべて抗議するのだ。

「そんないきなりそんなことを言われても信用できないです」

 そうだろう。そうだろう。それが普通の態度だ。しかし博愛主義者の顔に張り付いた笑顔ははがれない。それはなぜだろうと疑問が頭に浮かぶ瞬間、尾瀬は地面に座り込んだ。その理由はこのためですと笑顔の理由を証明するがごとく妖怪尾瀬は頭を床につけて語り始める。

「ずっとバカなことをやってたことは分かっています! でも、ふと思ったのです。このまま、他人の邪魔をすることで学生生活を締めくくってしまってよいのだろうかと。そしてその疑問が浮かぶと同時に怖くなってしまったのです。他人に嫉妬し学生生活を終え、社会人となりそれを振り返ることが! 世の社会人が言うあの頃はよかったという甘美な思い出を共有できないのが! 今更こんなことを言うのは虫が良すぎるかもしれない! でも最後くらいそういう思い出を作りたいとそう思ってしまったのです! 今までのことは謝ります! だから!」
「もう大丈夫です」

 教授は涙ぐんだ声で手をさしのべる。そしてみんなに和解を呼び掛けた。

「まあ、腐ってもゼミの仲間だからな……」

 素直な学生たちはあっさりと妖怪を許してしまった。誰も正気じゃない。いったい今までこの妖怪相手に何をしていたのだ。さんざんかき回されてきたのならもう対処法を覚えてもよい時期じゃないだろうか。この妖怪が手と頭を地面につけていなかったことを誰一人見て居なかったというのか?

 尾瀬が皆の信頼を勝ち取り、あくせくとゼミの仲間たちのために汗を流す姿を見て、奴の本当の目的を考察しているところ、教授は俺に話しかけた。タイミングがタイミングだったのでドギマギしたが、ちょっと外に行こうということらしい。俺は一本もらえるんならとお願いすると、教授は快諾してくれた。俺と教授は実験室の外に向かった。

 寒空の下の喫煙所には俺と教授以外の人はいない。教授は俺に煙草を差し出し、自分が加えたそれに火をつける。

「ありがとう。穂高君」

「なんですか。いきなり。いつものことじゃないですか。俺しか吸わないんだし」

 俺は教授からもらった煙草に火をつける。しかし、教授はそれではないという。

「じゃあ何でしょうか?」

「尾瀬君のことだよ。君が説得してくれたんだろ?」

 たばこの煙に思わずむせてしまった。そのついでに先ほど火をつけたばかりの煙草も落としかけるが、何とかそれは持ちこたえる。教授はその様子に気が付くことなく、空をみながらうっとりと煙を吐く。

「いつも君が取り持ってくれただろう? 尾瀬君と僕を含めたゼミのメンバーの中を。尾瀬君と仲が良かったのは君だけだったからね。それだから、僕がなんかいいっても聞かないことを尾瀬君はすっと受け入れられたんじゃないかな? このままだと彼がどうなってしまうのか。それを伝えられるのは心の底から信用している人間だけだと思うんだ」

 まるっきり考察はあっていないのはまあ、放っておくとしてそれよりもだ。

「先生は尾瀬のことを信じているんですか? 尾瀬が変わったことについて」
「ああ、もちろん信用するさ。大事なゼミの仲間だからね」

 多くの人は信じるということを勘違いしていると思う。この場合はただ単に尾瀬が心変わりをしたという思い込みと事実だと思い込んでいるだけだ。だから後々、裏切られたと騒ぐことになる。信じるというのはそういうことではない。その対象がどのような性質を持っていて、何をするのか無数にある選択肢のうちその期待値が最も高いことを選択する行為である。だからこの場合信じるというのは奴はまた裏切るという疑いをかけることなのである。

「そうですか。でも今回のが演技だったとしたらショックですよね。その時はたばこ一本差し上げましょうか?」
「まさか君疑っているのか? 尾瀬君の友達だろ?」
「イヤ、信じていますよ」

 そう。俺はあの妖怪を信じているのである。俺と教授は喫煙所から離れていった。

 俺たちが実験室内に入ると、尾瀬は教授と俺を集めた。まだ大事な話があったらしい。

「俺達もう卒業じゃないですか。だから、そのベタなんすけどタイムカプセルやりたいんすよ。それで、30歳のおじさんおばさんになってもう一回集まってみんなで掘り起こすんすよ。そうしたらばらばらになってしまってもまた集まって学生時代のことを思い出せるじゃないすか」

 その提案にみんなはうなずいている。やはりこの実験室はおかしい。正気じゃない。ほら、彼は根はいい奴だよと言いたげな教授の視線を無視して俺は尾瀬を見つめる。この男、今度は何を考えているんだ。

 いつものようにやってきたあまりうまくない駅前の家系ラーメン屋で俺は問い詰める。
「おい、何を企んでいるんだ」
「まいったなー。改心したんだよ俺は」

 奴は麺をすすり答えた。こちらの方には目も向けない。

「嘘をつけ。あの時手と頭は地面についていなかったじゃないか」

 面をすする音が止まった。

「さっき、教授にそれを言ったのか?」
「いうわけないだろ」
「やっぱ穂高はそうじゃないとな」
「やっぱり。それで今回は何をやるんだ?」

 ドンブリから顔を上げ、尾瀬のほうを見ると奴の口角はゆがんでいた。

「チラシ配りのバイトやっててさぁ、埋めようと思うんだ」
 その答えについ口角が緩んでしまう。
「それだけじゃない。連中の恥かしいお宝とチラシをいれかえてやるのさ。それで卒業式の日に全部ばらしちまうってスンポーさ」
「屑め」
「でも、お前もやるんだろ?」
「もちろんだ。普通にやるとばれるからな。俺がずっと研究室に居残りしてやるよ。ついでにプロジェクター拝借して映画でも見てやろうや」
「お前もワルじゃねーか」

 俺たちは拳を軽くぶつけた。

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