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短編小説:ヒッチハイカー

「その、バックパックは後ろにおいていいよ。それでそこまで行くんだっけ」
「えっと、江ノ島に行きたいです。」
「あーじゃあ、海老名あたりでおろすことになっちゃいそうだけど大丈夫?」

 ヒッチハイクの青年が「大丈夫です」と答えるとともに、車が揺れた。バックパックを座席に放り込んだからだろう。その後、青年が助手席に座り、ドアを閉めたことを確認すると、エンジンを着けて、メーターに表示された距離をしわくちゃなメモ帳にメモする。

「なんでメモ取ってるんですか?」
「休憩場所とか、距離とか言った箇所きっちり報告しないと怒られるんだよ。前、部内のやつが事故っちまってそれで厳しくなったんだわ」
「え? ていうことは、会社の車ですか? それなら」

 青年はドアに手をかけるが、俺はそれを制止した

「ばれないからいいって。それで距離が変わるわけじゃないし」
「はぁ」

 少し、不安げな青年の顔をよそに、車は出発した。

 高速道路を快調に走る車の中は静かだった。安全のため車内では音楽はながすなと、会社から指示が来ていたためでもあるが、一番の原因はこの車がラジオを受信しにくいためだった。

「なんか、スマホとかで音楽流してもいいよ」

 青年に話しかける。しかし、青年は音楽をかけようとしなかった。

「大丈夫です。悪いですよ。それより、お仕事は何をなさっているんですか?」

 個人的には音楽を流すよりも、そちらの方が悪いと思う。しかし、先ほどのサービスエリアで確認したところ大学生だし、仕事について気になるところはあるのだろう。せっけくしてくれた質問だ。正直に答えてあげることにしよう。どうせ説明会では企業のきれいごとしか聞かされていないだろうし。

「サンマルだよ。営業やってる。今回は関西のほうの下請け会社に用があってね」
「へぇ大企業じゃないですか。すごいなぁ」
「いいことなんてないよ。一万円くらい同年代の中で給料が高いくらいだよ」
「それでも、かなりいいじゃないですか」
「まぁ、普通そうだよなぁ」

 確かに、社会人である以上は一円でも多く稼げればいいし、会社も一円でも利益が多く出ればいい。理屈ではそうなのかもしれないが、実際はそんなことでいいのだろうか。自分が何に役立っているのか? その会社の社会的地位は? そういうことをないがしろにしてただ大きくあればいいのだろうか。

「まぁ、人それぞれだと思うけどさ、うちの業界はやめといた方がいいと思うよ。キツいし、転勤多いし、それに……」

 先ほどあった商談を思い出し、つい言葉が詰まる。

「それに?」
「あ、ああ。そうだね。やっぱ厳しいからさ」
「……そうですか」

 それから再び、無言の中を走り始めた。しかし、ヒッチハイクをする人というのだからもっと何というかはつらつとしていてずっとしゃべってばっかりの子なのかなと思った。でも、この感じだとそういうわけでもないみたいだ。ただで車に乗ってきて無言というのはほかの人なら怒るかもしれない。うちの部長なんかはそこらへんで荷物もろとも放り投げてしまいそうだ。

「なんか、聞かないんですか?」
「え? なんで?」
「いや、皆さんいろいろ聞いてきたので。なんでヒッチハイクやってるのとか。やっぱりそういう話聞きたいみたいじゃないですか」
「あーそうだね。まぁ、普通は親切心だけじゃないか。好奇心もあるよね」
「ということは、ないんですか? そういう聞きたいとか」
「え、好奇心がないってのは嘘になるけど……じゃあ、なんでヒッチハイクやってんの?」

 俺が乗せた理由はなんだか話したくなくて、ついごまかしてしまった。

「自分を変えたいんです。今の自分が嫌で」
「いや、そんなことないよ。君は十分すごい奴じゃないか。ヒッチハイクなんかして。普通はできないよ」
「ありがとうございます。でもだめなんです。まだやっぱり人と話すのが苦手で。どうしても一人のほうが落ち着くんです。でもこんな感じでノリが悪いと社会に出た時大変になるだろうって……だから大変だけど変わらなきゃいけないんです」
「変わらなきゃいけない……か」

 それでヒッチハイクをして人としゃべれるようになろうというのか。確かに、この寡黙な感じでは営業なんかはしんどいだろう。営業だけじゃない。一人でやれる仕事はない。どうしても仕事をするうえで誰かとかかわる必要がある。

 でも、それは元から彼が持っていたものだ。この寡黙さは調書にもなりうるはずだ。何より、変わってしまってその結果よくない風になってしまったらどうするのだろう。

「君がさ、変わってしまってさ、その結果君自身が耐えられなくなってしまったらさ、どうするの?」

 青年は少し考えてから答えた。

「そういう風には変わりません」

 また車内が沈黙でおおわれる。今度は、俺が頭の中で考えを巡らせていた。

 そういう風になならない? 元々あった自分を変えるんだぞ? それは無理が伴うんじゃないのか。そんなことをしたらやんでしまうんじゃないか。会社に入って自分のポリシーを相容れないものはたくさんある。特に、今回の出張はそうだ。親会社の権力を使い、子会社を安く使う。価格変更の説明に来たのだった。子会社によっては社長が土下座をして、俺にお願いをしてきた。それでも、俺は仕事だからやらないといけなかった。

俺はやりたくない。だから躊躇するし、ほかに比べて成績が低い。もし、彼のように変わったら確かに、罪悪感もなく仕事ができるかもしれない。

「でも、それでいいのか?」

 半分自分に対する質問だった。

「というと?」
「ああ、それで他人が傷つくようになってしまってもいいのか?」
「それはいやです」
「じゃあ……」

 変われない。俺はそう思っていた。

「自分を強くするために俺は変わりたいんです。自分が誇れる自分になれるように。俺は多くの人と話して、いい関係を作ってみんなで助け合えるような人間関係を作りたいんです。だから、こうやって飛び込んでいくのがいいのかなって」

 ああ、なるほど。強くなるのも変わることか。確かに強くなって偉くなれば営業の方針も帰られるかもしれない。そういうことか。

「それなら君は変われるよ。大丈夫。そういう人間になれる」
「ありがとうございます。優しいですね」
「オレは優しくないよ。さっき、下請けの会社の社長にひどいことを頼んでしまった」
「でも仕事じゃないですか。それを反省できる人は優しいですよ」
「そんなことははいよ」

 また車内が沈黙に包まれる。そして、だんだんと二人の会話が増えてゆき、進路についてや、ヒッチハイクの思い出話に花が咲いた。

「次の、サービスエリアでおろしてください。江ノ島に夕日でも見に行ってみようかなって思います」

 お別れの時間がきてしまった。最後に彼の決意を思い出す。強くなるために変わるか。それは俺がやるとすればどういうことか、考えていた。そして、それはこういうことだと思う。

「海老名から電車で行くの大変でしょ。そこまで送ってくよ」

「え、距離とか大丈夫なんですか? 余計な距離は知ると怒られるんじゃ……」
「大丈夫だよ。なんか言われてももういいや」
「やっぱり優しいじゃないですか」

 俺は本来降りる予定ではなかった海老名インターチェンジから高速道路を降りた。

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