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改めて自己紹介 私はこういう人間です。

 久しぶりである。とは言ったものの誰一人私を覚えているものはいないだろうがね。それをいいことに名前を変えて活動させていただく。前のは捨てた。

 名前を捨てた。では私は何者になったのか。私はいったい何者か。それを知るにはまずは私の作品を見ていただきたい。しかし、ここで待ったである。聡明かつ、厳粛な皆さんはこうお思いではないだろうか。

 名前を捨てたのならば過去のお前とは別人であろう。過去の作品に頼るな。

 いやはや、まったくもってその通りである。しかし、私はそのような正論は聞きたくない。現実に目を向けたくない。

 そこで皆さんは、甘ったれるんじゃない、だとか、現実に目を向けろとおっしゃるだろう。が、よく考えてほしい。その切れる頭脳を私めのためにほんの少し使ってやってください。

 現実に目を向けて、この文章を客観的に見つめていたらどうなるか。はたまた、過去の駄文を「どれどれどんな文章かな」と自らじっくり目を通したのならばどうなってしまうのか。あまりの恥かしさにこのアカウントを即消し去り、自室の隅で顔を真っ赤にし、小鹿のように震える以外に選択肢がないことは自明である。現実を見るとはそういうことである。現実は辛い。ならばそんなものに目は向けず、口をふわっと開けながら、妄想の中をフワフワしていればいいじゃない。どのみち動けなくなるのなら楽しくいこう。

 つまりはそういうことである。私は辛い現実を逃避するために、妄想を膨らませへんてこな文章を吐き出すものである。そしてあわよくばその妄想がなぜか評判となったのちに、有名人とへとなりあがり、noteの収入ががっぽがぽで億万長者、脱サラをして、さわやかな海風が吹くベランダにて毎日小説を読みふける日々を過ごしたい。もちろん、バルコニーにはパラソルが設置されている。しかし、本を読んでいるだけではないよ。たまには雨も降るだろう。そう言う時は徒然なるままに妄想をこねくり回し駄文を生成するのだ。諸君、うらやましかろう。そんなことができるのはこの職業しかありえない。文筆家である。それゆえ、私はいったい何者かと聞かれたのであればこう答える。私は文筆家だ。

 自らそんなものを名乗って恥ずかしくないのかという異議申し立ては受け付けない。ここの裁判長は私である。ゆえに私の発言がルールである。何の裁判をしているかはわからないが。しかし、たったひとつわかることはある。「いいね」や「面白かったです」などの感想は喜んで受け付けるということだ。私はそのようなものが極めて大好物である。愛されたいのだ。それが過ぎるがゆえに不毛な妄想を膨らませる。いやいやお恥かしい。

 お恥かしいので閑話休題。しかしこれまたお恥かしいことに、主題から脇道にそれてそれてそれ続けた末に袋小路に迷い込んでしまった感がある。つまり迷子だ。私は何の話をしていたのだろうか。戻ろうにも正しい道が分からない。ああ、誰か迷える私を救いたまえ。

――その時私の脳裏に一筋の光が差し込むのであった。その温かい光からは声が聞こえる。

「そなたの信じる道を行きなさい。そなたの道を決めるのはそなたなのです」

 そうだ。私の道は私が決めるのである。ゆえに寄り道であるか寄り道でないかは私が決めさせてもらう。裁判長は私なのだ。おや? 裁判長? なんだか思い出してきた。えっと、私は確か何かの裁判をしていたはずである。そうだそうだ。それが一向に思い出せなかったのだ。私の主題はこれであった。ありがとう天の光よ。神的な何かのお導きであろうか。しかし私は神を信じないタチである。神が本当に存在するのであれば現実はこんなにもつらいはずがない。それに私の道を決めたのは私だ。決して神のお導きではない。裁判長たる私もそういっているのだから私が正しい。

 裁判長は私の道が正しいと言った。しかしながら今行っているのはその裁判ではない。では今は何の裁判を行っているのか。こういう時は根本的なところから考えるのがよい。「イシューからはじめよ」というわけだ。

 ちなみに英治出版株式会社から「イシューからはじめよ」というビジネス書が出版されている。半月前上司に言われて私はこの本を買ったのであるが私はいまだにこの本を読んではいない。私にはほかに読むべき面白い本が沢山ある。それゆえである。しかし、上司からいつこの本の感想を聞かれるかと思うと気が気でない。それを聞かれたら嘘をついても真実のことを言っても私は怒られるに違いない。それを思うと、私はめまいや吐き気がしてくるし、夜もなんだか不安で眠れなくなってしまう。ここまで適当こき続けてきたために信用されないであろうが、この身体的異常だけは真実である。そもそも、会社の命令であるならば賃金を出すべきだ。これはサービス残業に他ならない。サービス残業と言えばほぼ毎日行われる「反省会」と称した飲み会もそうだと言えよう。プライベートに口出しするとは許されぬ行為である。

 したがってこの裁判の焦点はここである。被告人わが社(ここでは最悪ゲロクソ株式会社(仮)とさせていただく)が被害者私に対して行った労働基準法違反および恐喝罪についてである。

 なんだ簡単じゃあないか。こんなもの有罪である。最悪ゲロクソ株式会社(仮)はもっと私を大切にしたまえ。いつもコケのように扱いやがって。私はちゃんと仕事をして利益出しとるんやぞ。それなのに「君はまだまだだね」だとぉ~~~?????? 調子乗るなよ? それにほぼ毎日行きたくもない飲み会に強制的に行かされるしよぉ。きいてくださいよ、皆さん! そこで何が行われていると思いますか!? 上司が私に説教をたれながら飲めない酒を無理やり酒を飲ませたり食わせたりしやがるんですよ!?おかげで平日の半分以上は晩飯をトイレに吐き出しておりますわ。ほんまにいいかげんにせえよ。このゲロクソ株式会社が。はよつぶれろや。

 私は本当に苦しんでいる。それゆえに現実に希望を見いだせなくなってしまっているのだから。そんなわけで閉廷である。

 とは裁判で決まったところであるが、皆さんもご存じの通り現実は厳しいし、救いの神などは存在しない。もちろん会社のだれも私を労わりません。私への不当な扱いはこんな妄想上のへんちくりんな裁判では改善されない。今の現状を相談しようにも学生時代の時からの友とは遠く離れた地に来てしまった。独りぼっちである。ゆえに私は妄想を膨らまして私を慰める。ですのでどなたかほんの少しでもいいので優しさを分けてください。

 そんなわけで私は今の現実を何とか打破しようと妄想に走ったり、文章を書いて何とか生きていこうとして、もがき苦しむのである。だから、これからこういう感じでエッセイ風に妄想を書き連ねてゆくことになります。私はそういう人間なのです。まどろっこしくて申し訳ない。

 お見苦しいものをお見せしましたことをお詫び申し上げます。でも最後に二つ言わせてください。わたしを愛して頂きたい。そのしるしにいいねや感想をいただきたい。そして今後ともよろしく。

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