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「こんなに一人で頑張ってるのに、ちっとも感謝されない」を解決する方法を考えた:前編

先日、家事に仕事に頑張ってる友人が「すごい頑張ってるのに認めてもらえなくて辛い、家族もろくに助けてくれない、労ってくれない」ってことで弱っていて、色々考え込んでしまった。
いや、その子はそんなに悩んでるわけじゃないのかもしれないけど、とにかくこのテーマについて考えたわけです。

これ、すごいあるあるだと思うんだよね。
ていうか私もかつてはめちゃくちゃめちゃくちゃめちゃくちゃこれで悩んでたし、もうとにかくそれで頭がいっぱいだった。
主に夫婦関係でそれがあったんだけど、どんなに頑張っても感謝されない。
育児を一人で抱え込んでも、家事を一人でこなしても、稼ぎを全部一人で担っても、それでも感謝されない。
感謝されない=私の頑張りが足りないのでは?とか考えて、もっともっと頑張るんだけど、でもやっぱ感謝なんてされない。

素直になってみようと思って「ありがとうって言ってくれない?」とか頼んでみても、「私ばっかりやってて辛いから、あなたもこれをやってくれない?」とか頼んでみても、驚くほどなーんにも解決しないの。

不満が溜まって溜まってたまりまくってこっちは怒りでパンパンになってるのに、大抵相手の方は「はあ?いきなり何の話?嫌ならやらなきゃいいじゃん」とかそういう感じ。軽いのよ。全てが。
あれ、キツイんだよね。なんかものすごく孤独を感じるんだよ。
こっちは一人で猛烈に「頑張ってる」のに、真横にいるあなたは、一体なんでそんな平気でいられるわけ?みたいなさあ。

愛されるために、もっと「頑張る」べきだってずっと思っていた

で、今の私はこういうことであんまり悩まなくなったんだけど、興味深いなと思うのは、その解決の有りようが、過去の私が想像したようなものと全然違うってこと。

なんていうか、過去の私は自分で何もかも抱え込んで「なんで私ばっかり」って腹を立てながらも、そういう自分をすごく責めてて、どうにかこんな風に考えない私になりたいという「かくあるべし」のビジョンがあったの。「もっとハイレベルな人間になれたなら、こんな下らないことで怒らない私になれるはず」というビジョンが。

つまり、もっと
「強い人間になれば」
「寛大な人間になれば」
「賢く、懸命な人間になれば」
「優しく、愛情深い人間になれば」
こんな下らないこと、「私ばっかり頑張ってるのにお前ときたら」なんてことを考えずに済むんだって思ってた。

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