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自己肯定感を上げる方法:不幸脱出マニュアル⑨

前回は善玉の育成方法について述べた。


悪玉を弱らせ善玉を育てることであなたはポジティブな行動を起こせるようになり、「自己肯定感を上げる方法」を今度こそ実行できるようになる。
ここまでは飲み込んでいただけただろうか。

ではこれからいよいよ、「自己肯定感を上げる方法」をちゃんと書いていこうと思う。

自己肯定感を上げる方法というと一般的にはとにかく自分を褒めようとか、自分のいい部分を見ようとか、小さいことからコツコツ成功体験を積み上げようとか色々な方法が提案されていて、それも間違っているとは思わない。でも私が勧めたいのは、もっと全然別のことである。

最初に断っておきたいけど、この方法は確かに効果がある一方、非常に困難、、いや、物理的には非常に簡単だが、精神的な負担が大きいはずだ。
だからどうぞ焦らないで。
この先の文章を読んで抵抗を感じたのなら(多分感じると思う)、まずは悪玉を減らし、善玉を増やすことに注力して欲しい。それだけでも大変なことだ。
私は今回(これでも)なるべく簡潔に物事をまとめようとしているため非常に早い段階でこの話を書く流れになっているが、本来これは数年単位で取り組むことであるということを理解して欲しい。

でもあまり勿体ぶってもしょうがないので、ここから本題を書きます。

一番許せない何かを許す

何よりもあなたの心を解放すること、それが許すことだ。

…もうこの先の文章を見るのも嫌かもしれない。だが、あなたは「許せないもの」を心の中に握りしめたまま幸福になったり、自分を肯定することなどできない。

嫌いなことやものがあるのはいい。あなたを痛めつけたあれこれのことを、好きになる必要はない。嫌いなままで全く問題ない。でも、あなたが習慣的にやっている事、その嫌いなものや人の事を何度も思い出し、憎しみを感じる習慣を手放してほしいのだ。許すということは好きになるとか肯定的に見るとかそういうことではない。どうでもよくなればそれで十分。

絶対じゃない、例外もありますと言いたい。あなたはそのことを許さなくていいの、そんなことだってあるよ、私だってそう言いたい。でも、残念ながらこれは絶対だ。なぜなら誰かを、何かを許さないということは、自分を許さないということだからだ。

これは一番最初の記事でも書いたと思う。あなたが不満を感じたり何かに怒る時、本当は自分自身に腹を立てている。
ここでも同じことが起こっている。あなたが何かを許せない時、本当に許せないのはその何かではなく、その何かに惨めな思いをさせられた自分自身だ。
あなたがあることを許せないでいるということは、その瞬間の自分を許せないでいるということだ。そして、どうかそのあなた自身を許してやって欲しいと、私はここであなたにお願いしている。

私は真っ直ぐに歩けなかった

私にとっての許す対象は、母親だった。つまり本質的には、母親に支配されていた幼い自分を許すことだった。
ここまで書いてきた諸々のことに取り組む前の私は、小さい頃の自分の写真を見ることさえできなかった。醜くて、吐き気のする、ゾッとするような不快な不細工な不気味な子供。気持ちの悪い子供。それが以前私にとっての「幼少期の私」だった。のろまで、そのくせやたらと早口で生意気で可愛げがなく、口が悪く、気難しく、性格が悪く、バカのくせにプライドだけ高い、誰も望まない子供。生まれてこなければよかったのに。
そんな私を許すのは本当に辛かった。この辛さを書くだけで一冊本を書けそうなくらい辛かった。
別に私ができたからあなたもやるべきだと言いたいわけじゃない。ただ私にとっても信じがたいほど辛い、多分一生のうちにも最高に辛い出来事だったけれど、それでも効果があったからあなたに勧めているのだということを分かって欲しくて書いている。

一番許せない何かを許す方法

では許す方法とは?それは意外にも非常に簡単だ。
あなたが誰か他人を許す時、どうしているかを考えればいい。
例えば友達があなたにぶつかって、あなたが小さな怪我をしたとする。
友達は「ごめん」というだろう。
あなたは「いいよ、大丈夫」と言い、もうそのことを蒸し返したりしない。
たまにキズがちくっと痛んで友達がやったことを思い出したとしても、あなたは「大丈夫」と言った手前、友達をそれ以上攻めたりはしないだろう。
それと同じだ。
「私は○○を許す、○○だった自分を許す」と口にし、
そのことをもう蒸し返さない。時々心の中に怒りが沸き起こってきても構わない。でも、もうその怒りを追いかけたりはしない。「もうそのことは許したから」と自分に言い聞かせる。何度でも。
許すというのはそれだけのことだ。あなたが許す事を諦めずにこれを続ければ、時間と共に必ず許すことができる。

「でも、自分はゴメンと言ってもらっていない」とあなたは思うかもしれない。
大丈夫。謝罪の言葉の有無は、許す許さないには関係がない。
むしろ謝罪の言葉を待たず一方的に許すことの方が、一層「許す」気持ちを加速させる。辛いけどね。

私がやったのは、母を喫茶店に呼び出し「私はあなたが許せなかった、とても怒っていたけれども、私はもうそのことを水に流し、仲良くしようと思う」と伝えることだった(口に出すだけで吐き気がしたし、泣きすぎて前が見えなかった)。その瞬間は決して愉快なものではなく、またそのあとの会話も全くもって不快で、もちろんゴメンなんて言われはしなかったし、母は相変わらずで大変嫌な思いをさせられたけれども…でも信じてほしい、それでも私はその頃から幼い頃の自分の写真を見ることができるようになった。そこに映っているのはやっぱりそれなりにブサイクな子供だったが、愛嬌のある普通の子だった。

ちなみに母のことは相変わらずしょーもない奴だなと思っているが、しょーもない割には頑張って生きているし、しょーもない奴なのにこんな頑固な娘を育てることになってさぞ災難だったろうな、という同情心から優しく出来るようになったし、いいところもそれなりに見つけられるようになった。

自己肯定とは自分を許すこと

あなたが一番許せないことを許せた時、二番目に許せないことを許すことは簡単である。三番目四番目はもっと簡単で、もはや一瞬で終わる。

あなたが「許せない自分」を全て許せた時、あなたはあなたを無条件に受け入れいることができる。間抜けな自分も、醜い自分も、馬鹿な自分も、しょーもない自分も、まあ、そういう時もあると思える。それが本当の自己肯定だ。自己肯定とは、自分スゲーとか自分最高とか思うことではない。自分なんてしょーもない。でもしょーもなくていい、何が問題あるの?と開き直ることだ。
そして、そんな風に自分自身を肯定できた時、あなたはあなたを囲む全てを無条件に受け入れることができる。もう二度とあなたは不幸にならない。辛いことは時々あるけれど、あなたはそこに足をすくわれなくなる。

それがどれほど開放的で安心することか、楽しく、ワクワクすることであるか…伝えることができればいいのにと思うけれど、こればかりは、ご自身で体験してもらう他ない。

だけど、とにかく焦らないで。
私は悪玉を減らし善玉を増やすのに6年かかり、母をゆるそうと思ってから実際に許すと宣言するまでに1年、宣言してから完全に許すまでに1年ほどかかった。

私はあなたが私ほどの時間を取らずとも最短ルート・最短ルートで幸福になれるよう必要な物事をこのマニュアルに盛り込んだつもりだが、あなたにも当然、ある程度の時間が必要なのは間違いない。

とにかく諦めずに一歩ずつ歩んでほしいと思う。

許せないことがない人は?

え、自分そんなものないですけど?という人は、ある意味でラッキー、ある意味でアンラッキーな人だ。というのは、許せないようなことがあなたの人生に起こらなかったという意味でラッキーだが、「許せない事を許すこと」は人生をひっくり返すレベルで効果のある方法だから、その手段を持たないという意味ではアンラッキー。

そういう人は多分、悪玉を減らして善玉を増やすだけで十分幸せになれるだろうと推測する。

それでも何かがおかしいと思うのなら、心の中に「許せないこと」を閉じ込めて、見えないようにしてしまっているのかもしれない。

だが、許せないことなんて無理やり探すようなものではない。ピンとこないのなら、ピンと来る時が来るまで忘れておいて損はないと思う。

次回、一旦まとめに入ります。


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